一章
中原中也は、それからの放課後毎日私の家に来て私のピアノを聴く様になった。
「リクエストとかないの?」
中也が私の家へ来る様になって、二週間が経つ頃。
気まぐれに聞いてみた。
何の意味はない。
ただ、毎回毎回私の適当に選んだ曲を静かに聴く、彼の好みを知りたかった。
「えー…そうだな……あー、死の舞踏、とか?」
サン=サーンスの、死の舞踏。
ヴァイオリンでしか聴いたことがないけど。
ピアノのヴァージョンもあるのかな。
ふと、引っかかる。
最近その名前を何処かで聞いた事があった、ような。
「あ」
中也が何時ぞやの大会で使っていた曲だ。
確か、割と最近の、引退間近の。
「?…なんだよ」
「あー、否、何でもない。うん、死の舞踏ね。えっと、こういう奴でしょ?」
ぽろぽろと落とす主旋律に合わせて伴奏を足す。
「手前…凄えな…」
「え、何が?」
「その、何つーか…そういうの、覚えたのは弾けるのか?」
「うーん、まあメロディーが判れば何となく…かな」
そう言いながら、音を追い続ける。
あれ、こっから覚えてないや。
「まあいいや。楽譜買うからまあ期待してなよ」
「え、いいのか」
「うん。弾きたくなったし」
かたり、と鍵盤の蓋を閉じる。
最近では中也とピアノに関してではないことも色々する様になった。
一緒に映画を鑑賞したりだとか、最近流行っているゲエムをしたりとか。
割と男子高校生として普通に友達だ。
ちょっとやそっとの衝撃で壊れそうだけど、壊したくない関係だった。
「手前の指、綺麗だよな」
「え?そう?」
「おう」
にぎにぎと両手で指を弄ばれる。
妙にこそばゆい感じがして、揶揄ってやった。
「中也の手は身長に比例して小っちゃいね」
「喧嘩売ってんのかコラ」
蹴られた。痛い。
「暴力反対…」
「悪口反対」
中也は少し遅くまで私の家に居て、夕食を作ってくれる事もあった。
中也の料理の腕は一級品で、あまり食に興味のない私も中也の作る料理だけは進んで食べる。
「ていうか、中也こんな遅くて親に何も言われないの?」
「否…親は居ねえし」
しまったな、と後悔した。
そういう手の話だったか。軽々しく口に出すんじゃなかった。
「別にそんな気負わなくてもなァ…ま、一応言っとくか…。
元々片親だったんだが、父親は二年前に死んだ。まあロクでもねえ奴だったし、それはいいんだけどな。そのせいで兄貴に迷惑かけちまって…兄貴は今、海外で働いてるから…これ以上、負担掛けらんねえんだよ」
口に出さずとも、だからスケートを辞めたのだ、という声ははっきりと聞こえた気がした。
そういう事情ならば、仕方ない、のか?
「そ、っか…。じゃあ、一人で住んでるの?」
「ああ。高校の寮に住んでる」
成程、確かにウチの高校は学生寮がある。使う人は少ないと聞いていたが。
学生寮ならそこそこ安全だろうし、確かに家賃も安い。
「なあ、太宰は?嫌だったら聞かねえけど…俺、結構長くここに居るけど、大丈夫なのか?」
何が、とは明確には言わないけれど、中也が何を言いたいのかは判った。
「私はねえ…ええと、ここ叔父の家なんだ。所謂養子なんだよね。叔父は医者だから結構忙しくて、平日はあんまり帰って来れないんだ。
だから中也はどんだけ此処に居てもだいじょーぶ」
「…そうか…ありがとな」
「いいよいいよ、こうしてご飯まで作ってくれちゃってるし」
「手前は自炊しなさすぎだ」
「だってぇ面倒臭いんだもん」
「もんとかいうな可愛くねえぞ」
「中也も可愛げ無い」
「関係ねえ!」
なんやかんや言いながら、中也は美形の類に入るとは思う。
まあ私が秀麗なのは言わずもがなだけど。中学は共学だったからモテ過ぎて大変困った。だから高校は男子校にしたんだけど、これはこれで詰まらない。
この高校に進んでよかったというのは、進学校の割に色々緩いところと中也に出会えたことくらいしかない。
口が裂けてもこんなこと言わないけど。
「今週の土日、空いてる?」
「あー…いてねえ、バイト」
「え?バイトしてたの?」
「おう」
「どこどこ、私行きたい」
「は?何でだよ」
頑なに断り続けた中也だが、結局は根負けして口を割った。
「スケートリンクだよ…ほら、海沿いの」
「へぇ…バイトとかあるんだ」
「ああ。製氷とか、監視とか、貸出靴の刃磨いたりとか。土日は客多いし割がいいんだよ」
「そうなんだ、楽しそう」
「寒いぞ」
「えぇ寒いのは嫌だなあ」
バイトについて話す中也は、本当に楽しそうに見えた。
私の中で、燻っていた一つの思いが立ち上がり始める。
中也の滑るところを、見てみたいと。
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