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正編

口火



 いつも通り日課を終え、いつも通り近侍の加州清光と話をする。このときわたしは、今日も何事もなく一日を終えることができると安堵していた。

「今回の花火奪還作戦の進捗度みてるけど、いつもよりハイペースだね」
「……もしかしてしんどい?」
「いや、全然。数部隊でまわしてるし、俺としてはもっと出陣数増えてもいいけど」
「これ以上増やすのは、わたしがつらいな」

 時折笑いを交えながら会話をして、加州からみんなの様子を聞く。終始和やかな雰囲気であった。わたしが感じている通り、大した問題もなく時間遡行軍を排除できているようだ。別に何かがあったわけではないけれど、なんとなくぽつりと「みんな強くなったね」と独り言のようにわたしは呟いた。
 加州は「そーね」と返事をすると、余裕を感じさせる堂々とした面持ちで、わたしと目を合わせた。

「歴史を守るのもそうだけど、何より主を守りたいからね」

 初期刀からの嬉しい一言に自然と笑みが溢れて、もっと言えば口角が上がるばかりで、側から見れば相当だらしない顔を晒してしまっているのだろうなと感じた。

「格好いいなあ」
「そして、可愛くもある」

 ふたりで笑いあいながら、明日の出陣の計画を立てていく。そんな折、ふと加州が「今日は堀川の話しないんだね」と言った。いつもであればわたしが泣きつくことがほとんどで、加州から話題を出すことは滅多にないから、ドキッとしてちらりと彼のほうを見た。

「まあ、言わないときもあるよ」
「めずらし」
「今日もすきだけど……」

 これで終わると思いきや、まだ引く気はないようで「主ってさ、いつから堀川のこと好きなの」なんて質問を飛ばしてきた。普段は聞き流すくせにいったいどういう風の吹き回しだろう。
 わたしの恋のはじまりがいつだったのか。記憶を辿るが正直これだ、というものがない。一目惚れでもなかったし、何かしてもらって恋に落ちたわけでもなかった。

「わかんない」
 素直にそう答えると、加州はカラカラと「なにそれ」笑った。

「でも、たぶん、もう五年……いや、六年はすき」
「ふぅん」

 明確な年数はわからないから大雑把に答えたが、定かではなかった。わたしは彼にどれくらい片想いをしているんだろう。ぼんやりと考えていると加州が頬杖をつきながらニヤリと笑った。

「ひとにとっては随分な年数だよね。そんだけ抱えてるなら、こぼれちゃったりもするか」
「ええ?」
「日光一文字、知ってたんでしょ?」

 そうなのだ。ついこの間、連絡を取り合っている審神者経由で日光がわたしの想いを知っていることが判明した。胸の内を曝け出しているのは加州だけだったので、まさか、と恐る恐る日光に尋ねてみると、そのまさかであった。その後、恋愛相談のような会話展開になったのだが、日光と恋バナをする日が来るとは思いもせず、驚きを隠せないばかりであった。

「しっ……てたんだよねえ」
「……主の考えはわかってるつもりだけどさ、一回ちゃんと話しても良いんじゃないかって思うんだよね。悪いことにはならないと思うよ」

 自信がない。好きだと言いつつ、ずっとゆらゆらしている。自分がどうしたいのかも正直わからない。抱えていた期間が長すぎて、随分とごちゃごちゃした恋心が胸に飾られている。ただ、日に日に想いは強く大きくなっていくばかりで、自分の心にどう向き合うべきかを考えあぐねていた。

「……うん」
「じゃあ、今日中に」

 ぼぅっとしていたばかりに適当に打った相槌が肯定の意にとられていたらしい。加州くんは、パンと一度手を叩くと「手は回しとくからね」とウインクをして部屋を出ていった。
 わたしはひとり部屋に残され、「無理、無理です」と泣きそうになりながら喘ぐしかなかった。
 加州が言う「手回し」がどういうものかわからないまま、落ち着かない時間を過ごす。時刻は十一時を過ぎていた。寝る前に涼もうと展望の間でうちわをぱたぱたと仰いでいると、床板がきぃと鳴った。

「あれ、主さんだ」

 振り返ると、盆を持った堀川が立っていた。盆の上にはとっくりとお猪口が乗っている。これは、手回しか否か。気晴らしに景色の良い場所で一人酒をするものも多いから、話を聞かずして判別するのは難しかった。

「お酒……飲むの?」
「そのつもりだったんですけどね。加州さんに久々に飲まないかって言われたんです」

 加州の名が出たことで疑いは確信に変わった。手回しだ。彼は来ない。

「……加州くんはこないと、思う」
「主さんがそう言うんじゃ、きっとそうですね」

 堀川はそのままわたしの隣まで来て、腰を下ろした。日本酒の匂いが鼻を掠める。

「主さん飲みますか……って言いたいところだけど、確か日本酒は駄目でしたよね」
「うん。でも、舐めてみる」
「ふふ、じゃあ、ほんのちょっとだけ入れます」

 言葉の通りお猪口にうっすらと注がれた透明な液体。お行儀がわるいのは承知の上で、せっかく勧めてくれたんだからと口に運びちろりと舌で掬って口に含む。ねっとりとしたアルコールが口の中を支配した。飲めないわけではないが、日本酒のこのが苦手だった。

「やっぱり、甘いのじゃないと美味しくない」
「主さんがいるってわかってたら飲めそうなの持ってきたのに」
「また今度だね」

 わたしはお酒が好きだが、果実酒だとか、リキュールだとか、そういった甘いものでないと美味しく飲めない。よく廚に立ち、宴の準備をすることも多い堀川は皆の酒の好みもよく理解していた。ぬるい風を受けながら、涼しい顔をしてお猪口を口に運ぶ堀川を見て、ただ漠然といいな、と思った。

「……主さんとふたりでお酒なんてなかなか無いから」

 こちらに顔を向けて「ね」だなんて、首をちょっぴり傾けて言うから、わたしはじわりと頬が熱くなるのを感じながら「そうだね」とはにかんだ。
 堀川の隣は心地良い。ほどよい眠気に包まれながら、好きなひととおしゃべりするのはなんて幸せだろうか、と彼の横顔を眺める。
 このときのわたしは完全に油断していた。加州にふたりで話せと言われたが、想いなんて伝えるつもりは毛頭なくて、いつも通りのなんでもないお話をして、それでいつも通り明日を迎える予定だった。それなのに、わたしの口から二文字の言葉が空気を揺らした。

「すき」

 堀川の動きが止まる。どちらかの、はっと息を吸う音がやけにはっきりと聞こえた。
 堀川の大きな瞳がさらに見開かれて、わたしを見つめている。わたしはやっと口に出した言葉がなんだったのかを理解して、慌てて誤魔化そうとしたが、もう遅かった。誤魔化すにはあまりにも、声色と湿度とタイミングの全てが感情を表していた。

「ちがう、ちがくて」
「主さん」

 さっきまで、何の話をしていただろうか。うまく頭が働かない。急速に全身の血の気が引いていくのを感じて、堀川の顔なんか見ることはできなくて、俯きながら言葉を紡ぐ。

「ちがうの、堀川くんとどうにかなりたいとか、そういうんじゃなくて」

 堀川は何も言わない。

「ただ、言っちゃっただけで」

 沈黙が痛い。

「……気にしないでね。明日には元通りだから」

 ことり、とお猪口をお盆に置く堀川の手が目に入った。緊張で呼吸が浅くなる。キィンと耳鳴りがした。

「主さんは、僕をどうしたいの」

 たっぷりの沈黙のあと、ぽつりと言葉が落とされた。それを合図にわたしはそろそろと顔を上げる。
 そこにははじめて見る表情をした堀川がいた。悲しいと言うにも寂しいと言うにも、どこか何かが間違っているような。迷子と言うにはさっぱりしすぎているような。少しの怒りも感じるような。

「それを言われた僕はどうしたらいいんですか」

 まるで刃を首に添えられているかのような緊張感だった。

「主さんの『すき』は色が多すぎて、僕はわからない。全部わかってあげられない」

 さっきまであんなに穏やかだった空気が、一瞬で崩れ去ってしまった。わたしも堀川も言葉が出てこなくて、どうしたらいいかわからずにわたしは「ごめんなさい」と小さく謝った。
 すると、堀川は苛立たしげに顔をくしゃっとさせて「そうじゃなくて……」と何かを言いかけるも、盆を持って立ち上がった。

「すみません。僕も謝ります。明日には元通り、ですよね」

 彼はこちらを見下ろして、瞳を揺らしたあと、下手くそな笑みを浮かべながら「もう寝ましょうか。主さん、明日もはやいでしょう」と言って足早に立ち去る。わたしは引き止めることもできず、しばらくそこから動けなかった。
 間違えたと思った。初めて見る顔だった。わたしの言葉で彼を傷つけてしまった。もう、戻れないとすら思った。
 


 展望の間から急な階段をゆっくり降りて、廊下を進む。自室まではそこそこ歩かねばならなかった。思いの外、頭は冷えていて、涙も出てこない。どうしよう、とぐるぐるしているのは確かだが、ぐるぐるしているだけで答えは出てこない。
「どうにかなりたいわけじゃない」が駄目だったのか、「気にしないで」が駄目だったのか、「ごめんなさい」が駄目だったのか。考えても考えても堀川のことがわからなかった。わかりたいのに、ほかのひとの心なんて理解しようとするだけ無駄だと囁くわたしもいる。自分の心すら、遠くにあるのに。
 自問自答を繰り返しながら暗闇を進んでいく。月明かりに照らされて、ふと外に目をやると澄み切った星空が見えた。わたしたちの関係とはまるで違う夜だ。晴れ渡って星が瞬いて、蒸し暑さはあるけれどとてもすっきりした夜だった。

 きらきら ひかる おそらの ほしよ

 ちいさく口ずさみながらゆっくり歩く。よそ見をしていたせいで、前から近づいてくる気配に気づくことはなかった。

「主」

 呼びかけられてやっと正面を向くと、そこには日光一文字が立っていた。

「あれ、日光くんだ」
「随分と惚けているようだが、どうした」
「うん、うーんと」

 言葉選びに四苦八苦しながら、彼に今の出来事を伝えるべきかとまごついた。以前話を聞いてもらった手前、誤魔化すべきではないと思ったが、早々に失敗をしたことを伝えるのはなんだか忍びなかった。

「先ほど堀川国広とすれ違ったが、それが原因か」

 よりによってすれ違っている。わたしはひとりで抱えるよりは話したほうがいくらか楽になるだろうと、おもむろに口を開いた。

「いや、はは、ええと、わたしが口を滑らせまして」
「なんだ」
「……すきって言っちゃった」

 日光くんは目を少しだけ見開き、うまくいったとでも思ったのか「良かったじゃないか」と言った。

「それが、全然よくなくて、なんか、怒らせちゃったというか、振られたというか」

 言葉にすればするほど情けなく思えてきて、どんどん尻すぼみになっていく。どうせなら心が踊るような話題を提供したかった。

「それは……にわかには信じられんが……」

 煮え切らない反応の日光に、わたしはへらりと笑いながらあらましを話した。その間、彼は静かにわたしの話を聞いていた。
 全てを聞き終わったあと、顎をさすりながら「難しいものだな」とちいさな笑みをこぼす。何故笑うのかと彼の顔をしばらく見上げてから、高い位置にある彼の顔を見るのに疲れて視線を落とした。

「やはり、良かったんじゃないか」
「そう?」
「言わなければ何もわからないままだったろう。思い描いていた結果ではなかったとしても、本心に少し近づけたのではないか」
「本心……」
「彼の本心と、主自身の本心だ」

 そう言って日光はわたしの胸あたりを指差した。

「せっかくある心だ。存分に使い込んだらいい。使えば使うだけ、馴染むだろう。刀と同じだ」

 わたしは胸に手を当て、自分の鼓動を感じながら「今、後悔でいっぱいだよ」と呟いた。

「それは、きっと必要な後悔だろう」

 気付けば結構な時間立ち話をしてしまっていたから、引き留めて申し訳なかったと謝る。立ち去る間際に「話なら、いつでも聞こう」と言われ、鼻の奥がツンとした。

「ありがと。おやすみなさい」

 なんとか涙を我慢して部屋に戻って布団にダイブした。ちょっぴり明日が怖いけれど、眠れないなんてことはなくてすぐに夢の中へ旅立った。
 


 朝は苦手なはずなのに、驚くほどすっきり目が覚めた。昨日は色々あったなあ、なんてまるで他人事のように独りごちて身支度を整えていく。今日は元通りに。堀川もそう言ってくれた。
 取り繕うのは得意だ。ずっとそうやって生きてきた。堀川も脇差で、偵察が得意で、日頃から本丸の様子を見ながら日課をこなしている。わたしとの距離も上手く取ってくれるだろう。ぎこちなさが生ずる心配はしていなかった。そんなことを考えていると、控えめに障子戸が叩かれ、加州くんがわたしを呼んだ。

「主、起きてる?」

 返事をする前に戸を開けて、「起きてるよ」と笑いかける。嘘の笑顔じゃなくて、ちゃんと自然な笑顔だった。多分、何かしらで昨日のことは耳に入れただろうから、そのことについてだろうなと彼の顔を見て思った。すごく真面目な顔をしていた。

「今日はね、珍しくすっきり起きられたんだ」
「そう、良かったね」
「うん」
「……謝るのも違うと思うから、なんて言ったら良いかわかんないんだけど」
「絶対、謝らないでね」

 いつものわたしと変わらない調子で会話を続ける。まだ髪を結っていなかったので、部屋の前で立ち尽くす加州を招き入れてから、わたしは鏡の前に座り直した。胸の辺りまで伸びた長い髪を後ろでひとつにまとめる。いつもは手こずるのに、今日は綺麗にまとまった。

「……さっき堀川に会って、恐ろしいほどいつも通りだったからおかしいなとは思ってたんだけど」

 思ったとおりだ。

「そのあと、日光さんが来てさ。大まかなことは聞いた」
「あ、ほんと」

 これについては予想外で、日光の手回しぶりに舌を巻いた。話す手間が省けた。

「こうなるなんて思わなくて、ごめん、俺、」
「こら、謝るなって言ったのに」

 わたしより傷ついた表情を浮かべる加州に向き直ると、その顔を両手で挟み込んだ。

「ずっと主をそばで見てて、堀川のことも見てて、ふたりならって思ったんだよ。主が関係壊したくないって思ってるのわかってたのに」

 日々、こっそりと堀川を想っては、その気持ちを胸の奥底にしまい込んでいたわたしを見ていた加州が日光から話を聞いたとき、どんな心持だったのだろう。わたしは両手に少しだけ力を込めて頬を押し上げる。彼の顔が可笑しかったわけでは決してないけれど、笑いが込み上げてきて、あは、と笑うと加州はきょとんとした。

「日光さんの言葉を借りると、これは『必要な後悔』なんだって」
「なぁに、それ?」
「あれがなかったら、自分の気持ちにも堀川くんの気持ちにも向き合わなかったでしょって」
「……別に向き合ってないわけではないじゃん」

 加州には思うところがあるのだろう。ムッとする彼を宥めながら、宥めることができている自分に安心した。自分よりへこんでいるひとをみると落ち着いてくる、みたいな感じだろうか。

「まあ、とにかくそういうわけだから、加州くんも協力してよ。しばらくは元通りに」
「……うん」
「なんか、納得いってなさそう」
「……言っちゃったんだから、元通りじゃなくて、もっとああしたいこうしたいって言えばいいのになって思っただけ」

 そういうとこ下手くそだよね、と言いながら加州は目を伏せる。頬に影が伸びるほど長いまつ毛が際立っていて、この刀は本当に綺麗だと感服した。

「加州くん、きれいだね」
「話逸らさないでよ。嬉しくないよ」
「心配してくれてありがとう」
「心配っていうか……ふたりともばかだなあって思ってるだけ」
「じゃあ、苦労をかけます?」
「こんなの苦労でもなんでもないし」

 いつもの加州くんに戻ってきた。わたしは彼に思いっきりハグをして、話はこれで終わりだと伝える。

「さ、今日も一日頑張ろう!」



 演練会場でのことだ。全ての演練を終えた私たちは受付に結果表を受け取りにきていた。ぞろぞろと六振りがついてきても邪魔になるので、今そばにいるのは薬研藤四郎だけだった。端末に審神者証をかざしてデータを転送してもらい、一息つく。

「しかし、珍しいこともあるもんだな」

 薬研が手袋をくい、と引き上げながら言った。

「なにが?」
「ん?大将も見てただろ。堀川国広だよ」

 今日の演練は第一部隊での参加だった。隊長は加州清光。以下は乱藤四郎、薬研藤四郎、鶴丸国永、小夜左文字、堀川国広。全て修行を終えた六振りだ。

「もう、高練度の部隊と当たることは珍しく無い。いつもはそこそこ耐え切ってるが、今日は防ぎきれていなかったし、攻撃も通っていなかった」

 わたしは無言で薬研の言葉を聞いていた。あれ?とは思っていたがやはり間違いではなかったらしい。特に最後本丸と対峙したときだ。相手の鯰尾藤四郎極に二度攻撃を防がれた上、直後に燭台切光忠の一撃で致命傷を負ったのだ。

「うん。でも不調は誰にでもあるよ」
「甘いな、大将。いつ何時、災が降りかかるかわからねえんだ。戦力の要クラスのやつが備えられてねえんじゃ困る」

 ニヤリと笑って背中を叩かれたわたしは、仰る通りで、と苦笑いした。

「敵さんもそこまで馬鹿じゃない。百鬼夜行が終わって、こっちが油断しているときにってのもあるかもしれないだろ」

 これが演練で良かった、と薬研は続けた。
 加州と堀川と乱は飛び抜けて出陣回数が多い。主力と言っても良い三振りだ。彼らと出陣することが多い薬研は堀川の動きの悪さにいち早く気付いたのだろう。演練で負けるのは問題ないが、負け方が悪かったのだろうな、と薬研の横顔を眺める。

「今日はずいぶんと口数が少ないんだな」
「……いやあ、薬研の言葉を反芻してたんだよ。不調の在り方について考えてたの」

 それらしい言葉を並べて怪しまれないように帳尻を合わせる。まさか、昨日のわたしの言動で動きが悪くなっているわけではあるまいな、と不調の原因を考えたが、どれだけ考えてもそれ以外に理由が思い浮かばなかった。

「そうか。ま、俺たちがフォローすりゃ良い話なんだがな」
「これが続くようなら良くないけど、そこまで気にしなくても大丈夫でしょ。多分自覚してるよ」
「わかるのか」
「だって堀川くんだもん」

 やや離れた場所にいる薬研以外の皆に合流するために足早に歩み出す。五振りを見つけて近づくと会話内容が聞こえてきて、まさに堀川が反省しているところだった。鶴丸が「俺の立ち位置が悪かった」と言ったのに対して、堀川は「いえ、鶴丸さんは悪くないですよ。いつもだったら見えていました。僕の視野が狭かった」と肩を落としていた。

「ほら、自覚あり。反省できてるし次は大丈夫だね」
「流石は大将、よくわかってるな」
「わかってるっていうか、うちの子はみんな反省ができて、次に活かせるでしょ」
「それを知っているのが流石だって言ってんだ。うちに何口いると思ってる」

 わたしたちに気付いた乱が「あ、きた!遅いよぅ」と頬を膨らませる。薬研は片手を上げ、悪い悪いと言いながら輪に加わった。

「主さんとなに話してたの?」
「大将は俺たちの良き理解者だって話だ」
「ああ〜、ボクたちのこと大好きだもんね!」

 乱は、ボクも主さんのこと大好きだよ、と言って一度わたしをぎゅっと抱きしめると、足取り軽くゲートへと向かって行った。
 堀川の前で、且つこのタイミングでその会話は勘弁してくれ。わたしは事情を知らない彼らに届くはずのない念を送っていた。

「乱くんは今日もキュートだね」
「お、俺も同じことをすればキュートだときみに言ってもらえるかい」
「鶴丸はそんなことしなくても大変にキュートだよ」
「きみはいつも欲しい言葉をくれるなあ」

 口を大きく開けて朗らかに笑う鶴丸を横目に、わたしはというと非常に焦っていた。先ほどまでの会話が堀川の神経を逆撫でするようなことにはなっていないか。それだけが気がかりであった。ちらと様子を伺うと、楽しそうにふふふ、と笑みを浮かべていたがその内はわからない。今、信じられるのは沈黙を貫いている小夜左文字だけだ。

「お疲れさま」

 視線を送っておいて何も言葉を送らないのもおかしいから、簡単に労いの言葉をかけた。

「はい、主さんもお疲れさまです」
「いやいや、わたしは見てただけだし」
「そんなことないですよ。いつも終わったら振り返って気になったところを教えてくれるじゃないですか」
「素人目線じゃ参考にはならないだろうけどね」
「もう素人ってわけでもないでしょう」

 会話はいつも通りだ。良かった。胸を撫で下ろすと、堀川は「今日は格好悪いところ見せちゃったな」と言って歩き出した。

「格好悪いところねえ」

 いくらか堀川と距離ができると、ぼそりとわたしの背後に立っていた加州が呟いた。視線は正面のままにわたしにだけ聞こえるような音量で話し始める。

「あいつの不調、十中八九昨日のせいだよ」
「え?」
「主のことで頭いっぱいなんだって」
「やめてよ、堀川くんに限ってそんなことないでしょ」
「あるんだなそれが。俺と堀川、さっき相手した本丸の審神者と鯰尾がイチャイチャしてるところを試合前にがっつり見たから」

 絶句。今日はタイミングが悪い日らしい。
 


 あの日から数日が経ち、演練での堀川不調事件があった以外は、何事も変わらない。我ながらよくやっていると思う。もしかしたら堀川が和泉守に相談なんかしていて、ええいまだるっこい!とアクションを起こしてくるかしら、と思っていたがそれもない。本当にいつも通り。変わったのはわたしと堀川の胸の内だけだ。
 わたしはと言えば、なんだか開き直っていたりもする。好きなんだから仕方ない。言ってしまったものは仕方ない。切り替えがはやいのはわたしの良いところである。
 過去に、どうしても気持ちを吐露したくなって花街に赴いてしまったり(結局すごすごと帰ってきた)、彼宛に書いてしまった恋文があったりする(わたしが死んだら堀川にも渡さず棺に入れてくれと加州に頼んでいた)のだが、それだけではどうにもならなかったということだ。
 ひとの一生は短い。短いから隠し通せると思っていたわたしが間違っていたらしい。わたしと一緒に地獄で燃える予定だった恋文に、お前には荷が重かったかいと語りかけて、また棚の奥にしまい込んだ。
 そしてここしばらくは『主さんは、僕をどうしたいの』という堀川の問いにどう答えるべきだったのかを考えていた。あのときは口をついて出てしまった言葉に気が動転して自分のことばっかりだったが、落ち着いている今だったら彼の気持ちはわからないでもない。そりゃそうだ、ずっと気がないフリをしていた女が、先に進もうとしたがらない女が、急に態度をコロッと変えて「あなたのことが好きです!でも付き合いたいとかじゃないから!」と言いはじめたら「はあ?」ともなる。堀川国広は聡い刀だ。おそらく他の刀剣男士とは違う視線が向けられていたことは気づいていただろう。わかっていて、わたしに合わせてくれていたのだろう。でなければ、本丸の悪戯で彼と執務室に閉じ込められたときも、キスあれだけでは済まなかったと思うから。

「どうしたいんだろう……となりにいてくれればいいんだよな……」

 虚しく響く独り言。好きでいることを許して欲しい、今はただそれだけだった。
 じっとしていると考えて込んで余計に拗らせる可能性があると判断したわたしはその日から空いている日は図書館だの、博物館だの、美術館だのに足繁く赴いた。もちろん一人で。
 堀川のことを知るために、ちょっとでもわからないを少なくするために日本刀だったり、刀工堀川國廣だったり、新撰組だったり、改めて勉強することにしたのだ。応用問題に挑むためには、まず基本が固まっていなくては。今のわたしの精一杯であった。

「主ってなんでそうなの?なんか違うんだよな」
「うるさいうるさい、ちょっと違うかもってわたしも思ってるよ」
「ちょっとじゃなく、違うよ」

 加州は机の上に積まれた本とわたしを見比べる。流石に誰にも言わずに所在がわからなくなるのは良くないから、加州には話したのだがこの反応だ。角砂糖を二個入れた紅茶を飲みながら、スマホをスクロールする。

「今度はここ行ってくるね」

 画面をトントンして加州に示す。とある科学館で日本刀を通して現代に紡いできた技術だったり文化的だったりを学ぶ展覧会が開催されるらしい。子どもでも楽しめる体験コーナーもあるとのこと。

「俺も行っていい?」
「だめ」
「即答かよ」

 加州の申し出を断ると、彼は盛大なため息をついてガックリと肩を落とす。しかしすぐにがばりと起き上がって、断らせはしまいというような剣幕で言い放った。

「迎えには行かせて。最近ひとりでふらふらしすぎ。さすがに心配」

 わたしは渋々頷く。本当は一人が良いが、何かあってからでは遅いからお願いすることにした。

「いつまでがお勉強期間なの?」
「……わかんない」
「わかんないことだらけだね」
「なんか、せ、責めてる?」
「さあね」

 わたしが悪いのだが、「元通りに」と言ってしまった手前、堀川にこの話題を振って良いものか悩んでいた。次に話したとき、本格的に振られてしまったら流石のわたしも具合が悪くなって本丸の運営に影響を及ぼしてしまう可能性がある。

「うまくいかない。堀川くんのことになるとだめ。なんかむかついてきた」
「その怒りを本刃にぶつけたらいいじゃん」
「ええ?」
「喧嘩でもしたらいいんだよ。そしたら怒りの力でこう、なんとか、本音のぶつかり合い、みたいな?」
「何にむかついてるのかもわかんないのに」
「うわ、また『わかんない』って言ってる」

 わたしは口をつぐんで加州を思い切り睨みつけた。加州は「おお、こわ」とわざとらしく自らを抱きしめて、ぶるりとふるえる。そして体勢を崩してふっと笑った。

「そうやってさ、堀川とも俺にしてるみたいになんでも話せばいいんだよ」
「自分では話しているつもり……なんだけど」

 我が本丸では近侍は交代制を取っているのだが、中心となっているのは加州と堀川の二振りだ。そのため彼らとは必然的に会話が増える。わたしはおしゃべりが好きだから、話す必要のない時でもダラダラと適当なことをしゃべることが多かった。だからというわけでもないが、他の刀剣男士よりも『なんでも』を話している気になっていた。そして今、堀川が近侍でなくて良かったと改めて思った。この状態では話せるものも話せない。

「どうかな。俺に言わせれば幾分かお淑やかだよ」
「わたしが?」
「うん」

 淑やかとは、物言いや動作が上品で落ち着いているさまである。もし、その言葉を背に貼って歩いたら、みんなになんの冗談?と言われることだろう。加州が言うには、わたしが堀川といるときにはそれが備わっていると言うのだ。

「なぁに、自覚なし?難儀だねえ」
「だってずっと、ずっとこうなんですが」
「もういっそ堀川を俺だと思ったら」
「え、やだ」
「やだってどういう意味だよ」

 アハハ、とふたりで笑いながらわたしは加州に特大の感謝の気持ちを抱いた。ひとりだったらきっとどん底だ。こんなに明るくいられなかっただろうと思った。「ね、わたしやってみるからね」と言って、わたしは紅茶を一気に飲み干した。最後の一口は下に溜まった砂糖のせいで異様に甘かった。



 科学館に向かう日になった。玄関を出る前に忘れ物がないか確認をする。お財布とICカードとスマホと……チケットは現地で当日券を買うから無くても大丈夫。たくさん歩くだろうから、靴はお気に入りのスニーカーにした。よし、行くか、と立ち上がると背後から声をかけられた。

「今日も一人でお出かけですか?」

 堀川だった。これから洗濯なのか、洗濯を終えたのか、手には山姥切国広の布。どちらにせよ、洗濯場に行くのにこちらまでくる必要はないからわざわざ来てくれたということになるが、その事実が嬉しかった。

「うん、加州くんに行き先は伝えてあるよ」
「……そうですか、お気をつけて」

 今の間はなんだろうか。行ってきますを言おうとして口を開けたタイミングで、ガラリと玄関の引き戸が開かれた。そこには、掃除でもしていたのか竹箒を持った宗三左文字が立っていた。わたしがいることがわかると、わざわざ入り口を塞ぐようにして立ち、見下ろしてきたので「なに?」と尋ねる。

「最近は伴もつけずにあちらこちらでコソコソと、一体何をしているんだか」

 ぎくり、身体をこわばらせると堀川がすかさずフォローを入れた。

「まあまあ、主さんにも色々あるんですよ」
「そうだよ。乙女には色々あるの」

 それに乗じて声を重ねると宗三は近づいてきてわたしの鼻を軽く摘んだ。しかし、視線は堀川に注がれている。

「何をしてようがどうでもいいですけど、貴方、しっかり手綱を握っておかないとこれはとんでもないところに行きますよ」
「……僕?」
「宗三さん、主をこれ呼びとはどういう了見だい」

 宗三はわたしを無視して堀川と会話を続ける。

「僕らの主は普段からちょろちょろと落ち着きがないし、偶に突拍子もないことをする。今がそうなんじゃないですか?って言ってるんです。頼みの綱の加州清光はどういうわけだか、これを泳がせている」
「……はい」
「ねえ、またこれって言った!」

 堀川は宗三の話を聞きながら、わたしを宥めるように背を軽くぽんぽんと叩いた。

「加州が駄目なら、貴方くらいではないですか。そばにいられる刀も限られてきますから」

 まるで「それは僕の役割ではないので」とでも言うかのような一言だ。言いたいことを言って満足したのか、玄関に置いてある掃除用の手拭いをとってから、宗三は「どうぞ、気をつけていってらっしゃいな」とわたしに言うとそれ以上言葉を紡ぐことはせず、外に戻っていった。

「言われちゃったね、主さん」
「わたしはともかく堀川くんまで怒られたみたいになっちゃった。ごめん」
「気にしないでください。宗三さん、主さんと仲良しだから心配なんだよ」

 堀川はにこっとお手本のような笑顔をした後、いくらか真面目な表情をしてわたしの右耳に触れた。耳元でかちゃ、とイヤリングが鳴る。どうやら金具に引っかかって裏返ってしまった飾りを直してくれたらしい。あの日から、話はするものの距離がここまで近づいたことはなかったからどきりと心臓が跳ねた。どこを見ていいかわからず、視線を迷わせていると、

「僕、ちゃんと元通りにできてますか?」

 静かに堀川は問うた。
 まさか堀川からその話題に触れてくるとは思わず、わたしは時間を理由に立ち去ろうと一歩引いたがそれを察したのか彼は諦めたように手を引いた。
 だめだ、ここで逃げては。加州に「やってみるね」と言ったばかりではないか。わたしはなんとか踏ん張って顔を上げ、堀川の目を見た。

「できてる。できてるけど、今、元通りにならなくてもいいように頑張ってるから、ちょっと待ってて」

 返事が返ってくるとは思わなかったのか、彼は虚を衝かれたような顔をした。それって、と形の良い唇が動いたのを見て、わたしは追求されても返せそうにないと判断し「電車の時間!迫ってるから!」と足早に本丸を出たのだが、果たしてわたしの意図は通じただろうか。
 


「うわっ!」

 最寄駅について改札を出ると突風に襲われた。うんざりするほど天気が良くて、うんざりするほど日差しが強くて、うんざりするほど風が強い。整えた髪は、あっという間にぐちゃぐちゃになった。目的地までここから徒歩五分ほどかかるらしいので、館内に入るまでは見た目は気にしないことにした。
 当日券を購入し館内に入る。ベンチに腰掛け一息ついてからコインロッカーに荷物を預けた。最低限のものがあればいい。平日の昼過ぎ、もっと言えば閉館の三時間前。人はまばらでゆっくり見るのにちょうど良さそうだった。
 順路に沿って展示を辿っていく。日本刀の特徴やどんな工程を経てできているのか、かなりわかりやすく説明がなされている。鍛冶場を模したエリアがあって、そこで鍛錬や研ぎをゲーム感覚で体験できるものがあったりしてなかなかに楽しいものであった。そして、先に進んで行くと、刀身の模型を持って観察してみようというコーナーがあった。オリジナルの刀かと思いきや、よく知った刀がそこに置かれていた。

「山姥切国広だ……」

 本丸での姿が過ぎり、思わず笑みが溢れる。いつも本丸で真剣を取り扱うときのように、そっと手に取り持ち上げたが模型だからか重さがまったくなく、「お」と声が漏れてしまった。気を取り直してよく観察する。審神者になりたての頃は見ていられないほどに危なっかしい手付きだったが、今では慣れたものだ。照明を受けて刃がキラリと光る。本物はもっと美しいぞ、と思いながら刃文を眺めた。

「大鋒……先反り……浅い湾れ……」

 ぶつぶつと特徴を呟きながら最後に茎を確認すると、そこもしっかりと作り込まれているらしく、表にも裏にも銘が刻まれていた。しげしげと観察して満足したわたしは、刀掛けに模型を戻して顔を上げる。すると、そばにいた看視員と目が合った。彼女はにこにこと笑顔を掲げてわたしに話しかける。

「随分とお詳しいんですね。それに扱いに慣れていらっしゃるようで」

 先ほどのつぶやきを聞かれていたようだ。ずっと見られていたのか、と身体の体温が少し上がった。

「ありがたいことに、こういった刀剣に触れる機会が多くてですね……いつのまにか詳しくなっていました」
「ふふふ、お好きなんですね」
「はい」

 好きか、という問いにはっきりと頷いたわたしは、堀川にこれくらい素直にできたら何か違ったんだろうかと思った。
 会話もそこそこに、残りの展示も堪能して一息つく。ひとつひとつをじっくり見ていたからかなり時間が経っていた。小腹が空いたような気もするが、何か食べようにも場所を移動しなければいけなかった。どうせ加州に迎えに来てもらうわけだから、本丸に帰る前に彼と一緒にカフェにでも行こうかな、と連絡を入れる。本丸を出る前に起こった出来事も話しておきたい。

「えっと……用事済んだよ、お迎えよろしく、と……」

 既読がすぐについてポコンという間抜けな音と共に『了解、すぐ行くから待ってて』と返事が来た。本丸の中で一位二位を争う返信の速度を誇る加州は、フリック入力が得意だ。
 十分も経たないうちに、到着を知らせるスタンプが送られてくる。刀剣男士はゲートを使っての特殊な移動になるため、短時間の移動が可能なのだ。

『いる』
『どこ』
『チケット売り場』
『はーい』
『出たらわかるよ』
『うん』

 チケット売り場は出入り口の正面にあるし、もう最終受付時間を過ぎているから人もいないはずだ。迷うことはないだろう。ありがとうのスタンプを送り、ふかふかのソファを立つ。スタッフのありがとうございましたという声を聞きながら自動ドアに近づくと言われた通りの場所に人影が見えた。
 しかし、わたしは歩くスピードを緩め、完全に止まって再び加州にメッセージを送る。

『すみません』
『はい』
『いませんよね』
『います』
『どういうつもりですか?』
『今回の件は、俺は悪くありません』

 加州がいるはずの場所には堀川国広が立っていた。
『ねえ、出る前にちょっとあったの』『聞いてますか』『無理です』『加州さん』『おーい』『初期刀様〜〜〜』
 急に既読がつかなくなり、一方的にメッセージを送りつける。さらに、涙を流すこんのすけのスタンプを夢中でポコポコと送っていると、スマホの画面が誰かの手で遮られた。

「どんなに待ったって、加州さんは来ませんよ」

 堀川はわたしの手からするりとスマホを奪うとメッセージを打ってからわたしに返してきた。画面を確認すると『合流しました』『了解』というやり取りが残っていた。わたしはもう一度だけ、涙を流すこんのすけのスタンプを送った。

「なんで……」

 なんでいるの、という言葉を言おうとして途中で口を閉ざした。まるで堀川がここに来たことが嫌だと思っているかのように聞こえてしまうかな、と思ったのだ。緊張はするが、嫌ではなかった。

「僕が加州さんにお願いして代わってもらったんです」
「……そうなの」
「本丸だと、ちゃんと話せないでしょう」

 閉館のアナウンスがホールに響いている。堀川は意思を持ってこの場にいる。退路は無い。心臓がきゅっとなった。

「じゃあ、行……あ、でもあの、ちょっとお腹すいちゃったから、軽く食べたいんだけど」

 腹が減っては戦はできぬ。美味しいものでも食べたら、気分が高揚してどうにでもなるかもしれない。

「うん、そうしましょう」
「ここ、ここね。美味しいんだよ」

 スマホの地図で近くのカフェを示すと、堀川は画面を覗き込んで店の名前を確認してから頷いた。しかし、わたしがコーヒーが飲めないことを知っている彼は「珈琲専門店みたいですけど、主さん大丈夫なんですか?」と尋ねる。先日初めて利用したのだが、ここの蜂蜜ラテが美味しくて、ちょうどもう一度飲みたいと思っていた。

「ここのは美味しくて、飲めたの。ラテだけど」
「そっか。じゃあ問題ないですね」

 会話もそこそこに、やっと科学館を出る。もう何組もの来館者を見送っていた。外は風はまだ強くて涼しいとも言えない空気だった。カフェまで少し歩かねばならなかったから、その間堀川と何を話せばいいかを考えていると、そんな考え事をよそに彼は話しかけてきた。

「加州さん、結構手強かったですよ」
「どういうこと?」
「なかなかお迎えを僕に任せてくれなかったんです」

 意外である。良い機会だからこの際もう一回話し合ったら、とか言って送り出しそうなもんだが、そうではなかったらしい。

「泣かせたら重傷で済むと思うなよ、だって」
「そんなこと言ったの?」
「あと、ここまできたら押せって言われました」
「お、押せって……」

 それではまるで、堀川がわたしに気があるみたいな言い方だ。しかし、これまでの会話から、加州が『今回の件は、俺は悪くありません』とメッセージで言っていたのが腑に落ちた。一応、引き留めてくれていたわけだから。
 正面からこちらに向かってくる散歩中の犬を眺めながら、わたしは堀川に問いかける。

「押すの?」
「押したら、落ちてくれますか」

 ご機嫌な犬が、わたしの横を通り過ぎていく。チャッチャッチャッという可愛らしい足音を聞きながら、今、とんでもないことを言われたような気がするな、と堀川の顔をまじまじと見た。落ちるも何ももう奈落の底だ。拗らせに拗らせているから現状のようなややこしい事態になっているというのに。わたしの内情を知らない彼はいつもと変わらぬ穏やかな笑みを浮かべていた。

「僕は主さんとどうにかなりたいし、気持ちを知ってしまったら無視はできない。元通りにはしたくないです」

 わたしの頭の中にあのときのわたしの言葉がこだました。

『堀川くんとどうにかなりたいとか、そういうんじゃなくて』
『ただ、言っちゃっただけで』
『気にしないでね。明日には元通りだから』

 今の彼の言葉はわたしが言った全てを否定するものだ。

「なんか、それって、堀川くんがわたしのことすきみたいに聞こえる」
「好きですよ」

 核心をつくを突く聞き方をしたのはわたしだが、こうも素直に返事をされると、かあと体温が上がる。気温によるものではなく、己の内側から湧き起こるような熱だ。

「だから、ちょっと怒ったんです」

 やっぱり怒ってたんだ。答え合わせをしているようでパズルのピースがはまっていくようで、やはり話をするのは必要だなと、他人事のように思った。

「主さん、あのときすぐに『ちがう』って言ったの覚えてる?違うって、間違えたってことでしょう。それが嫌だったんです」
「どういうこと?」
「言ってしまったことを間違えた、とそういう意味だとは理解してました。でも、そうだとしても僕を好きになってくれたその気持ちを否定されたように思えてしまって。間違いだなんて言ってほしくなかった」

 ぽつりぽつりと気持ちを伝えてくれる堀川の言葉を静かに聞いていた。風が強かったはずなのに、今はとても凪いでいる。

「だから聞いたんです。僕をどうしたいのって」

 もう一度聞いても良いですか、と堀川の目が言っている。正直いまだにわからない。堀川としたいことはたくさんあれど、彼をどうしたいのかはわからなかった。このまま黙っていても同じになってしまう。わたしは素直にそのまま伝えることにした。

「まだ、わからなくて」

 堀川はあんなに自分の言葉を紡げるのに、わたしは糸がこんがらがったみたいぐちゃぐちゃになってしまって解けなくなる。審神者という立ち位置が、主という立ち位置がどうしても邪魔をする。情けなくなって立ち止まってしまった。彼のことになると、どうにも自信がなくなってしまう。

「——さんは、どうしたいの」

 数歩先を行く堀川がわたしの名を呼んだ。

「わたし?」
「そう、主さんじゃなくて、あなたは?」

 仮面を外せ。

「堀川くんてすごいね」

 彼は何も言わずに微笑んでいる。

「堀川くんに好きになってほしいって思ってるし、ずっとすきでいたい。堀川くんがわたしのこと好きじゃなくても、すきでいさせて欲しい」

 言ってしまった。しかし今回はこぼれたものではない。しっかりと伝えたくて言葉にした。

「ごちゃごちゃ考えてるけど、ただ隣にいて欲しくて。あ、でも、できれば手をつないだりとかしたいけど」

 すると堀川はこちらに戻ってきて横に並ぶと、

「手、つなぎますか」

 と言ってわたしの手をそっと握った。そして、風に押されるようにゆっくりと歩きはじめる。

「嬉しいけど、無理にそうさせてるのなら嫌」
「ええ、僕、さっき好きって言いましたよね?」
「……信じられなくて」
「それは僕もそうですよ」
「うそ、わたし言い方は違うけど、ただ漏れだって言われたのに」
「だって、主さん良い反応したと思ったら次の瞬間にはけろりとしてるから。僕の勘違いかなって、確信は持てなかったですよ」

 それに、と堀川は続ける。

「主さんは『すき』って言葉をよく使うでしょう。僕らに対する友愛も家族愛も敬愛も、あんまり興味がない上辺だけのものもたくさん聞いてきました。そして僕らに対する愛はどれも平等で大きいから」

 わたしは『わからない。わかってあげられない』と言われたことを思い出す。

「色が多いって話?」
「はい」
「わたしの堀川くんに対するすきは、愛だの恋だの、そういうすきだよ」

 ちゃんと伝わるように目を見てはっきり伝えた。堀川は目を細めて、きゅっと手を握った。それだけで満たされた。好きでいていいと言ってもらえたように感じて、ひとり安堵の息を吐いた。
 こうして、腹ごしらえをする前にわたしたちは辿々しくも決着をつけた。
 


「……は?」
「だから、えっと、まずは座学からと思って」

 わたしたちは目的のお店に入って注文を済ませ角のふたり席に向かい合わせで座っていた。テーブルにはわたしが頼んだ蜂蜜ラテとホットサンドと堀川が頼んだ濃口のカフェラテ。

「ちょ、ちょっと待ってください」

 前にいる堀川は口元を抑え、笑いを堪えている。わたしは恥ずかしくなってきて、ホットサンドにかぶりついた。耳が熱いから多分、赤く染まっていると思う。

「笑いたいなら笑えばいいよ」

 どういう状況かというと、あの日から今日まで何をしていたのかを話したのだ。加州に「なんでそうなの?」と言われたが、堀川の反応を見るにやはり可笑しかったらしい。

「い、いえ、すみません。主さんだなあって、思って」
「何それ、こっちは『わからない』をどうにかしようと一生懸命だったのに」
「そんなことしなくても、もう十分知識はあるじゃないですか」

 手元のカフェオレを一口飲んで、ふぅ、と落ち着いた堀川は話を続ける。

「回りくどいことしなくても、わかんないって僕のところに来てくれれば良かったんですよ」
「そんな余裕なかったんだよ」
「……そっか、でも良かったのかな。その間、僕のこといっぱい考えてくれたってことですもんね」

 その間じゃなくても堀川でいっぱいだったよ、という言葉をホットサンドと一緒に飲み込んで、彼の足を軽く小突いた。相変わらずにこにこと笑みをたたえている。

「今日、堀川くん来ると思わなかった」
「ここで放っておいたら一ヶ月後とか、もっとかかるだろうな、と思ったんですよ」

 有り得なくはない。わたしは苦笑いをした。

「主さんって、普段は思い切りが良くて好奇心に任せて突き進んでいくことが多いけど、肝心なところで臆病になることが多いでしょ」
「臆病かな」
「うん。だから僕が来たんです」

 彼がいつからわたしのことを好いていてくれたのかわからないが、もし、わたしのように長い間想いを燻らせていたのだとしたら。この好機を逃す手はあるまいと、機転を利かせて動いていたのかもしれない。
 それから、ずっと加州に話を聞いてもらっていたことや日光に気持ちを知られていたことを話すと、流石に一文字の名が出てくるとは思わなかったのか堀川も驚いていた。おしゃべりをしながら舌鼓を打っていると、テーブルの上に伏せていたスマホに通知が入った。加州である。タップして画面を開くと『上手くいってるなら、帰ってこなくてもいいよ』というメッセージと共にハートにしがみついているまめのすけのスタンプが送られてきていた。わたしは『ばか』と素早く送ると、席を立って座っている堀川を見下ろした。

「そろそろ帰ろっか」
「帰るんですか?」
「えっ」

 立ち上がる気のない堀川に驚きながら、わたしは「帰らないの?」と呟く。

「ふふ、さっき画面見えちゃった。帰ってこなくてもいいって文字があったから」
「か、加州くんなりの冗談でしょ」
「そうかな、残念」

 堀川は空になったカップを持って立ち上がると、「ま、そういうのは追い追いね」と言ってわたしの荷物も持ち、出入り口に向かっていく。彼の背中を追いながらこの先の未来をぼんやり想ってくすぐったくなった。
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