正編
ファーストピアス
机の引き出しの中から新品のピアッサーが出てきた。ぐちゃぐちゃになってきたから片付けようと中のものを出しているときだった。ちなみにこれはわたしのためではなく、ピアスをつけている男士たちのピアスホールが万が一塞がってしまったときのためのものだ。そんなことあるのか?と思う人もいるかもしれないが、わたしの本丸では一度だけあった。
審神者になって間もない頃。何もかもが手探りで、不安でいっぱいで、刀剣男士に恋をするなんて思ってもいなかった頃。まだ太刀だった和泉守兼定が早朝に部屋を訪ねてきた。
「主、悪い。ちょっと来てもらえるか」
早起きが苦手なわたしは目をしばしばさせながらなんとか頷き、おぼつかない足で和泉守のあとをついていった。寝巻きのままでほんのちょっぴり焦ったように見える彼は少し歩が速くて、わたしが追いつくためには時折小走りをする必要があった。
「オレが注意してりゃ良かったんだが、そこまで頭が回らなかった」
何のことかまったくわからないまま、和泉守の部屋まで連れてこられた。確か堀川国広が同室だったはずだが、彼に何かあったのだろうか。速足で上がった心拍数を抑えつつ部屋を覗きこむと、そこには右耳をタオルで抑え、布団の上で体育座りをしている堀川がいた。よく見ると白いシーツの上に点々と血液らしきものが付着している。わたしは何だ何だと目を丸くして堀川に声をかけた。
「どうしたの。怪我?」
「あれ、主さんだ。薬研さんを呼びに行ったんじゃなかったんだ」
堀川にとってわたしの登場は予想外だったらしく、彼は眉を八の字にして力無く笑った。そして、視線を迷わせると言いにくそうに口を開いた。
「すみません。耳飾りが布団に引っかかってしまったみたいで」
「切れちゃったのか。結構酷い?」
「うーん、どうだろう。自分じゃ見られないから」
「そこそこ裂けてたぞ。さっさと手入れしてもらえ」
呆れた様子で和泉守が手入れを促したのを合図に、わたしは乱暴に片寄せられた布団を踏みながら堀川に近づく。傷口を見るためにタオルにそっと手をかけたが、彼は慌てた様子でそれを制した。
「血がついちゃいますよ」
何を今更!血がつくのが嫌だったら審神者なんて初日でやめている!心の中で言い返してから、わたしを制する手をペシっと叩き落としてタオルを捲った。
「おお、痛いねえ」
痛い目に遭うのは嫌だけど、ある程度の傷口とか出血とかを見るのは結構平気だ。注射なんかも刺すところから抜くところまでじっくり見てしまうから、医者や看護師にそんなに見られると緊張するなぁ、とよく言われたもんだ。まあ、そんなことはどうでもよくて、肝心の堀川の耳朶はさっくり裂けていて、そこそこの出血を物語るように白いタオルは赤く染まっていた。これを薬研にどうにかしてもらおうとしていたのか。
「手入れ部屋に行こう。ガーゼで抑えてどうにかなるもんじゃないよ」
「でも、これくらいで主さんの手を煩わせるわけには」
「でももだってもいりません。うちにきたからには少しの怪我でも手入れします」
「国広、観念しな。ここじゃ
堀川は和泉守にめっぽう弱いらしく、すんなりと立ち上がった。その様子を見ながら、きっとわたしだけの言葉じゃ説得にもう少しかかっただろうな、と肩を落とす。手入れ部屋へ向かう途中で「こんなことで、格好悪いな」なんてうしろから独り言のようなものが聞こえてきたけど、聞こえないふりをした。そんなことないよって言ったら、彼はもっと気にするんじゃないかと、なんとなく思ったのだ。
手早く手入れを済ませて自室に戻り、身なりを整えていると気づけば朝餉の時間だった。大広間に移動して適当な席に腰を下ろすと、いつもは加州と短刀あたりが座ってくるのだが、早朝のことがあったからか今日は珍しく右に和泉守、左に堀川が座った。まだ来ていない男士たちを待ちながら、味噌汁の香りを堪能していると和泉守が口を切った。
「主、国広の耳をよぉく見てみろ。触っても良し」
「なんでぇ、治ってなかった?」
「兼さん……僕が言おうと思ったのに……」
これまた申し訳なさそうに肩を落とす堀川。わたしは髪を耳にかけながら手入れした部分を言われたとおりによぉく見て、触って確認する。傷口は綺麗に治っているし、耳朶は柔らかく、形も良い。
「綺麗に治ってるじゃん」
「そうだな。綺麗にな」
「はい。綺麗なんです、けど」
一人ではてなマークをあちらこちらに飛ばしていると、聞き耳を立てていたのか身支度を完璧に済ませた加州清光が四つん這いで背後から忍び寄ってきた。
「主、俺がヒントあげるよ」
彼は片方のピアスを外すとわたしに手渡し、耳を触るよう促してきた。加州の耳朶は堀川に比べて薄い気がする。自分には無いピアスホールの感触がちょっと不思議な感じだ。とはいえ穴は小さいからそこまでわかるものでもないけど……と感触を楽しんでいるうちにわたしは答えに辿り着いた。
「わかったぁ?」
「うん。綺麗になったら、
「そうそう。そういうこと」
和泉守がうんうん頷いているのを横目に見ながら、加州にピアスを返す。装着する姿も様になりますね。自席に戻る前にコソッと卓に皆が揃ってることを伝えられたので、いただきますの号令をかけた。卵焼きを頬張りながら堀川の耳をもう一度確認する。
「自分で無理やり開けちゃだめだよ。どうにかするから」
「わかりました。大人しくしてますね」
念のために釘を刺すとお手本のような笑顔と良い返事が返ってきた。ところで、ピアッサーって万屋に売ってるんだろうか。空き時間に見に行ってみようかな、とぼんやり考えながらついでに和泉守の耳朶も触っておいた。厚っこかった。
⌘
「堀川くん、湯浴みが終わったら執務室おいで。ピアスホール開けようか」
夕餉が終わり、一緒に洗い物をしていた堀川に声をかけると大きなくりくりのおめめを一度ぱちくり瞬かせて、わかっていなさそうな声色で肯定した。刀剣男士は、現代用語ことにカタカナに弱いかも、なんて噂が流れていたがあながち間違いではないんだろうな。
「何も用意せずに、身ひとつで来てもらえればいいからね」
業務の間に伴もつけずに万屋へ向かったわたしは、うろちょろと店の中を彷徨いながらもピアッサーを購入することに成功していた。さすが万屋というべきか、ピアッサーは何種類か陳列していた。ピアッシングなんてしたことがなかったわたしは売り場の前でしばらくの間唸ってしまったものの、あまり時間を浪費して加州にひとりで出歩いたことがバレるのも怖かったから、一番人気のポップがついているものを手に取ったのだった。痛みはほとんどないらしいし、十六ゲージは耳朶によく使われるサイズらしい。堀川のピアスはさほど大きなものではないから、大丈夫だと信じたい。情けないことにすべて、推量と願望であった。
消毒液や保冷剤など必要なものを準備しながら堀川を待つ。開けようとは言ったが実際に穴を開けるときは彼自身にやってもらったほうがいいだろう。力が足らずに痛い思いをさせてしまうのは申し訳ないし、何よりわたしにピアッサーを扱う勇気も自信もなかった。肉を貫通する感覚があったりするんだろうか。傷や血を見るのは平気だが、生々しい感触が手に伝わってくるのはやや苦手であった。
「主さん、堀川です」
少しの緊張と共に待っていると障子戸越しに声がした。主役のお出ましである。
「いらっしゃい、どうぞ」
平静を装って堀川を座布団の上に座らせ、保冷剤を渡した。耳を冷やしてもらいながら、ピアッサーの使い方とわたし自身ピアッシングの経験がないことを伝える。彼は静かに話を聞いていた。
「というわけで、ガシャンとやるのは堀川くんにやって欲しいのね」
「え」
「え……えって、なに」
予想外の返事だった。素直で真面目な堀川のことだから、二つ返事で承諾してくれると思っていたのに。
「あ、いや、すみません。せっかくだし主さんがやってくれないかなって思って」
「わたしの話聞いてた?ちゃんと力を入れる自信がないからさ、失敗しちゃうの怖いし、何より堀川くんが痛い思いするのが嫌なの」
にこにこしながら「聞いてましたよ」と答える彼に絶句しながら、わたしは手に持っていたペンをずっといじっていた。そんなわたしの様子を見ながら堀川は少し考えるそぶりを見せたが返ってきた言葉は望んでいたものではなかった。
「うん。やっぱり主さんがやってください」
「どうしても?」
「どうしても。僕、鏡見ながら作業するのに慣れてないからひどいことになるかも」
絶対嘘。一緒に生活をしはじめてそんなに経っていないけれど、彼が器用なのは日々の生活を見ていればわかる。こんなことを言う一面もあるなんて意外だった。「痛かったとしても謝らないからね」と覚悟を決めて伝えると、堀川は何を根拠にしたのかわからないが「大丈夫ですよ」と言って保冷剤を机の上に置いた。それを見たわたしはせっかく麻痺した感覚が戻ってしまってはいけないと、手元のペンで耳朶に素早く目印をつけて、消毒を済ませ、ピアッサーを手に取った。針を目印に合わせて位置を確認する。斜めにならないように、真っ直ぐに……息を忘れるほどに必死になって調整していたのに、あろうことか堀川は肩を震わせて笑った。
「ちょっと!笑わない!ずれる!」
人がこんなに必死になっているのに何だというのだ。わたしは一度針をを離して思い切り肩を叩いた。
「痛、すみません。主さんがあんまり真剣な顔をしていたので。息はしたほうがいいですよ」
わたしは深呼吸をしてから、ふたたび耳朶に向き合った。「次、笑ったら自分でやってもらうからね」と釘を刺したおかげか、大人しく待っている。
「まっすぐまっすぐ……」
針が肌に触れるくらいまで押し込み、一呼吸置いてから堀川に「いきます」と声をかける。
「せいっ!」
お腹から声を出し、思い切り握り込んだが、感触的にそこまで力を入れなくても良さそうな感じがした。震える指先でそっと器具を下ろすとピアスを固定していたらしい小さくて透明なプラスチックのかけらがころんと落ちてきた。耳朶にはシルバーのピアスがしっかりついている。
「できたっぽい……痛くない?」
「ありがとうございました。痛みはまったくなかったですよ」
「あ〜、緊張した」
「掛け声、薬研さんにそっくりでしたね」
終わってしまえば、こんなもんかという感じだ。何でもそうだ。やる前が一番緊張する。出血していないか耳朶を確認しながらしばらくはちゃんと消毒するように伝えて、片付けに移った。
「なんかねえ、穴が安定するまで一ヶ月くらいかかるんだって。それまで外さないようにね。まあ、その状態で手入れしちゃえばいい感じになりそうだけど」
「わかりました。また引っ掛けないようにしないとですね」
「そうだね」
苦笑いを浮かべて相槌を打つ。今回のことを受けて、ピアスをつけている子には寝る前に外すように伝えなければとか、もしものためにピアッサーは常備しといたほうがいいんだろうかとか、ぐるぐる考えていると装着したばかりのピアスをいじりながら何やら鼻歌でも歌い出しそうな上機嫌な堀川が目に入った。初めて見るその表情が珍しくて声もかけずに観察していると、気配に聡い脇差である彼と目が合わないわけもなく、夏の空を写したようなブルーの瞳はわたしを捉えていた。こんな綺麗な子に、必要なこととはいえわたしの手で傷をつけてしまったのか。嬉しそうな彼とは裏腹に罪悪感のような、やましさのような、わたしの中には何とも言い難い感情が渦巻いていた。
⌘
「懐かし」
あれ以来、耳飾りをしている子が顕現すると就寝時に必ずそれを外すように、と指導が入るようになったので同じようなことは起こっていない。だから念の為に買ったこのピアッサーも今日まで引き出しの中で眠っていたわけだ。
「もう使わないかな」
使わないならわたしが開けてしまおうかと思ったけど、イヤリングで十分楽しめているし、開けたとしても結局使わずにすぐに塞がってしまうだろうな、と考えてやめた。うーん、と伸びをしてそのまま後ろのビーズクッションに倒れ込む。すると見計らったように近侍の堀川がお盆を携えてやってきた。
「お疲れ様です。タイミングはバッチリだったみたいですね」
「やだ、だらしない格好」
「別に気にしないですよ」
自分でだらしない格好だと言いつつも、クッションにもたれたまま机にお盆を置く堀川を眺める。いつ見ても背筋がピンと伸びていて、猫背なんて知らないのだろうなと思うほどだ。背丈はわたしとそれほど変わらないのに、堂々としていて一まわりも二まわりも大きく見えるその背中が大好きだった。
「今日のおやつは燭台切さんお手製ブラウニー。それと、堀川国広ブレンドティーです」
魅力的な響きが聞こえて、がばりと起き上がる。燭台切のブラウニーが最高なのはもちろんのこと、問題はその次だ。
「堀川くん、ブレンドしたの」
「すみません。主さんの茶葉、勝手に使っちゃいました」
「いや、それは全然気にしないんだけど。え〜、いい匂いする」
「お口に合えばいいんですが」
ベースはダージリンだろうか。香りを楽しんでいると、堀川は机の上のピアッサーにひたと視線を向けていた。その表情からは何を考えているのか伺えなかった。
「それ、覚えてる?」
「もちろん。僕にとっては大切な思い出ですから」
「大袈裟」
「シルバーのピアスも大切に取っておいてありますよ」
堀川はそう言って得意げに笑った。顕現した頃と比べてカタカナに強くなったもんだな、と見当違いなことを考えて、都合の良いように捉えないようにしていた。あの時は特別な感情なんて抱いていなかったから、接するときにごちゃごちゃと考えずに済んでいたけど、今は違う。わたしは恋心が顔を出さないように抑えるのに必死だった。
「それ、使う予定あるんですか?」
「無いよ。予備で買ったんだけど、出番無いからどうしようかと思ってた」
「それなら、僕がもらっても?」
「別に良いけど」
「もし、使うことがあれば僕が付き添おうと思って。やり方わかるの、僕と主さんだけだから」
聞かなくても理由を挙げる堀川に素直に頷いて、紅茶を一口飲んでから箱を渡した。美味しくて、つい顔を綻ばせると堀川は「美味しい?よかった」と表情を崩した。
「できれば、これをもう一回僕に使って欲しいくらいなんですけどね」
ブラウニーに舌鼓を打っていると、堀川はわたしから手渡されたピアッサーを渋い顔で見つめながらぼそっと呟いた。堀川の右耳には赤いピアスがきらりと光っていて、新たに開ける必要はないはずだ。
「なんで?」
「僕、あの後に戦場で耳を吹き飛ばしてるんですよ。手入れで綺麗に治っちゃったんで、正確には今のこれは主さんに開けてもらった穴ではないというか……。僕たちを傷つけることがない主さんが、唯一僕に針を通したっていう事実が、日を追うごとに、何というか、たまらなくなってしまって」
右耳を触りながら伏し目がちに語る堀川を見て、わたしはどう答えるのが正解か考えあぐねていた。理由なんか聞かずに適当に流せばよかった。堀川国広もまた、モノであるが故か、
「だから、できるならもう一度開けて欲しいなって」
彼が顔をあげて、そうして、かちりと目が合う。
「残念だけど、わたし、手入れ上手になっちゃったから、難しいよ」
「ふふふ、そうですね」
うまく返せただろうか。綱渡りに挑戦しているかのような心地だった。せっかくのブラウニーと紅茶の味がわからなくなってしまって、堀川の手の中にあるピアッサーを恨めしく思った。堀川は「久しぶりにシルバーのやつつけようかな」と言いながら去っていった。
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