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刀さに 短編

交錯


 日光一文字と喧嘩した。
 はたから見れば私が勝手に不貞腐れているだけに思えるかもしれない。
 誰もいない深夜の台所で酒を煽りながら、つまみのナッツを噛み砕いていると鋭い痛みと共に口の中に血の味が広がる。ナッツの破片が肉を裂いたようだった。
 喧嘩の理由は、今考えるとどうしようもなくて、ほとんど私のプライドが原因だ。短時間であれば供をつける必要もなかろうと一人で万屋へ向かった矢先、後から追いかけてきた日光に「弱いのだから、一人で外に出るな」と言われたのだ。強くあろうと日々背筋を伸ばし、胸を張り、輝かしい戦績を残すために奔走しているというのに、貴方はそれをそばで見ていたというのに、弱いと宣うのかと、カチンときてしまった。
 傷付いたであろう箇所を舌でなぞりながら、テーブルに突っ伏する。そうしてから、「馬鹿」とやり場のない感情を腕の中に吐き出して、ぎゅっと目を瞑った。

「誰が馬鹿なんだ」

 背後からよく知った声がして、ドキリとする。アルコールが入っているから、いくらかマシだが、やっぱり顔を合わせるのは気まずい。
 黙ったままでいると、ガタリと隣の椅子を引いて腰を下ろしたようだった。音がしたほうに顔を向け、視界を悪くするように垂れ下がる髪の隙間から様子を伺うと、彼はこちらを見下ろしていた。

「私が馬鹿なの」

 日光はそろそろと私に手を伸ばし、優しく髪を払う。視界が開けて恋刀の顔がよく見えるようになった。

「俺は聡明だと思うが」
「弱くても?」
「言い方が悪かった。心配なんだ」

 いかにもあなたの言葉を気にしています、とアピールするような嫌な聞き返し方だ。はやく仲直りしたいのに素直な言葉が出てこない。日光は形の整った精悍な眉を寄せて、まるで涙を掬うかのように私の頬を親指で撫でた。私はそれをやんわり払いのけると、起き上がって酒を一口飲む。

「いいよ、もう。たった今、よわっちいのを自覚したところだから」
「自覚?どういうことだ」

 情けなくて言うのが憚られたが、皿の上にある残り少ないナッツをつつきながら、口内を切ったことを伝える。すると、日光はぐっと体を近づけて私の顎を掴んだ。

「見せてみろ」
「無理だよ。内側の、上顎らへんだもん。見えないよ」

 半ば無理矢理に顔の向きが変わったから、ほんの少し首が痛い。離してもらおうと彼の腕に触れたが、そのときにはもう手遅れで、彼の唇が私の唇に触れていた。口を開けろと言わんばかりに舌を這わせてきたが、ここで流されてはならぬと、私は歯を食いしばって力一杯突き放した。

「なんだ」
「なんだ、じゃない。首痛い」

 文句を言ったあとに言葉選びを間違えたことに気がついた。これではキス自体は満更でもないことになってしまうのではないか。案の定そう捉えられたらしく、日光は自分の膝をポンと叩きながら「こっちにこい」と私を導いた。

「やだ。口の中怪我してるって言ってんじゃん」
「だからだ。治してやる」
「いい、いらない」

 口では拒否しつつも、日光とのキスが気持ちいいことを知っている私は、のろりと立ちあがって導かれるままに近づく。椅子が床と擦れてギイと嫌な音を立てた。
 促されるまま膝の上に、ちょうど姫抱きのような体制で座ると、日光はそのあいだに眼鏡を外した。そして、私が落ちないように腰に腕を回し、無言で私の顔を上に向けさせると唇に噛みついた。性急に舌が侵入してきて、口内を入念に探られる。厚っこい彼の舌が中で蠢くのを受け入れるのは、最初こそ苦しく喘いだものだが、今ではそれが心地よくて、気持ちよくて、体温が混ざりゆく感覚を味わっていると時間を忘れてしまうほどだった。
 じゅわりじゅわりと唾液が溢れ出て、行き場を失ったものが口の端からこぼれていく。止まる気配のない日光を遠ざけようと、彼のがっしりとした胸に手を置いたが、縋っているとでも思ったのか抱き寄せるように体に回した腕にさらに力を込めた。だんだんと呼吸が苦しくなってきて、息を荒くしながら、響く水音の合間に必死になって言葉を紡ぐ。

「く、くる、し、から」

 日光は最後にじゅっと舌先を吸って仄甘い刺激を残すと、私の口の端の唾液を拭いながら「すまない」と謝った。

「血に酔ってしまった」
「そ、そう……大丈夫?」
「それはこちらの台詞だ。大事ないか」
「うん、へいき」

 舌足らずに答えて、彼に寄りかかる。日々みんなが使っている場所でなんてことをしてしまったんだと省みながら、こっそり傷があった箇所を撫でると確かに治っていた。神気でも流したんだろう。きっと、日光一文字と縁を結んだその日から、ほんの少し彼に近づいてしまったのだろうなとぼんやり考える。私は彼の首に腕を回して「部屋に連れてって」と耳元で囁いた。
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