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刀さに 短編

予感


 午前二時三十四分。
 夢の中に行けず、ぼんやりと天井を眺めるのは何日目だろうか。残念ながら部屋の天井には顔に見えるシミとか、数えられる木目はなかったから、ただぼうっと時間が過ぎるのを待つだけ。眠れなくなった理由はわからなくて、なんでだろうと考えても余計に眠れなくなるだけで、悔しくて虚空を睨みつけるがやっぱり理由はわからなかった。
 体を動かしたくなって、布団から出るように障子戸の方へゴロンと転がった。月の光に照らされて、障子が異様に白く発光している。眩しくて目を瞑ると、風に吹かれて葉がさわさわと凪いでいる音が聞こえた。カチコチと秒針が進む音も聞こえる。日中は気にならないような音が、今は気になって仕方がなかった。もしかしたらこのまま夜が明けなくて、この場に一人だけ取り残されてしまうんじゃなかろうかと、漠然とした不安がにじり寄って支配した。

「さむい」

 立春が過ぎたとはいえ、春はまだまだ遠い。布団から出たことを後悔しながら、温かいものでも飲むかと立ち上がって部屋を出た。ホットミルクかココアが良いな。暗闇に沈む本丸の中を静々と進んでいく。今日はこの時間に遠征から帰還する部隊もないから、本当に静かだ。
 台所に近づくとほのかに明かりが漏れているのがわかった。腹を空かせた男士が夜食でも食べているんだろうか。暖簾をくぐると、そこには折りたたみの椅子に腰掛けて甘酒を飲んでいる同田貫がいた。こちらに気がついてわずかに眉を上げ、持っていた酒器をテーブルの上に置いた。

「どうしたこんな時間に」
「ん、眠れなくて」
「最近駄目だな。何か飲むか」
「本当ね。自分で用意するから大丈夫」

 立ち上がった同田貫を座らせてから、お気に入りのマグカップを取り、三秒ほどカップの底を見つめる。ココアにしよう。冷蔵庫を開けて三本ある牛乳のうち、空いている一本を取り出した。カップに牛乳をそそいで電子レンジで温めている間に、自分が座る分の椅子を用意する。同田貫にちょっとの間だけでも話し相手になってほしくて、じっと視線を送ると目が合った。もぐもぐしながら「あんだよ」と言われたので、まだ寝ないかを尋ねると来たばかりだと返ってきた。そんなやり取りをしている間に電子レンジに呼ばれたので温まった牛乳を取り出して、ココアの粉を大さじすりきり二杯きっちり入れてから、計量スプーンでそのままかき混ぜる。ひとくち飲んでほっと一息をついた。

「何食べてるの」
「大根の酢漬けと煮卵」
「甘酒と合う?」
「ココアよりはな」

 食うか、と皿を寄越してきたので大根を一切れ摘んで口の中に放り込んだ。

「あ、おいし」
「冷蔵庫にまだあるぜ。桑名江が大量に拵えてた」
「こんなのすぐに無くなっちゃうんじゃないの」
「な」

 電球がジジジと音を立てながら、私たちを静かに照らす。同田貫の金色の瞳がガラスみたいに揺らめいた。こんなにじっくり同田貫の顔を眺めたことなんてなかったから、ココアを啜りながら会話もせず一生懸命に咀嚼する姿を目に焼き付けた。お箸の使い方が綺麗だなとかひとくちが大きいなとか思ってたら、食いづれえ、と小突かれた。

「あんた夜は静かなんだな。昼はあんなに騒がしいのに」
「だって、眠れない夜だもん」

 返事は返ってこなかったが、代わりにカサついてがっしりとした大きな手が頭乗せられ、重さで目線が下へとうつる。じんわりの手の温かさが感じられた。

「するか」
「何を」

 何をするのか皆目見当もつかなくて、頭の上にある同田貫の手をどかしてから素直に聞き返すと、「セックス」と無骨な彼の口からまさかの言葉が飛び出してきて少し目を泳がせた。まさか意味もわからず言っているわけではあるまい。異様に口の中が乾いて、ちょっぴりぬるくなったココアをあおった。

「そんなこと言われたら、逆に目が覚めちゃうよ」
「あ?あんたが言ったんだろ、セックスすると良く眠れるってよ」
「いつ」
「槍連中が酒呑と宴会開いたときだよ。あんた強くもねえくせに連中と同じように呑みやがるから案の定ひどく酔ったんだ」

 全く覚えがない。覚えはないが、確かに二日酔いのひどいときがあった。きっとその時のことだろう。何口かに昨日のことは覚えているかと聞かれたのだが、なるほど、合点がいった。聞きたくも無いであろう主の艶話を聞かされた男士のことを思うと頭を抱える他なかった。今までその話題が出なかったのは、少しでも尊厳を守る為に心の内にしまっておいてくれたのであろう。

「聞いてもいねえのにべらべらと話しやがる」
「全然覚えてない」
「あんた気をつけた方が良いぜ。主と言えど紅一点だ」

 ごもっとも。ぐうの音も出ないとはこのことであった。

「ちなみに、どういう流れでそうなったのか聞いてもいい?」

 この際、己の失態を把握しておくべきだろうと判断して話を続ける。同田貫であれば、誤魔化しもなく話してくれるだろうなと思ったのだ。恥じらいはどこかへ消えていた。

「蜻蛉切が、あんたが最近眠れてんのか聞いたんだよ」
「うん」
「そしたら、眠れてねえと。審神者になる前は酒呑んでセックスして気持ち良く寝てたが、今はそんなことも出来ねえってよ」
「蜻蛉切に悪いことしたな」
「はは、あんときのあいつの顔は忘れられねえな」

 笑い事では無いが、ここ数日のよそよそしさはきっとこのせいだったのだろう。突っ伏し、長いため息をついた。

「で、どうすんだよ」

 するか、しないかの話だろう。ところで、同田貫とは恋仲ではない。私ももう子供ではないから行為自体に抵抗はないし、済んだあとは心地の良い眠りにつけるだろうから悪い話ではないなと思った。でも、本当になんとなく、ここで頷くのは違うとも思った。一度上を向いて電球を見つめたあと、同田貫の顔を見る。

「やめとく」
「あ、そ」

 随分とあっけらかんとしている。世間話をしているかのようなテンションで、とても夜の誘いの雰囲気には感じられなかった。

「なんか意外だったな、同田貫がそんなこと言うの」
「俺たちは別として、人間が寝られねえのは不味いんだろ」
「私のため?」
「あんた以外に誰がいるんだよ。倒れられたら戦場に出られなくなる」

 私のため、と言いつつも真の理由が己のためであることに気づいているのだろうか。この付喪神様は、随分とヒトのようだと審神者は笑った。

「言っておくけど、同田貫としたくないから断ったんじゃないからね。気分じゃなかったからってだけ」
「へいへい」
「私、結構あなたのこと好きだもの」
「……俺、さっきあんたに気をつけろって忠告しなかったか」
「そうでした」
「わかってんのかよ。それ、飲み終わってんなら寄越せ。片付けとく」

 同田貫は言い終わるや否や立ち上がったため、礼を告げて空になったカップを手渡す。
 
「おやすみ」

 眠れますようにと祈りを込めながら挨拶をして、台所を出ようと暖簾に触れたとき、おい、と呼び止められた。何か忘れたかな、と振り返ると、

「起きたら、馬乗るか」

 と同田貫は言った。

「馬」
「予定がありゃ、眠れるだろ。海岸沿いでも散歩するぞ」

 彼はこちらを見ずに皿を洗っている。彼の背中がいつもより大きく見えてなぜだかそわそわした。

「うん、ありがとう」

 二度目のおやすみなさいを告げて、部屋に向かう。途中、わくわくしてちょっとだけスキップをした。本当は一人で馬に乗れるけれど、自信がないからと言って一緒に乗せてもらおうかな、そんなことを考えながらすっかり冷えた布団に潜り込むとすぐに瞼が落ちてきて、心地よい眠りにつけたのだった。
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