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刀さに 短編


 久々の残業で女一人で帰宅するには心細い時間になってしまった。本丸に迎えをお願いしたところ、加州から『オッケー、一振り向かわせるね』と返事がきたので一息つく。誰がきてくれるのかはわからなかったけれど、この時間だしそこそこ背丈のある男士だろうと予想をつけ、自販機で缶コーヒーを購入する。休憩室にガコンと無機質な音が響いた。
 しばらくスマホゲームで暇を潰していると『ついた』と一言だけ通知がきていたので、ありがとうのスタンプを送って出入り口へ向かった。うちの本丸は一口ひとふり一台端末を持っているわけではなく複数の端末を共有しているから、メッセージを見ただけでは誰かはわからない。この缶コーヒーを手にするのは誰なのか、鼻歌を歌いながら歩を速めた。
 外に出てあたりを確認したが、それらしき人影はなく細い道を街灯が照らしているだけだった。車通りも人通りもほとんどないせいで、静寂が周囲を支配している。

「え、どこ」

 わたしの独り言は空気に溶けていった。不安になって独り言をそのままメッセージで送信する。既読マークがすぐについて『会社出て左、横断歩道の前』と簡潔に返ってきた。言われた通りの方向に目を凝らすと、赤信号に照らされてガードレールに腰掛けている人影が浮かび上がった。多分うちの男士だろうけど、違かったら怖い。スマホを握りしめたまま動けず、足の裏が地面にくっついてしまったようだった。ふたたび人影があったほうに目を向けるといつのまにかそいつは動き出していて、あろうことかこちらに向かってきた。よく見ると全身真っ黒でキャップもかぶっている。ピアスでもしているのか、等間隔に置かれた街灯に照らされるたびに左耳が光を反射してちらついていた。

(うちの子じゃないかも)

 その近寄りがたい雰囲気に心がざわついて、やっぱり会社に戻ろうと引き返したとき、よく知った声が鼓膜を震わせた。

「主!」

 ハッとして振り向くと、そいつはキャップをはずしながら駆け足でこちらに寄ってきた。声と顔がはっきりしたことでわかったが、紛れもなく我が本丸の鯰尾藤四郎だった。

「なまずおだったの……」
「会社に戻るの?忘れものですか?」

 まさか自分の姿に恐怖して主が引き返そうとしていたとは思わなかったのであろう。鯰尾は、きょとんとしながら尋ねてきた。その表情になんだか力が抜けてしまって、正面からもたれかかると「あれ、大丈夫ですか?」と優しく肩を支えてくれた。

「鯰尾ってわからなくて、怖くて、一回戻ろうとしてたの。いつもと雰囲気が違かったから」
「それは、すみませんでした」
「しかもちょっと離れてたし」
「それは……主が言ったんじゃないですか。迎えのときは同僚に見られたら困るからちょっと離れたところでって」

 そうだった。大般若が迎えにきたときちょっとした騒ぎになったことがあって、それからは少し離れたところで合流していたのだ。しかし、今はそんなことどうでもいい。鯰尾の耳に大量のピアスがついているのが気になって仕方がなかった。耳だけではなく、唇にもシルバーのリング状のピアスをしていたのだ。昨日の夜まではなかったはずだ。歩き出しながら、左耳を眺める。明らかにファーストピアスとなりえないものもついており、少しだけ赤みを帯びて腫れているような気がしたが、そこには触れなかった。

「どうしたの、それ」
「ん〜、ちょっとした好奇心のような」

 鯰尾は頬を掻きながら照れたように笑う。屈託のない笑顔と飾られたピアスがなんとも不釣り合いでむずむずした。

「主がピアスいっぱいつけてるの好きかもって言ってたから、ためしに」

 過去のわたしの言葉が原因だったことに驚きを隠せず、夜中近くなのを忘れて「え!」と大きな声を出してしまった。鯰尾は人差し指を口元に持っていって、しいのポーズをした。

「どうですか?似合う?」

 そのまま内緒話でもするかのように小声で続ける彼に、わたしは両手で口を押さえながら何度かコクコクと頷いた。

「じ、自分であけたの」
「はい。ピアッサー?であけました」
「全部?軟骨も唇も?」
「そう」

 わたしは自分に穴があくのが怖くてピアスホールをあけたことがないからわからないけれど、一度にそんなにあけていいものなんだろうか。ちょっと痛そうだ。

「主に見せたくて。しばらく出陣の予定なかったんで今日あけてみたら、ちょうどお迎えの要請が入ったんですよね。へへ、満足しました」
「格好いいよ。わるそうな男みたいで」
「主ってわるそうな男がタイプ?」
「どうかな。わかんない。ドキッとはするけど」
「ええ〜」

 鯰尾はため息をつきながら聞こえるか聞こえないかくらいの声で、難しいなと呟いた。

「痛くないの」
「ちょっとかゆいくらい。そもそも、痛みには慣れてるし、主のためならこれくらい全然です」

 わたしのためってなんだかそわそわする。少し腫れた耳を見ながら「出陣先で怪我する前に化膿しちゃったら、そのときは手入れしよう」と約束した。鯰尾は「それじゃ、今度は主にあけてもらおうかな」と無邪気に笑った。わたしは缶コーヒーのことなんてすっかり忘れていた。
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