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刀さに 短編

異香


「買ってしまった」

 佇まいを正す女の前には、ラベンダー色を基調としたフリルがふんだんにあしらわれた下着とジャスミンの香りのボディスクラブが並んでいる。
 数週間前、恋焦がれていた五月雨江と恋仲になることが叶った女はいつか来る日のためにと、その身を磨くための準備をしていた。見られるのなら、可愛いと思われたい。触れられるのなら、心地が良いと思われたい。恋刀を想えばこその、最初の一歩であった。

(折角だから、早速使ってみようかしら)

 決めてからの行動は早かった。スクラブの入った瓶をむんずと掴むと足早に浴場へ向かう。普段より早めの湯浴みだが、日課も済ませ、夕餉も美味しくいただいたあとであるから問題ない。女は上機嫌であった。

 湯浴みを済ませ、自室へと戻る道すがら己の腕をさすりながら女は感心していた。スクラブを使うと段違いに肌触りが違うのだ。加えてその香りもわざわざ嗅がなくとも程よく香ってくる。癒されるような優しいものであった。これならきっと五月雨江も喜んでくれるだろう。触れられるそのときを想像しながら含み笑いをした。
 女は自室に近づくと、部屋の前に人影があるのに気がついた。足音に気がついたのか男は女の方に顔を向ける。五月雨江であった。

「頭、湯浴みでしたか」

 待たせてしまっていたかと急ぎ駆け寄ると、五月雨江は気遣うようにして女の肩に触れながら「急がなくても良かったのですよ」と口にした。

「ごめんなさい、何かあった?」
「いえ、心配することは何も。ただ私が頭に会いたかっただけです」

 言葉をもらうや否や女は嬉しさに頬を染めた。嬉しさのあまり、すっかりのぼせてしまった。それほどまでに目の前のおとこを好いていた。しかし、そんな女を余所に五月雨江はある違和感を抱き、顔を顰める。そして辺りに気配がないことを確認すると、

「少し宜しいですか」

 と部屋へ促すように声をかけた。五月雨江は部屋へ入ると後ろ手に障子戸を閉め、女に詰め寄る。女はその勢いに驚き、ふらついて体勢を崩したが倒れることはなかった。腰には逞しい腕が回っており、その身体を支えていたからである。

「さ、さみだれごう……」

 急に距離が近づいたことで女は狼狽した。五月雨江はそんな女を宥めるかのように、腰を支えていないもう片方の手で頭を撫でると「失礼します」という言葉と共に、髪や首筋に顔を近づけた。すん、と鼻で息を吸う音が聞こえる。さながら、犬が匂いを確認するかのようだった。

「香りが」

 気が済んだのか、ぽつりと五月雨江は呟く。されるがままになっていた女は、心臓を激しく打ち鳴らしながらも必死に答えた。

「変かな」
「変ではないのですが、私は、いつもの香りの方が好きです」
「いつものって」

 普段、香は焚かず、香水もつけない女は疑問に思い聞き返す。

「貴女自身の香りです」

 五月雨江は答え終わると女の背骨を上から下にゆっくりとなぞりながら自分の欲をぶつけるようにして言葉を送り続けた。愛しい女の、己を刺激する香りを思い出していた。

「それはとても魅惑的で、心を乱されるような」

 触れてもいいか尋ねようとしたとき、羞恥に耐えられなくなった女は五月雨江の胸を両手で思いきりドンと押して距離を取ると、耳まで紅潮させて言い放った。

「まだ駄目!」

 五月雨江は目を丸くすると、
「まだ、とは」
 と問うた。

「準備が、まだなの」

 女は半ば混乱状態に陥りながら返す。ここまで突として、求められるとは思っていなかったのだ。懸念していた肌触りは問題ないとはいえ、折角買った勝負下着を身につけていない。知らぬ間に視線は畳に置いたままになっていた下着に向いていた。

「ああ、もしかして、そこにある」
「気づいてたの」
「ええ、口に出すのも野暮かと思いまして」

 五月雨江は既にそれに気がついていたらしい。女は情けなくなって、この場を凌ぐためにも香りのわけと下着の説明をした。

「好きなひとに、いなって、思ってもらいたくて」

 頬をりんご色に染め、恥ずかしさからか目には涙を浮かべて伏目がちに話すその女の姿は何ともいじらしかった。五月雨江は堪らず女の顔を両手で優しく包み、上を向かせると、優しく唇を落とした。

「私を想っての頭の行動全てが嬉しくて、愛おしくてたまらないのです。貴女の準備が整うまで待ちましょう。私は待てができる犬ですので……わん」

 その言葉に嬉しくなって、女ははにかみながら「わん」と返した。
 もう一度、唇が触れ合った。
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