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リラとスザク


 それは、少しの曇りもない晴れの日だった。
 枢木スザクは学校も終わり、少し寄り道をしながら帰路についていた。じりじりと肌を灼く日差しと際限なく高まる体温に耐えきれず、昼前にも関わらずコンビニでアイスを買い、育ちの良い彼ははしたないと思いつつもかぶり付きながら足を進めた。
 世間は夏休みだというのにどうして彼は登校しているのか。それは彼が所属する生徒会の活動に依るところで、今日は彼が夏休みに入る前にやり残してしまった仕事を片付けて来たのだ。
 それはもちろん彼の落ち度だが、他の生徒は皆、今日から夏休みを謳歌しようと意気込んでいるのに、自分は続けて登校しているという事実がなんだかやるせなかった。
――早く帰ってご飯食べたいな。ああでも、今日もそうめんかなぁ
 今も食料を絶えず口に運んでいるにも関わらず、スザクはそんなことを考えていた。
 日本人に生まれたからには仕方のないことであるし、スザク本人もそうめん自体は嫌いではない。しかしそれでも、こう何日と続くと少し辛くはある。
 今日で蓄積した疲労と少し未来の懸念とが重なり、スザクはなんとも鬱屈とした気分に包まれていた。

 ガサッ。

 そんな時、すぐ左の茂みが揺れた。
 スザクの家はこの長く続く茂みに沿い、やがてそれが途切れた所から伸びる長い長い階段を上った先にある神社の離れなのだが、その周りは深い木々に囲まれている。
 そのため彼は昔から野生動物と出会う機会が多く、また狸でも出たのだろうとさほど気にはしなかった。――しなかったのだが。
「ほわぁっ!」
 そのすぐあとに聞こえた衝撃音と、間抜けな、紛れも無い人の声には、スザクも思わず足を止めずにはいられなかった。
 不用意に近づくことはせず、茂みに目を凝らしながらゆっくり歩み寄り、そろりと中を覗く。
「……わ」
 そこには美しいと形容するほかない少年が、木の葉や泥に汚れた姿で尻餅をついていた。
 男だと辛うじて推測できるのは身にまとった衣服からであり、それ以外は女だと言われても違和感なく信じるであろう、中性的な顔立ちだ。
 日本人でも中々お目にかかれない程の艶やかな黒髪は肩上で切りそろえられていて、まるでお人形だ。あまり芸術方面には造詣が深くないが、しかしこれには、スザクも思わず感嘆の声が漏れた。
「……えっと、大丈夫?」
 恐る恐る声をかけると、強く瞑っていた目をぱちと目を開いた少年と、視線が交わった。
 美しい、それは見事な菫色の宝石が二つ。そして彼は、どうしてかひどく驚いた様子で、透き通るようなそれをまん丸に見開いて、スザクを見ていた。
「え、あ……」
 口をパクパクさせて手をあたふたと振り回すその様子に子供らしさを見て、思わずスザクは失笑した。
「……何が可笑しいんだ」
 それがどうやら気に障ったようで、少年の端正な顔が不快そうに顰められた。スザクは相手が年下とはいえ自分の働いた非礼に気づき、慌てて取り繕う。
「ああ、ごめんね。悪気があったわけじゃないんだ。……あれ、っていうか君、日本語喋れるんだね。ハーフ?」
「……僕は純ブリタニア人だ。それに、言語くらい当然だ。なぜなら僕は…………いや、そんなことは今どうでもいい」
 少年はよく通る心地のいい子供特有のソプラノで、存外尊大な調子で話した。普通なら偉そうな子供だな、と思う場面ではあるが、彼のはなぜか、そうあるべきだという風格を感じさせた。
 人形のように整った容姿も手伝って、さながら、名のある貴族なのではないかとすら思わせるほどだ。
「君、ここで何してるの? 保護者の方はいないの?」
「兄が一緒だったが、今はいない。僕一人だ」
「じゃあ、君迷子?」
 スザクが『迷子』と口にした瞬間、少年は眉をピクリと動かし、先ほどまでの比じゃないほどに顔を歪ませた。ああ、とてもプライドが高い子なのだな、と、何も知らないスザクが自然に察することができるほどに素早い、脊髄反射であった。
「迷子じゃない。自主的に逸れたんだ」
 「自主的に」の部分の語気を強め、少年は勘違いするな、と下からスザクを睨め付ける。
 自主的に逸れる、などあるものか。きっと子供ながらの自尊心から、つまらない意地を張っているのだろう。
 スザクはその場に屈み込み、少年を見上げた。
「どうして?」
「些か腹が立ったから、困らせてやろうと思った」
 しれっと言い放つ。
 スザクもこの年の頃はよく父に反発したものだが、彼のはどうやら毛色が違うらしい。
「でも、お兄さんきっと心配してるよ。送ってあげるから一緒に行こう」
「それは嫌だ」
 目線を合わせて優しく言い聞かせるも、返ってきたのは頑として譲らないという強い意志だった。
 いっそすがすがしさ感じるそれに、しかしスザクも年配としてここは一つそれらしくせねばならない。
「でも、君これからどうするの。お兄さんの所に行かないと、色々不便でしょ?」
「そうだとしても、あいつの所には絶対に戻らない。大体、十以上も歳が離れた弟にチェスで勝ってあそこまで良い気になるのがおかしいんだ……! 僕がいなくなることで少しくらい困れば良いんだ……それでも困った顔が想像できないのも腹が立つんだが……」
 どうやらその兄に相当立腹しているようで、少年はスザクのことなど忘れたかのように何やらぶつぶつと呟きだした。
 十歳下の弟をチェスで負かして勝ち誇るとは、どうやらその兄の方にも問題はありそうだ。立場こそ違うものの、現在進行形で三つ下の従姉妹にいいように使われているスザクは、少しだけ目の前の少年に同情した。
「でも、君今日泊まるところは?」
「カードなら持ち合わせはあるが、この辺のホテルは張られてるだろうし、野宿でもしようと思っていた」
「の、野宿!?」
 見た目よりもかなりワイルドな思考回路の持ち主のようで、これには年上として落ち着いた振る舞いを、と心がけていたスザクも、思わず声を荒げた。
「? しかし、日本は比較的治安が良い。場所さえ弁えれば問題ないと思ったんだが」
「いやいやいや、君みたいな容姿の男の子は危ない輩の目にとまるんだよ?」
「何を言っているのかがわからない」
「ええっと、だから……」
 こてん、と首をかしげる仕草がまた愛らしさが増している。ああ、そういうところだよ、鏡があったら見せてやりたい。
 しかしそんなことは露知らず、少年は本当に意味がわからない、と言った様子だ。自分の容姿に商品的価値すらあるであろうことを、この少年は幼さ故かなんなのか、全く自覚していないのだ。

「……そうだ、うちにおいで!」

 この時はこれ以上ない提案だと自信ありきであったが、後から考えれば自分こそ犯罪一歩手前だったと、スザクは翌日に後悔することになるのだった。
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