摩擦
目が覚める。時計を確認すると、昨夜目覚ましをかけた時間からまだ数十分ほどは早かった。
隣を見れば、そこにはもう人肌の跡すらない。少しは早起きをしたというのに、彼はもうとっくに起きてしまったのだろう。
別に珍しいことではなかった。どちらから言い出したことではないが、いつの頃からか、スザクとルルーシュは起床時間をズラすようになっていたからだ。
そういう習慣が二人の間で暗黙の了解となってから、スザクの目覚めはいつも一人であった。だから、これは特別どうということではないのだ。
二度寝をする気にもならず、スザクは緩慢に体を起こす。するとちょうどそのタイミングで寝室の扉の向こうから、玄関のドアが開き、そして閉まる音が響いた。どうやらまだ家にいたらしいルルーシュが、ちょうど今家を出たのだろう。
――おはようと一言でも言えば、彼は返してくれただろうか
スザクはそんなことをふと考えた。
きっと、いや確実に返してくれただろう。おはようと言えばおはようと、少し面食らいながらも彼はきっと返すだろう。しかしその声には、彼らがまだ親友と呼ばれる間柄だった頃の温もりはないのだろうと、スザクは当然の帰結に一人、眉をしかめる。
いつからこうなったのかと言われれば、きっとはじめからだ。
幼馴染で、無二の親友だったルルーシュに自分が向ける想いが友情だけではないと気づいたのは、高校に上がった頃。そして卒業と同時に全てを打ち明けたスザクに、ルルーシュは戸惑いつつもそれを受け入れ、是と応えてくれた。
だがきっと、ルルーシュの中では自分は、ただの親友だったのだろう。ルルーシュの中で自分という存在が「ただの」に収まるとは思っていないが、それでも彼は、スザクを性愛の対象とは見ていなかっただろう。
大学進学とともに二人で部屋を借りようと言った時、ルルーシュはどんな顔をしていたのだったか。頬を染めてはにかんでいただろうか。困ったように眉を下げて笑っていただろうか。
今はもう、それすら思い出せない。
リビングには、一人分の朝食が用意してあった。ベーコンエッグにウインナー、それと食パンが一枚、皿の上に乗っていた。
皿に触れて見ると、まだ少し温かかった。出る直前に作ったのだろうとわかる。
昨日あれほど酷い態度を取ったのに、それでもルルーシュは、スザクに朝食を作る。以前は昼食代が浮くからと、弁当も作っていたが、いつの日かそれも廃れてしまった。しかし、なぜかこの習慣だけはまだ、褪せずに残っている。まるで幸福の残滓のように。
スザクは食パンをトースターへ入れ、つまみを回した。そういえばバターが切れていたな、と思いながら冷蔵庫を開けるが、しかしそこには新品のバターが既に補充されていた。
なんてことはない日常の一ページだった。自分以外は誰もいない寝室で目を覚まし、少しの罪悪感とともにルルーシュの用意した朝食を口に運び、今日の予定を確認する。違うことといえば、ほんの少し早く目が覚めてしまって、皿の上の料理がまだ温かいくらいだ。
その一つが違うだけなのに、どうしてこうも会いたいと思うのだろう。
そんなことを思うたび、胸が苦しくなるだけなのに、どうして自分はこんなにもルルーシュを求めてしまうのだろう。
ここ最近はたまに顔を合わせても、互いに会話は無いか、口喧嘩ばかりだった。どうしてか心にもないことを口走り、ルルーシュを苛立たせ、そして反ずるルルーシュの言葉にもまた苛立ってしまう。
スザクは今でも、ルルーシュが好きだ。その白い頬に触れたいと思うし、形のいい唇にキスをしたいと思う。
だが、それら全て、ルルーシュにとっては苦痛を与えることになりかねないと思うと、とてもその一線を越えられなかった。恋人同士とは名ばかりで、二人の関係性は以前となんら変わりない。いや、むしろ悪化したと言えるだろう。
ルルーシュのことを考えると、浮かぶのはいつも不機嫌そうに顰めた顔だった。それがたまらなく悲しくて、スザクは何度も何度も思うのだ。
――ちゃんと、言わなきゃ
いつまでも自分が縛っていてはいけない、ルルーシュにはルルーシュだけの幸せがあるのだ。その隣に、きっと自分はいないのだと、行き着く先はいつも同じ答えだった。
頭ではわかっていた。現にスザクは、もうしばらくルルーシュの笑顔を見ていない。
ルルーシュがスザクと恋仲になることを了承したのは、偏に保身だったのかもしれない。スザクのしたことは、『親友である自分』を人質にしたも同じことだった。ルルーシュがあの時首を横に振れば、その後の二人の間には、見えないが確かな溝が刻まれただろう。
そうなるくらいなら。自分がルルーシュの立場だったとしても、そう考えただろうとスザクは思う。
しかし、その自明の理を妨げるのは、スザク自身の断ち切れない、どうしようもなくルルーシュに焦がれてしまう想いだった。
こうして朝食を作ってくれる。夜には、互いに背を向け合っていても、同じベッドで眠ってくれる。それだけで、もしかしたら希望があるのかもしれないと、都合のいいことを思ってしまう。
ただ一言でいい。それだけでいいはずなのに、スザクはどうしても、その境界を踏み越えることができずにいた。
その言葉を口にした時、ルルーシュとの間には二度と修復できない亀裂が生まれることをわかっていたからだ。
いや、きっと今も、それに通ずるヒビは生じているのだ。気づかないふりをして、それでも一緒にいる。
滑稽ではないかと、嘲笑する気力すらスザクには湧かなかった。
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