短い話のお部屋





「来てくれてありがとう、黒崎くん!」

何が何でも仕事を定時で終わらせ、周囲に迷惑かけない程度の早歩きで何人もの通行人を追い抜いて、ようやく辿り着いた井上の部屋。

俺を迎えてくれる井上の笑顔がまた一層綺麗になったと思うのは、彼氏の欲目だろうか。





《レベリング》






「うわ…待て待て黒崎、こんな可愛い彼女がいるのか!ちくしょう、顔面偏差値が高いヤツはいいよな〜!」

就職して3ヶ月。
同じく新入りとして入社した同期に、偶然見られてしまったスマホの中の井上。

同期に奪われかけたスマホを咄嗟に取り返し、俺は「いや、別に…」と曖昧な返事を返しながらスマホを胸ポケットにしまった。

確かに、井上は性格も外見もレベルMAXの、俺には勿体ないぐらいの彼女だ。
こうしてからまれても仕方ないとは思う。

けれど、井上は多分俺を顔面で選んだわけじゃないと思うから、その点に関しては素直に頷けない。
俺、別に顔面偏差値高くねぇし。

「付き合い始めたばっかか?」
「まぁ…正式につき合いのは最近っすね。」
「へぇぇ!で、その彼女とは将来のことまで考えてるわけ?」
「そりゃ、まぁ…。」

学生時代はお互いに多忙すぎて、想い合う気持ちは知りながらも交際を保留していた俺と井上。

それがやっと、こうして付き合えるようになったんだ。

今まで構ってやれなかった分大事にしてやりたいし、井上以上に俺のことを分かってくれている存在なんてどこにもいない。
これから先、井上以外の女といる自分なんて、正直想像できないんだ。

「そっかそっか。派手な見た目の癖に、真面目なんだな黒崎は。その彼女とは何回ぐらいデートしたんだ?」
「デート…。」
「映画とか、遊園地とか、水族館とかさ。」
「いや…そういうのはまだ…。あっちがパン屋に勤めてて、土日が勤務だったり、朝がめちゃくちゃ早かったりするから、基本アイツの家で会ってて…。」
「なぁんだ、デートもまだか。じゃ、これから少しずつ前進だな。けど、恋愛ってそういうちょっとずつ距離を詰めていく期間が一番楽しかったりするんだよな〜。ハハハ、堪能しろよ!」

同期は俺の肩をバンバンと乱暴に叩き、ニヤッと笑って。

「あー、数年後には黒崎は結婚してるかもしれないんだな。婚約発表は派手に頼むぜ〜!会社の全員で冷やかしてやるからさ!」

そう言い残し、自分の席へと戻っていった。






「ほい、差し入れだ井上。いつも夕飯作ってくれて、ありがとな。」
「わぁー!美味しそうな焼き鳥!ありがとう、黒崎くん!」
「まぁ、俺が食いたかっただけなんだけどな。沢山買ってきたから、好きなだけ食べろよ。」

毎週水曜日、井上の部屋で一緒に食べる夕食。
付き合いだしてから、俺と井上の「デート」は基本コレだ。
仕事の休みがなかなか揃わない俺と井上の、精一杯の逢瀬。

「いただきまーす!…うふふ、おいひい〜!」
「井上の作ってくれた飯も美味いぜ。悪いな、いつも。」
「全然!あたし、いつも1人でご飯食べてるから、誰かと食べるご飯って、それだけで美味しさ増し増しなんだよね〜!」

俺の向かいで、それはそれは幸せそうに、そして豪快に焼き鳥を頬張る井上。
俺もまた、井上が作ってくれた何かの煮物(よく分からないがちゃんと美味い)を口に運んでいたが。

「…どうしたの?黒崎くん。」
「え?いや、別に…。」

井上は、俺の心の揺れには人一倍敏い。

表面上は平静を装っていても、俺が頭の隅で別のことを考えていることなんざ、お見通しなんだろう。

「何か、悩み事?」
「……。」

悩み事、と言っていいのかは解らないけれど。
俺の脳裏をぐるぐると回るのは、昼間の同僚の言葉、言い表せないモヤモヤした気持ち。

『じゃ、これから少しずつ前進だな』
『恋愛ってそういうちょっとずつ距離を詰めていく期間が一番楽しかったりするんだよ』

少しずつ前進?
ちょっとずつ距離を詰める?

映画だの遊園地だのでデートを何度も重ねて、恋人らしいイベントをこなして…そうやって地道にフラグ回収に努めなきゃ、俺はゴールまで辿り着けないのか?

てか、今更俺と井上の距離を詰めるイベント、必要か?

高校時代から、そりゃあ一般高校生じゃ絶対に経験できないような特殊なイベントを、散々一緒に乗り越えてきたんだぜ?命懸けで。

井上がどれだけイイ女かなんて俺は十分すぎるぐらいに知ってるし、井上だって俺が持つ色んな「俺の顔」をとっくに知ってる。

それでも、この世に星の数ほどいる男の中から、俺を選んでくれた。

「えと…黒崎くん?」

箸を片手に小首を傾げて、黙ったままの俺を大きくて丸い瞳で見つめる井上。
その何気ない仕草まで愛しくて…やっぱり地道なフラグ回収や経験値稼ぎなんて、とてもじゃないけどやってらんねぇって思った。

「あのさ…井上。」
「うん、なぁに?」
「俺さ、来月誕生日なんだ。」
「勿論知ってるよ!あ、もしかして誕生日プレゼントのこと考えてたの?黒崎くんの欲しいもの、教えて欲しい!」

そう、井上に無邪気に請われて。
それならば、と大きく息を吸う。

「じゃあ、井上。俺の誕生日に。」
「うん。」
「…俺と、結婚してくれ。」








「よう、黒崎!最近、あの超可愛い彼女とはどうだ?」
「ああ、半月後に結婚するよ。」
「へぇ〜、そうかそうか…って、何ぃ?!」




(2024.07.21)
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