短い話のお部屋





「お父さん、入ってもいい?」

かちゃり…。
仕事部屋でパソコンと向き合う俺の耳に、ドアが開く控えめな音が聞こえる。
振り向けば、そこには開いたドアの隙間からこちらを伺う一勇がいた。




《大好きな人の誕生日には》




「いいぜ、一勇。」

俺が手招きをすれば、ぱっと顔を明るくした一勇がとてとてとこちらにやってきて、いそいそと俺の膝によじ登る。
別に、いつだって気兼ねせず部屋に入ればいいのに、織姫から「お父さんの仕事の邪魔は絶対にダメだよ」と厳命を受けているらしい。
だから、一勇がここにやってくるときは、だいたい俺にどうしても話したいことがあるときなんだ。

「あのね、お父さん。これは、僕とお父さんの秘密のお話なんだけどね。」
「おう、何だ?」

一勇が織姫譲りのくりくりっとした瞳で俺をじっと見る。

「お母さんへの誕生日プレゼント、もう決まった?」

なるほど、それでここへ来たのか。

「よく覚えてたな、お母さんの誕生日が明日だって。」
「うん!だって僕、お母さんのこと大好きだもん!」

その台詞だけで、織姫は十分に喜びそうだけどな…と内心思いつつ、俺は母親への愛を叫んで憚らない一勇の頭を撫でた。

「お父さんは、お母さんに何をあげるの?ダイヤの指輪?」
「…。」

いやいや、無邪気な笑顔で簡単に言うな一勇。
そういうのは、結婚記念日の10年目に贈るやつだ。
…それが胸を張って贈れるぐらい、俺が稼げるようになっているのが前提だけど。

「あ〜…お母さんは、ケーキやパンを作る仕事をしてるからな。指輪はあげてもつけられないんだ。うっかり指輪が食べ物に入ったら困るだろ?」
「そっか〜。」
「そういう一勇は、何をあげるつもりなんだ?」
「実は、悩んでるんだよね。僕、指輪とか買えないし。」

一人前に腕組みをして、「うーん」と考える仕草をする一勇。
狭い眉間に皺を寄せる顔に、確かに俺の血を引いていることを実感する。
にしても、こいつはどうして指輪に拘るのか…何かの絵本にでも出てきたのか?

「いや…織姫は、一勇からどんなプレゼントをもらっても喜ぶから、物をあげることにこだわらなくていいと思うぜ?そうだな、例えばお母さんに1日自由な時間をプレゼントするとか。そしたら、お母さんはたつきと買い物に行ったりして、のんびりできる。」

金がかからず、嫁さんがちゃんと喜びそうなプレゼントを俺が提案するも、一勇はむすっと頬を膨らませて。

「そういうのは誕生日じゃなくてもいいじゃん。」

そのプレゼントでは、自分が織姫と一緒にいられないことが不服なんだろう。
「却下」とばかりにそっぽを向く一勇に、俺は小さく吹き出した。

「そうか。じゃあ、一勇がしてもらったら嬉しいことを、お母さんにたくさんしてあげるってのはどうだ?」
「ぼくがうれしいこと…?」
「ああ。一勇が嬉しいことは、お母さんだって嬉しいはずだ。一勇が一生懸命考えたんなら、尚の事な。」
「…本当に?」

一勇が、真剣な表情で俺をじっと見つめる。
それだけ、本気なんだろう。
世界でたった一人…いちばん大好きな母親の誕生日を祝う、その気持ち。

「そりゃ、嬉しいさ。もし、俺の協力が必要なら、いつでも言ってくれ。できることは何でもするからさ。」

まだまだ幼い一勇に、できることは限りがある。
使えるお金も、道具も少ない。

それでも、どうにかして母親を喜ばせたい…と願う息子に、かつての自分を重ね、父親としてできることをしてやりたいと思う。

「わかった!ありがとう、お父さん!」

少し考えたあと、納得したように大きく頷いて。
「お仕事、がんばってね!」の労いの言葉を残し、一勇は部屋を出ていった。





…翌日。

「お誕生日おめでとう、お母さん!」

朝、珍しく自分から起きてきた一勇は、朝食の支度をしている織姫の顔を見ると同時にそう言って、嫁さんに飛びついた。

「おはよう、かずくん!お母さんの誕生日、覚えててくれたの?ありがとう!」

織姫もまたパンにバターを塗る手を止め、一勇をぎゅっと抱きしめる。

「あのね、あのねお母さん。ぼく、お母さんに誕生日プレゼントがあるんだ。」
「わぁ、本当に?嬉しいなぁ。」

一勇はとてとてと自分のおもちゃ箱(一勇は大事な物は大抵ここに隠す)から何かを取り出し、織姫に差し出した。

「はいっ!指輪だよ!」

それは、オレンジ色と水色のモールを捻って作った指輪。
学校の工作で余った物を使ったんだろう。

「ありがとう、かずくん。…わぁ、お母さんの指にぴったり!」

織姫はそれを俺が贈った指輪が既に輝いている左手の薬指に重ね付けし、幸せそうに笑った。

「あとね、このあとお母さんにいっぱい『うれしい』って言ってもらえるように、ぼく色々考えたんだ。」

一勇は自信たっぷりにそう言うと、指輪と一緒におもちゃ箱から取り出した紙切れを広げて。

「このあと、お母さんをいっぱいぎゅ~するよ!頭もなでなでしてあげる!あと、マッサージもしてあげるし、お母さんに絵本を読んであげるよ!」

広げた紙を俺が後ろから覗けば、そこには「おかあさんをよろこばせるさくせん」との題名と、アイディアの数々が拙い平仮名で書かれている。

「でね、今日はお誕生日スペシャルだから、全部お父さんと一緒にしてあげるよ!」
「へっ?」

きょとんとする嫁さんの隣で、俺もまた目を丸くして。
いや一勇、そんな打ち合わせは何も…

「だってお父さん、何でも協力してくれるって。」

…してた。昨日。

「だから、今からぼくとお父さんでお母さんをぎゅ~するよ!ぎゅ~!」

そう言って幸せいっぱいの顔で織姫に抱きつく一勇に、この場合得しているのは一勇なんじゃないか…と思ったりもしたけれど。

「じゃあ、俺が一勇ごと織姫を抱けばいいか?ほら、ぎゅ~だ!」
「きゃっ…い、一護くん!」
「きゃははは!お母さん、びっくりした?うれしい?」

織姫の肩に顔を埋めながらの一勇の問いかけに、俺がほんの少し腕の力を緩め、嫁さんの顔を覗けば。

「…うん。ありがとう…。」

はにかんだように笑い、一勇を抱きしめながら俺を見上げ、小さく頷く嫁さん。

「誕生日おめでとう、織姫。」
「ありがとう、一護くん。」

俺は一勇が嫁さんの肩にしっかり顔を押し付けているのを確認し、笑みをたたえた彼女の唇に、自分のそれをそっと押し当てた。






「それにしても…一勇、何でそんなに指輪に拘ったんだ?」
「だって、指輪を贈るとその人とケッコンするんでしょ?ぼく、お母さんとケッコンしたいんだ!」
「織姫は、俺と結婚してるぞ?」
「うん。だから、ぼくもお母さんとケッコンするんだ!」
「…。」

強力なライバルが、ここに誕生だな。




(2023.09.16)
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