短い話のお部屋







「お父さん、ベランダから何か変な音がする。」

恐竜の図鑑を読んでいた一勇が、ふいに顔を上げる。

スマホで英語のニュースを聴いていて何も気づかなかった俺が、イヤホンを取り耳をすませば、微かに聞こえてくる、小さな音。

ガリガリ、ガリガリ…。

「?なんだろうな…。」

一勇と二人で過ごす昼下がり。
俺がベランダに繋がる掃き出し窓のカーテンを開ければ、そこにはクリーム色の猫がちょこんと座っていた。





『続々々々々々々々々・2月22日』





「そう言えば、今日は2月22日だよ、お父さん!」
「はっ!じゃあ、まさか…。」

一勇が慌てて窓をガラリと開ければ、その猫はとことこと当然のように部屋の中に入り、俺達を振り返って「な~ん…」と可愛らしく鳴いた。

「お母さん、なのかな…。」
「いやでも、織姫は今日はパートに行くって…。」

休日だというのに、「ABCookies」の店長から「ピークの数時間だけでいいから」と頼み込まれ、急にパートに出かけることになった嫁さん。
何でも社員が熱を出し、バタバタと倒れているとかで…お人好しの嫁さんは二つ返事で店長の頼みを聞き入れ、出かけていった。

まぁ、高校時代からずっと世話になっている店だし、織姫が店にいると未だに「看板娘」扱いだしな。

「パートの帰りに浦原さんに会ったかもしれないよ?」
「けど、今まで散々2月22日に騙されてるんだ。流石にもう引っかからないんじゃ…。」

これまで、様々な形で誰かが猫にされてきた2月22日。
織姫が自分から猫になりたいと願ったならともかく、2月22日にみすみす浦原さんからのお菓子を食べるとは…いや、しかし…。

「なぁ、一勇。お前のお母さんは、浦原さんから饅頭を差し出されたら?」
「食べると思う。」
「たい焼きを出されたら?」
「もらうんじゃないかな。」
「団子をどうぞって言われたら?」
「ありがとうって言うよ、きっと。」
「だめだ、お菓子を差し出されて、毅然と断るアイツが微塵も想像できねぇ…。」
「お母さん、甘いもの大好きだもんね。じゃあ、この猫はやっぱりお母さんなんだ!」

一勇はそう結論づけると、目の前でしっぽをゆっくりと揺らしながらこちらを見上げてくる猫にそっと手を伸ばした。

「うわぁ、ふわふわ〜。お母さん気持ちいい〜。」

実の母が猫の姿になっているというのに、一勇は呑気に猫を撫でて喜んでいる。
まぁ、多分今年も何とかなるだろう…なんて気楽に構えているのは俺も一緒なんだけど。
猫の方も一勇に撫でられて心地よいのか、ゴロゴロと喉を鳴らしている。

「お父さん、お母さんは猫になってもやっぱり可愛いね!」
「ああ、そうだな。お母さんだからな。」
「そうだ!ミルクとか飲むかな。」

一勇はすぐさま冷蔵庫に走ると、中から牛乳パックを取り出し、皿に入れて。

「はいどうぞ、お母さん!」

満面の笑みで差し出されたミルクを、織姫猫がペロペロと舐め始める。

「可愛いなぁ、可愛いなぁ。」

頬杖をつき、織姫猫を見つめながら「可愛いな」を連呼する一勇。
そう言えば、いつだったか一勇が猫になった時の嫁さんもこんな感じだったな…流石、親子だ…。

ミルクを満足するまで飲んだ織姫猫は、一勇に向かって「な〜ん」と小さく鳴き、お礼なのか一勇のほっぺに顔を押し当てた。

「きゃはは!くすぐったいよ、お母さん!」

すりすりと一勇に顔を擦り付ける織姫猫と一勇が、キャッキャッと声を上げてじゃれ合う。

その「父親そっちのけ」みたいな光景に、何となくムッ…としてしまう俺。

「お〜い織姫、こっちにもこいよ。」

俺が織姫猫をひょいと抱き上げ、そのまま膝に入れてやれば、収まりがよかったのか嫁さんは「な~ん」と小さく鳴いてくるんと丸くなる。

そうだよな、今は一勇がいるからあんまりしないけど、こうやって織姫を膝に入れて、後ろからハグして…昔はよくしていたもんな。
俺の膝の上は、いつだって嫁さんの特等席なんだ、うん。

「ずるいよお父さん!ぼく、まだお母さんと全然遊んでない!」

ところが、満足している俺とは対照的に、ぷうっと頬を膨らませる一勇。

「遊ぶのはあとでいいだろ。こんなに気持ちよさそうにしてるんだし。」
「だって、お母さんの姿に戻っちゃったら、もう猫のお母さんとは遊べないもん!いつ戻るのかだってわかんないし。」
「一勇はいつも織姫とべったりくっついてるからいいだろ?」
「お父さんの方がいつもお母さんとイチャイチャしてるよ!」
「んなことねぇよ!全然足りてねぇよ!」
「ぼくだって、お母さんが大好きだもん!」

一勇は自分用の工作ボックスから、割り箸と毛糸と小さなゴムボールを取り出した。

「えーと、ここをテープでぺたりっ!…でーきた!」

俺を振り返った一勇が手にしていたのは、自作の猫じゃらし(ちなみに、猫になった俺が遊ばれた昨年よりカラフルなリボンが使われ、飾りつけがグレードアップしている)。
一勇は満面の笑みで、俺の膝の上で寛ぐ嫁さん猫にそれをひらひらと振った。

「お母さん! あっそぼ、あっそぼ、あっそっぼ♪ 」
「なぁん?…にゃっ!」

ぴんっ!と耳を立てた嫁さん猫が、俺の膝から飛び出し、一勇の手作りおもちゃに飛びかかっていく。

「にゃあ、にゃあん!」
「きゃはは、お母さん楽しいね!可愛いなぁ!」
「くそっ!俺の膝が一勇の手作りおもちゃに負けた!」

俺は、負けじと織姫猫が喜びそうなものを身の回りから探す。

「ほら織姫、あんパンだぞ〜。一口食べるか?」
「にゃっ?にゃにゃにゃ!」
「あっ、お父さんずるい!じゃあお母さん、一緒にテレビ見よう!ほら、カラクライザーの後半、お母さんも気になってたでしょ?」
「にゃあぁ〜。」
「テレビ見るなら、俺の膝がいいよな〜。」
「違うよ、ぼくが抱っこしながら見るんだもん!」
「織姫」
「お母さん」
「「どっちがいい?!」」

俺と一勇が、嫁さん猫に向かって同時に叫んだ、その時。

「ただいま〜。」
「へ…?」

玄関のドアが開く音がして、リビングに現れたのは、まさかの嫁さんだった。

「どうしたの?二人とも、何か叫んでたみたいだったけど…。」
「あれ、お母さん…だ…。」
「うん、ただいま!お土産にパン買ってきたよ!」
「じゃあ、この猫は…?」

俺と一勇がゆっくりと振り返って猫を見れば。

「あ、しらたま!」
「へ?…白玉?」
「うん、その子、お隣さんの猫だよ。最近、保護猫を引き取ったんだって。時々、ウチのベランダにも遊びに来るの。ね、しらたま!」
「なぁ〜ん!」

しらたまの無邪気な鳴き声に、俺と一勇がその場で崩れ落ちたのは、言うまでもない…。




「そう言えば、昔織姫が猫になったときは、もっときれいな胡桃色だったな…。」
「お父さん、もっと早く気づいてよ。でも、しらたまも可愛いねぇ。」
「ふふ、そうね。あとでお隣さんのところにつれていこうね。でも、今年は結局誰も猫にされなかったってことかな?」
「ああ、今日はもう出かける予定もないし、浦原さんに会うこともないだろ。やっと平和な2月22日が訪れたってことだな…。」

俺は織姫が土産に買ってきてくれたパンを頰張りながら、平和な1日に感謝し温かいコーヒーを啜った…。







「母様、母様!ウチのお庭に、犬みたいにでっかい猫がいるの!赤毛の、変な模様の猫!」
「なんと、迷い猫か?しかし、色んな意味で珍しい猫だな…。」
「ニャ、ニャニャー!(くそ、あの下駄帽子に騙されたぜ!)」



(2023.02.19)
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