短い話のお部屋






「黒崎くん、お待たせしました!」

約束の時間、15分前。
息を弾ませ織姫が空座駅前に到着すれば、待ち合わせ場所には既に一護が立っていた。





《君が好きだと叫びたい》






「ごめんね、もう少し早く家を出れば良かった!」
「いや、俺が早く着きすぎただけだし。」

今日は、9月3日。

多分、一護は人生で初めて堂々と抜け駆けをした。

それは7月下旬、一護の大学のある駅前に建っているホテルで、9月上旬まで行っているスイーツバイキングのポスターを見かけたこと。

そして9月3日…織姫の誕生日が彼女の勤務する店の定休日であること、平日ではあるが一護の大学もまだ夏休みであること。

この3つのピースが一護の脳内でカチリとはまった時、一護はすぐに織姫にLINEを送り、今日の約束を取り付けた。

9月3日は1ヶ月以上も先のこと、まだ何の予定も入っていなかった織姫からの返事は「楽しみにしています」。

その後、恐らくたつきやルキア、その他の友人や職場の仲間からの誘いもあったに違いないが、律儀な織姫はちゃんといちばん早くに交わした自分との約束を優先してくれた。

そのことを嬉しく思いながら、その癖誘う際の謳い文句が「誕生日を祝いたいから」ではなく「たまたま大学の側のホテルでスイーツバイキングやってるから」なのは、我ながらヘタレだと一護はひっそり自嘲のため息をつく。

「誘ってくれてありがとう!今日、すごく楽しみにしてたんだぁ!」

一護を見上げて笑う織姫が身を包んでいるワンピースは、爽やかなスカイブルーのストライプ柄。
織姫らしい清潔感のあるデザインながら、胸のすぐ下に切り替えがあり、織姫の豊かな胸が一層際立つ。

「井上、そのワンピース…。」

うっかり「すげぇ可愛いな」と言いそうになった一護が慌てて言葉を飲み込めば、織姫は照れたように「えへへ」と笑って。

「あ、バレちゃった?そうなの、このデザインだとウエストを締め付けないから、たくさん食べても大丈夫なの!」
「…そ、そうか。成る程な。」
「黒崎くんはそんなに細身のシャツとデニムで大丈夫なの?バイキングなのに。」
「俺はそんなに食うつもりねぇから。さ、行くぞ。井上用の切符、もう買ってあるから。」
「ええっ?!な、なんで…!」
「俺は定期があるし、予定より早く駅に着いちまったからさ。ほら、もう行くぞ。」

切符代を渡そうと鞄に手を差し入れ、財布を探す織姫。
そんな彼女に切符を半ば無理矢理手渡し、一護は改札に向かってずんずん歩き出す。

今日は織姫の誕生日、彼女に財布を開かせるつもりなど、一護には微塵もない。
こっそりと後ろを振り返れば、置いていかれないよう財布を取り出すのを諦め、慌てて着いてくる織姫。
一護は密かに口角を上げた。







「わぁぁ…!すごーい!」

ホテルのバイキング会場についた織姫は、会場をぐるりと見渡し感激の声を上げた。

ホテルの最上階である大広間に、様々なスイーツの乗ったテーブルが沢山並べられ、眺めのよい窓際には食事用のカウンター。

その一画、案内された「reserved」の席に荷物を置く間にも、織姫の視線を奪うのは高層階からの見下ろす街並みではなく、色とりどりのケーキ達。
パステルカラーの宝石箱をひっくり返したかのような色彩に、織姫の目がきらきらと輝いている。

「井上、毎日ケーキ見てるのに、やっぱり嬉しいんだな。」
「勿論だよ!こんな素敵なホテルが大学の近くにあるなんて、いいなぁ黒崎くん。」
「いや、俺がこのホテルに泊まる訳じゃねぇから。泊まるのは大学に用事のある教授達だよ。」

そう話す一護の目にもはっきりと解るほど、うずうずしている織姫。

一護はぷっと小さく吹き出すと、織姫の背中をぽんと叩いた。

「じゃ、ケーキ取りに行くか。うんと食えよ。」
「はい!井上織姫、突貫します!」
「ケーキバイキングで『突貫』なんて言うの、井上ぐらいだぜ。オマエ本当に…」

今度はうっかり「可愛いな」と言ってしまった一護だったが、言葉通りケーキを乗せる皿に向かって突貫する織姫にその声は届いておらず。
一護は安堵と落胆を半分ずつ抱えながら、急いで胡桃色の長い髪を追いかけたのだった。





「美味しい~!」
「毎日ケーキ作ったり売ったりしてるのに、本当に飽きないんだな。」

色々な種類のケーキが食べられるよう、1つ1つのケーキが小さめにカットしてあるとは言え、織姫の皿に盛ってある沢山のケーキ達が、魔法のように次々と消えていく。
その天晴れな食べっぷりに一護は清々しさを覚え、またケーキ屋は彼女の天職だったんだろうと思う。

彼女ほどの学力なら大学進学もできたはずなのに、経済的な理由から諦めざるを得なかった織姫。

それでも、彼女がこうしてケーキ屋という仕事に巡り会えたのは、織姫の人柄と日頃の行いの良さを、神様がちゃんと見ていてくれたに違いない。

それとも、空の上から見守っているのは、彼女を誰より大切にしていたたった一人の兄だろうか。

「飽きたりしません!むしろ、ケーキの世界の奥深さにますますはまっちゃうよ!」
「そんなもんか?」
「うん!ケーキは美味しいし、勉強になるし…本当に幸せ~!」
「そりゃ良かった。」
「ん~!このケーキも美味しい~!」

足をパタパタさせたり、頬っぺたを丸くしたり。
大袈裟でなく、本当に「幸せ」そのものの笑顔でケーキを頬張る織姫。
そんな織姫の横顔を見つめながら、一護もまた胸の奥がぽかぽかと温かくなっているのを自覚する。

きっと、こんな穏やかな時間のことを「幸せ」と呼ぶんだろう。
そして、小説やドラマの様なドラマチックな出来事なんてなくても、こんな「幸せ」な時間を共有できるからこそ、彼女が大切で、傍にいたいと願うのだろう…一護はそんなことを思いながら、コーヒーに口をつけた。

「黒崎くんは、もう食べないの?」
「俺はもう十分かな。食えてあと1個だ。」
「そうなの?これとか、これとか、すごく美味しくておススメなのに…そうだ!」

織姫は、自分の皿にあるケーキの中から特に美味しいと思ったものを4つ選び、それぞれを4分の1サイズにカット。
そして、小さな4つのピースを一護の皿に乗せ、パッチワークの様に綺麗にくっつけて並べた。

「はいどうぞ、黒崎くん!井上織姫おススメスペシャルです!」

自分だけに向けられる、織姫のとびきりの笑顔。

その瞬間、一護の中でぱちんと弾け、溢れだす熱い想い。
今すぐ、「井上が好きだ」と叫びたい衝動に駆られる。

「俺…っ…!」

しかし、どうにかその衝動を抑えた一護の口からは、その代わりの言葉が飛び出した。

「井上、誕生日おめでとう。」
「え?…黒崎くん、覚えててくれたの?」
「当たり前だろ。だから今日だって誘ったんだし…。」

全く要領を得ないタイミングでの「誕生日おめでとう」だったにも関わらず、一護からの祝福に、織姫はふわり…と花が綻ぶような、今日いちばんの笑顔を見せた。

「…ありがとう、黒崎くん。誕生日を覚えててくれたことも、こうして誘ってくれたことも、すごくすごく嬉しいよ…。」
「お、おう。」

眩しいほどの織姫の笑顔と感謝の言葉に、一護の身体中を喜びと照れくささが駆け巡る。
しかし、それを素直に表せない一護は、咄嗟に自分の手元にあるパッチワークケーキにフォークを差した。

「うん…井上のすすめてくれたケーキ、確かにどれも美味いな。」
「えへへ…良かったぁ!」
「こんなに美味いなら、来年また来てもいいかもな。」
「そうだね!あたしもまた来たいです!」

二人で来年の約束を交わしながら、ケーキを口に運ぶ。
織姫から受け取った小さな小さなケーキは、甘さいっぱいに一護の口の中で広がった。



(2022.09.04)
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