短い話のお部屋
「お待たせ、たつきちゃん!」
ABCookiesの制服からワンピースに着替えた織姫が、スカートの裾をふわりとなびかせ、弾んだ足取りで店の奥から現れる。
店の入り口に飾られている色とりどりの短冊を眺めていたたつきは、その中の1枚を手に取りつつ親友を振り返った。
《願い事1つだけ》
「仕事お疲れ様、織姫。」
「たつきちゃんもお店まで来てくれてありがとう!久しぶりにたつきちゃんとディナーできるから、今日1日ずっとウキウキしながらお仕事できたよ!」
高校を卒業し就職してから、なかなか会う時間がもてなかった織姫とたつき。
今日は織姫の仕事上がりが早かったこともあり、久しぶりに二人でレストランに行くことになっていた。
「たつきちゃんも忙しいんだよね。」
「まぁね。店の入り口に飾られている笹を見て、『ああ、明日は七夕か』ってようやく気づいたぐらいには、忙しいわね。」
たつきは苦笑しつつ、来店した客が書いたのであろう沢山の短冊から、1枚を手に取り、ぴらりと織姫に見せた。
「織姫を待ってる間、暇潰しに短冊の願い事を読んでたんだけど…こんなの見つけちゃった。」
「あ…ああっ!そ、それは!」
たつきが織姫に指し示したオレンジ色の短冊には。
『黒崎くんが、ずっと幸せでありますように』
「おやおや、顔が真っ赤ですよ?織姫さん。」
「た、たたたたつきちゃんっ!」
あわあわと分かりやすく取り乱す織姫に、くつくつとたつきが笑う。
「無記名なのに、誰が書いたかバレバレなのが本当に面白いわね。」
「うう…だって、死神代行としてずっと頑張ってきた黒崎くんには、頑張った分ずっと笑っててほしいんだもん…。」
彼の戦いを…彼が世界を護るために沢山の血を流し、痛みに耐え、苦しむ姿を誰より近くで見てきた織姫だからこその、願い事。
「七夕ぐらい、自分のことを願えばいいのに。…でもね、織姫。」
たつきは、その願い事がいかにも織姫らしい…と思いながらも、親友に諭すように告げた。
「今でこそ、短冊には願い事を書くけれど、昔は自分の目標を書いていたそうよ。」
「え?そうなの?」
「アタシもあんまり詳しくはないけどね。はじめは『○○が上手になれるように頑張ります』って、神様に誓う為に書いていたらしいの。それが、だんだん『○○が上手になりますように』って、願い事に変わっていったんですって。」
「へぇー。たつきちゃん、物知りー!」
手をパチパチと鳴らしながら、無邪気な笑顔でたつきを称賛する織姫に、たつきはニッと笑って続ける。
「だから、あんたの短冊の願い事も、目標にしちゃいなよ。」
「え?」
「一護がずっと幸せでいられるように、織姫が頑張りな。」
「え…ええっ?でもあたし、何もできな…!」
「何言ってるの。一護を護るために、沢山修行して、強くなったんでしょ?戦いは終わったかもしれないけど、まだまだ織姫にできること、アタシはあると思うよ。」
「たつき…ちゃん…。」
たつきの笑顔は、高校時代、いつも織姫の背中を押してくれた時のそれと同じで。
「空にいる神様に頼らずに、側にいる織姫があいつを幸せにしてやりな。それができるのは織姫だけだって、アタシは信じてるからさ。」
大切な親友と、幼馴染み。
二人の幸せは空の上なんかじゃなくて、もっと近くに…更に言うなら同じ場所にある筈なのだ。
本人達に、その自覚が全くないのが歯痒いけれど。
「たつきちゃん…。うん、あたし頑張る。」
織姫はたつきの言葉に、素直に頷いた。
一護を幸せにできる自信なんてないし、一護の幸せは一護が決めることだ。
それでも、一護がずっと笑っていられるように、これからも自分にできることは何でもしたい…と願うこの気持ちに、嘘はないのだから。
「とりあえず明日、黒崎くんにお店の七夕ゼリーをお届けするっす!すっごく美味しいから、絶対幸せな気持ちになっちゃうと思うんだぁ!」
「はいはい。さ、立ち話が長すぎたわね。そろそろレストランを予約した時間になるよ。行こっか。」
「うん!店長、お疲れ様でした!お先に失礼します!」
カラン…とベルの音が軽やかに響き、たつきと織姫が連れだって出ていく。
たつきの手からするりと離れていった短冊は、ドアの隙間から入ってきた夏の風に、さやり…と揺れた。
「いらっしゃいませ!…おや。」
「あ…どうも。」
それから、30分ほど経った頃。
ABCookiesのドアベルを鳴らしたのは、オレンジ色の髪の青年だった。
「悪いね。織姫ちゃんは今日はもう仕事上がったんだよ。何でもこのあと親友とディナーに出かけるそうだよ。」
「そっ、そうですか…。えっと、その…じゃあ、食パンを1斤…。」
織姫がいないことに肩を落とし、同時に織姫目当てで来ていることが店長にバレバレなのが恥ずかしくて。
一護は取って付けたように、食パンを注文した。
「かしこまりました。奥に焼きたてがあるんで、お持ちしますよ。」
そう言って、店の奥に下がっていった店長を待ちながら、一護は店の入り口に飾られている笹と短冊に何気なく視線を移す。
「…あ。」
その時、偶然視界に飛び込んできたオレンジ色の短冊には。
『黒崎くんが、ずっと幸せでありますように』
「アイツ…。」
勝手に緩んでいく口元を、慌てて手で覆い隠す。
短冊の主の名前は書いていないけれど、それでも字で判る。
そもそも、自分を「黒崎くん」と呼ぶ親しい人物なんて、一人しかいないのだ。
「七夕ぐらい、自分のことを書けばいいのに…。相変わらずお人好しだぜ。」
一護は苦笑気味に一人呟くと、店長がまだ出てこないことを確認し、笹の横に置いてあるペンと短冊を手に取った。
「…お返しだ。」
『井上が、ずっと幸せでありますように』
一護は水色の短冊にそう書き付けると、織姫の視界には絶対に入らないよう、うんと背伸びをして笹のてっぺんギリギリにそれをくくりつけた。
「…よし、と。」
「お待たせしました!食パン1斤、焼きたてだよ!」
「うわっ!あ、ありがとうございます…。」
食パンを持って現れた店長に、一護は急いで笹から離れると会計を済ませた。
「はい、こちら商品になります。いつもありがとうございます。」
「どうもっす。」
「短冊に願い事は書かれましたか?」
「うええっ?や、その…まぁ…。」
結局、店長にはバレていたらしい。
ガリガリと頭をかきながら歯切れの悪い返事を返す一護に、店長は笑顔でパンを手渡した。
「さっき、織姫ちゃんとお友達が話してたんだけど、昔は願い事じゃなく目標を書いていたそうですよ。」
「目標…?」
「短冊に書いた『願い事』…君ならきっと、自分の力で叶えられると思うよ。織姫ちゃんがいつもそう言ってるからね。」
「…井上が…。」
「あの笹は、明日まで飾っておきますよ。ありがとうございました。またお越しくださいませ。」
店長に見送られ、店のドアを開ける一護。
店を出る直前、入り口横の笹をもう一度見上げれば、水色の短冊が真っ直ぐに一護を見下ろしていた。
7月の夕方は、まだ明るい。
一護は少しずつ夕陽色に染まっていく舗道を歩きながら、手の中のパンを見つめていた。
「俺に…できるかな。」
店長の言葉を、思い出す。
自分に、織姫を幸せにできるかなんて解らない。
けれど、他の誰かが織姫を幸せにできたとして、それを素直に祝福できるか…と言われれば、答えは「否」だ。
織姫がずっと笑顔でいられるように…と願うと同時に、いつか笑顔の彼女の隣に並び立つのは、自分でありたい、と願う。
「明日…また店に顔出してみるかな。七夕だし。」
一護は一番星が微かに輝く空を見上げ、そう呟いたのだった。
「もう!お兄ちゃん、食パン買ってくるならLINEしてよ!あたしも今日食パン買ってきちゃったよ~!」
「わ、悪い遊子!」
「あーあ…来週は、毎朝せっせとパン食べなきゃだね…。」
(2022.07.09)