短い話のお部屋






「…ったく。この3日間、一勇のクラスが学級閉鎖でさ。1日中、嫁さんにべったりなんだよ。」
「あはは、そりゃ大変ですねぇ。イライラする時には、甘いものがいいんですよ、黒崎サン。」

浦原商店を訪れた俺は、浦原さんにここ数日の不満を愚痴りながら、勧められた饅頭を1つ口に運んだ。
3日間ずっと家にいる一勇は、元気いっぱいにも関わらず、学級閉鎖である以上どこにも出かけられず。
織姫にべったりくっついて、勉強教えてだの、一緒に遊ぼうだの、本を読んでだの、オモチャの電池を替えてだの…。
おかげで俺はずっとほったらかしの状態に。

そりゃまあ俺は大人だし、自分のことは自分でできますけど?

ムスッとしながら、また1つ饅頭を頬張る俺を、浦原さんはまじまじと見つめた。

「…珍しいですね、黒崎サン。いつもアタシがお茶菓子を勧めても、甘いものは好きじゃないって食べないくせに。」

ピクリ…饅頭を持つ手が、震えたあとに止まる。

「…。」
「今日は2月22日…。もしかして黒崎サン、去年の一勇サンのパターンを期待してます?」
「…お、俺は別に…。」

慌てて否定する俺に、浦原さんはニヤニヤと笑いながら、実に楽しそうに告げた。

「実は、その6個の饅頭の中に、猫になる当たりの饅頭が1つだけ入ってるッス。」
「…ロシアンルーレットかよ。」
「あはは。どうやら黒崎サンのお役に立てそうで何よりッスよ!」
「俺は別に猫になりたいとか言ってねぇだろ。」

…俺はぶつぶつ呟きながら、甘い饅頭を6個全部、口に詰め込んだ。






《 続々々々々々々々・2月22日 》






「ニャー、ニャー。」

カリカリ、カリカリ。

猫になった身軽な身体で家のベランダにひょいっと飛び乗り、掃き出し窓を引っ掻く。

その音に気づいたのか、しばらくしてシャッと開けられるカーテン、外される鍵。
ガラリ…窓を開けたのは一勇だった。
そして、開口一番。

「にゃーちゃん、しー!」
「ニャ?」

あれ、俺今怒られた?

「うわぁ、可愛い猫ちゃんだ~!」…みたいな展開を想像していた俺は、思わず目を点にする。

しかし、一勇は俺を部屋に招き入れながら、人差し指を口に当てた。

「うるさくしないで。今、お母さん寝てるんだ。」

そう言って後ろを振り返る一勇の向こう、ソファの上では、織姫が横になり静かな寝息を立てていた。
彼女のお腹に不格好に掛けられたタオルケットは、きっと一勇が掛けたものなんだろう。

「さっきまで一緒にカラクライザー見てたんだけど…ほら、お母さん、いつもお仕事で忙しいから。疲れてるんだよね。」
「ニャー…。」

いやいや、織姫が疲れてるのはずっとお前の相手をしてるからだっつーの。
「親の心子知らず」とはこのことだぜ…とひっそりため息つく俺を、一勇は小さな手で一撫でして。

「でも、にゃーちゃんが来てくれて嬉しいなぁ!お母さん寝ちゃったし、お外は出ちゃダメって言われてるし、遊ぶ人がいなかったんだ。あっそぼ、あっそぼ、あっそっぼ♪」

俺がただの迷い猫だと思っているらしい一勇は、部屋をぴょんぴょんと跳ね回ったあと、突然俺をがしっ!と掴んだ。

「ニャッ?!」
「もふもふもふもふ~!」
「ニャニャニャニャニャー!」

痛い痛い痛い痛い!

一勇の全力の撫で撫でに、俺は思わず悲鳴をあげる。

「あはは、にゃーちゃんも嬉しいんだねぇ!」
「ニニャー!」

違うっつーの!

俺は何とか一勇の腕から逃げ出し、嫁さんのいるソファに飛び乗った。

織姫に起きてもらわなきゃ、饅頭6個を無理やり食った意味がない…。

「あ、にゃーちゃんてば、お母さんを起こしちゃダメって言ったでしょう?…そうだ!」

一勇は自分用の工作ボックスから、割り箸と毛糸と小さなゴムボールを取り出した。

「えーと、ここをテープでぺたりっ!…でーきた!」

俺を振り返った一勇が手にしていたのは、自作の猫じゃらし。
一勇は満面の笑みで、それをひらひらと振った。

「にゃーちゃん! あっそぼ、あっそぼ、あっそっぼ♪ 」
「ニャ…ニャニャ…。」

それを見るなり、疼く猫の身体。
いやいや、そんな誘惑にこの俺が乗る訳が…。

「ニャニャー!」
「きゃはは、にゃーちゃん来た来た~!」

ああ…悲しいかな、猫の本能には抗えず。
一勇がフリフリする猫じゃらしに、あっちへこっちへと振り回される俺。

「にゃーちゃん、楽しいね!」
「ニニャー!」

楽しくない!
むしろ疲れた!

しんどくなったのをアピールすべく、猫じゃらしの誘惑を振り払い、再び寝ている嫁さんの傍に寄り添い丸くなる俺。

一勇は猫じゃらしをぽいっと投げ捨て、じいっと俺を見つめた。
…そして。

「…もしかして、お父さん?」
「ニャ?」
「…お父さんだ!僕も前に、猫にしてもらったもん!お父さんなんでしょう?だからオレンジ色なんだ!だからすぐお母さんのところに行くんだ!」

一勇の顔がぱああっと明るくなる。

そうだ、お父さんなんだ。
お父さんが猫になって大変だろ?心配だろ?
だから、そろそろお母さんを起こして…。

「わぁぁ!猫になったお父さんと遊べるんだぁ! あっそぼ、あっそぼ、あっそっぼ♪ 」

心配せんのかーい!

俺が猫だろうと父親だろうと、全く変わらない一勇の態度にがっくりと項垂れる俺。
対して、一勇は近くにあった新聞をくるくると丸め、テープでぺたりととめると、俺を振り返った。

「じゃあにゃーちゃん…じゃなかった、お父さん!虚退治ごっこしよう!今日なら、お父さんに勝てるかもしれないもん!」

お手製の剣を片手に、一勇が俺を魂葬しようと飛びかかってくる。
ひらりひらりと間一髪でかわす俺に、一勇はバシバシと新聞紙の筒を振り下ろした。

「きゃはは~!楽しいね、お父さん!」
「ニャニャー!」

3日間家に籠りっぱなしで、有り余ったパワーを発散するように新聞紙の剣を振り回す一勇。

…いいだろう。
猫の身体も、丁度いいハンデだ。
最近、デスクワークが続いてちょっと運動不足だったし、さっき食った饅頭6個分のカロリーも消費したいところだ。

今日は徹底的に、一勇と向き合ってやる。

「ニャニャー?」

ちょいちょいっ…と前足で挑発する動きをすれば、織姫に似た一勇の目に、俺に似た光が宿る。

「『来い』って言ってるんだね?よーし…行くよ、お父さん!」

その後、俺と一勇は体力の続く限り、虚退治ごっこをしたのだった…。







「あれ…あたし、いつの間に寝ちゃったのかな。」

ふ…と、目を覚ませば、開いているカーテンからはオレンジ色の日差しが長く伸びていて。
あたしがゆっくりと身体を起こせば、はらり…と床に落ちるタオルケット。

「これ…一勇が…。」

タオルケットを手に取り、くすり…と笑みを溢すあたしの足元では、一勇が大きなオレンジ色の猫を抱き、ぐっすり眠っていた。

「…一護くん?」

あたしがその見覚えあるオレンジ猫をそっと撫でれば、耳をぴくぴくっと動かして…でも、こちらもぐっすり眠ったまま。

「ふふふ…今日は2月22日なのに、うっかり浦原さんのところへ行っちゃったのね?二人でお昼寝なんて…猫になっても、仲良し親子なのね。」

あたしは、猫になった一護くんをそっと抱き上げ、膝に乗せて。

「こんな風に膝枕するの、随分久しぶりかも…。大好きよ、一護くん。一勇と遊んでくれて、ありがとう…。」

あたしが愛しさと感謝の気持ちを込めて柔らかな毛並みの身体を何度も撫でれば、猫の一護くんは眠ったまま、くふん…と満足げな鳴き声をもらした。




(2022.02.27)
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