短い話のお部屋
「俺、明日は1日大学休むから。」
9月2日、大学での講義を終えた後、友人達にそう告げる一護に皆が目を丸くした。
それもそのはず、イギリスの大学に編入してから、今まで一護が講義をサボったことなど、一度もなかったのだ。
「珍しいな、一護。何か大切な用事でもあるのか?」
「明日は、いの…か、彼女の誕生日なんだ。」
自分がイギリスに留学したことで正式な交際は延期になり、正確には「彼女になる予定の女性」なのだが。
英語でそれを説明するのも面倒くさく、一護が照れながらも織姫を「彼女」と言えば、友人達は丸くなっていた目を一様に細め、嬉しそうに頷いた。
「そうか、一護がケータイでよく写真を見てる、あの可愛い娘か!彼女の誕生日なら仕方がないな!」
「プレゼントはもう用意したのか?」
「それは、今日買って帰る。食い物もあるし、ギリギリに用意した方がいいかなって。」
「ははは!郵送だろ?賞味期限なんて1日じゃさして変わらないだろうに、大げさだな。」
「それにしても、大学を休むなんて随分と気合いが入ってるんだな。テレビ電話なら、昼過ぎぐらいでいいんじゃないか?」
「いや、ちょっとな。それじゃ間に合わないから。」
「?」
何が「間に合わない」のか解らず、首を捻る友人達に、一護は軽く手を上げて別れを告げた。
これから、織姫へのプレゼントを買って家に帰り、袋に詰めて。
もう一度、瞬歩で行ける距離と時間を計測し、こちらを出る時間を計算しなければならないのだ。
購入するプレゼントは、もう決めてある。
一護が気に入っている紅茶やビスケット、スコーンなどのイギリスならではの味。
…そして、イギリス発祥とされる、ラッキーモチーフのついたアクセサリー。
《想いは重なる・side15》
「どれがいいかな…。」
洒落た小さな店が建ち並ぶレンガ敷の坂道。
そこにあるアクセサリーショップで、一護は長いこと足を止めていた。
イギリスには「幸運を呼ぶお守り」として、古くから様々なアクセサリーモチーフが存在する。
鳩、蜜蜂、葡萄、蛇…様々なモチーフが金銀の彩飾を施され、一護が見下ろす店先のガラスケースの中で小さな光を放っていた。
どうか、彼女が寂しくならないように。
離れていても、心は繋いでいられるように…そんな願いをかけるに相応しいモチーフはどれなのか。
勿論、織姫が身につけたいと思ってくれるようなデザインでなければ意味がないし…と、顎に手を当て、思案する一護。
この店には以前から目をつけていたのだが、いざ実際に購入するとなると難しい。
「これが日本なら、四つ葉のクローバーだったり、てんとう虫だったりするんだよな、多分…。」
「はぁい!そこの青年、何を迷っているの?」
「うわっ!」
あまりにも長く店の前で立ち止まっていたからだろう。
店からひょこっと顔を出した女性店員に声をかけられ、一護は驚き声を上げた。
「ウチの店の商品に興味をもってくれてありがとう。もしかして、彼女へのプレゼント?」
「あ…そ、そうっす…。」
緩くカールした豊かなブロンドを揺らしながら艶やかに笑うその店員に、内心「乱菊さんとよく似てるなぁ」と思いながら、反射的に頷く一護。
その乱菊似の店員は「ふふっ」と一層妖艶な笑みを浮かべると、店の奥へと一護を招き入れ、別のモチーフを見せた。
「ここにあるのはどう?どれも花のモチーフよ。花モチーフは、少しずつ意味は違うけれど、どれも『愛』の象徴なの。彼女に贈るのにぴったりだわ。値段も手頃よ。」
一護がモチーフケースを覗けば、そこには薔薇やチューリップなど色々な花のモチーフが、繊細な花弁を広げ輝いている。
しかし、一護はやはりピンとこないといった顔で頭をかいた。
何しろ、一護がパッと見て何の花か解ったものは、本当に薔薇とチューリップだけだったのだ。
「けど俺、花にはあんまり詳しくなくて…。」
「じゃあ、彼女の誕生花にしたら?彼女の誕生花はなぁに?」
「えっと…調べます。」
もしかして、英国紳士は誕生花まで把握していないといけないのだろうか。
だとしたら、俺には到底つとまらないな…と思いながら、一護は慌ててスマホを弾いた。
「9月3日…えっと…マーガレット、です。ありますか?」
「勿論、あるわよ。これね。」
店員の指が指し示すモチーフは、一護がよく知る、いわゆる普通の『花』の形をしている。
薔薇のように派手でなく、けれど沢山の可憐な花弁を纏った清楚な佇まいが、織姫のイメージにぴったりだ…と一護はそのマーガレットのモチーフに見入った。
「マーガレットモチーフの意味はね、『忠実な愛 』よ。」
「忠実な、愛…。」
一護は、マーガレットのモチーフに織姫を重ね、思わずその言葉を繰り返す。
高1からずっと、今でも自分を待っていてくれる彼女に、何て相応しい花なんだろう。
半年前、「イギリスに留学したい」と打ち明けたときにも、背中を押してくれた彼女。
織姫を「護る」と誓っておきながら、また織姫に告白しておきながら留学を希望する自分を「責任放棄だ」と責める一護に、織姫は「黒崎くんは、黒崎くんの夢にまず責任を取らなくちゃ」と微笑んでくれた。
そんな織姫に、このプレゼントで想いを伝えられたら…と願いをかける。
イギリスと日本…身体の距離は離れていても、想いは変わらない。
織姫がそうしてくれたように、自分もまた、これからもずっと、忠実に彼女を想い続けるのだと…。
「…これにします。」
「あら、ありがとう。ペンダントにする?チャームにする?」
「じゃあ…ペンダントで。」
「了解よ。ちょっと待っててね。そのマーガレットによく似合う色のチェーンを持ってくるから。」
金髪を揺らし、軽い足取りで店の奥に入っていく店員。
その後ろ姿を見送りながら、一護はどこかすっきりとした気持ちになっていた。
「…よし、できた。」
満足げにそう呟き、一護が机にペンを置く。
織姫に贈る紅茶などについている英文の説明を、一護が全て日本語に翻訳し終わったとき、もう窓から見える空はすっかり鳶色になっていた。
「これを、紙袋に…と。」
広げた紙袋のいちばん底に、先程買ったマーガレットモチーフのペンダントを忍ばせて。
その上に、紅茶缶やビスケットやスコーンを詰め込み、隙間に翻訳した紙を差し込む。
「井上、いつ気づくかな。」
ペンダントをいちばん底に入れたのは、気恥ずかしさと少しのイタズラ心から。
それでも、彼女が紙袋の底からペンダントを見つけたときの驚いた顔を想像すれば、自然に緩んでいく一護の口元。
願わくば、留学を終えて日本に帰ったその時、彼女の胸元でこのマーガレットが咲いているように…。
「さて、あとは瞬歩で行ける距離と時間の確認だけだな。」
粗方の計算はできている。
そして、今の自分の体力なら、イギリスから日本へ、瞬歩で行ける筈だという予測も立っている。
「よし、やるか。」
飛行機でも12時間はかかる距離の往復。
正直、無茶をしている自覚はある。
それでもやり遂げたいと願うのは、やっぱり彼女に直接「誕生日おめでとう」を伝えたいから。
留学してから今まで、ずっと我慢していた「会いたい気持ち」をエネルギーに変えれば、きっと出来ないことは何もないと思う。
織姫と、想いが重なっていることを信じて。
一護は机に突っ伏し死神化すると、夜空へと舞い上がった。
それから、半年後。
「帰ってきた…。」
1年間の留学を終え、日本に戻ってきた一護は、飛行機を降りた後、空港のガラス越しに青い空を見上げた。
先程自分が乗ってきた飛行機の白と空の青のコントラストが鮮やかで、そのまま空港内を歩けばあちこちから聞こえてくるのは英語ではなく日本語で。
じわじわと「日本に帰ってきたのだ」ということを実感する。
「黒崎くーん!」
荷物を受け取り、ロビーに出たところで一護の耳が捉えたのは、己の名を呼ぶ愛しい声。
振り返れば、こちらに手を振りながら駆けてくる胡桃色が見えた。
「井上…!」
「おかえりなさい、黒崎く…ひゃわっ!」
「あぶねっ!」
あと少しのところで危うく転びそうになった織姫を、一護が咄嗟に受け止める。
「相変わらず危なっかしいなぁ。」
「ご…ごめんね、黒崎くん!おかえりなさい…!無事に帰ってきてくれて、ありがとう!」
そう言って、腕の中で顔を上げた織姫の胸元に輝くのは、銀色の小さなマーガレット。
それを一護の目が捉えた瞬間、織姫の身体は一護に強く抱きしめられていた。
「…ただいま。」
織姫の耳元で響く、一護の声。
それはとても嬉しかったけれど、二人の周囲には沢山の空港利用客。
通りすぎる人々の視線を感じ、織姫は一護の腕の中で爆発したように赤くなる。
「あ、あの、黒崎くん大胆だね…やっぱりイギリスだと、挨拶代わりにハグとかキスとかするから、その…。」
「…しねぇよ。」
「え?」
「イギリスは、アメリカと違うからさ。握手ぐらいはするけど、ハグやキスは家族かごく親しい相手にしかしねぇんだよ。」
「えっと…じゃあ…今、黒崎くんがあたしをハグしてるのは…。」
「………ずっと、したかったから。」
一護がぼそり…と告げた言葉に、織姫はぼふっ…とまた顔を赤くした。
「わぁ~、お兄ちゃんてば大胆!」
「あたし達だって迎えにきてるのに、織姫ちゃんしか眼中にないんだね。」
「うぉぉ~一護ぉ!イギリスで成長してきたんだなぁ!パパは嬉しいぞぉ!」
「…あたしも、黒崎くんとずっとハグしたかったよ。」
「ありがとう…待たせてごめんな、井上。」
「ううん。おかえりなさい、黒崎くん。」
「ただいま。これからは、ずっとそばで井上を護るからな。」
(2021.09.12)
《想いは重なる・オマケ》
「わぁ…!どの写真も素敵!」
一護がタブレットの画面に指を滑らせるたび、隣に座る織姫が歓声を上げ、ため息を漏らす。
そこに次々と映し出されるのは、一護が留学中の一年間に撮りためた、イギリスの風景たち。
青々とした芝生が美しい公園や、小さな商店が並ぶ石畳の坂道。
鮮やかな色合いの屋根が並んだ町並みの遠く、青空の真ん中にそびえ立つビッグベン…。
「すごい!どれも映画の1シーンみたいな写真だね!黒崎くん、写真の才能もあるんだねぇ。」
「井上、褒めすぎだっての。」
そう言いながらも、満更でもなさそうな顔で一護ははしゃぐ織姫を見下ろす。
もっとも、織姫の視線はタブレットに釘付けで、一護がどんなに優しい眼差しで自分を見下ろしているかなんて、気づいてもいなかったが。
「あれ、黒崎くん。この動画は?」
「へ?こんな動画、いつの間に…。こいつら、俺のイギリスでの友達なんだけど。」
沢山の写真の最後に、一護自身にも覚えのない動画の記録。
ポーズ画像には、大学の校舎をバックに、一護の友人が5人、横並びで映っている。
一護は首を捻りつつ、その動画を再生した。
『ハイ、一護!元気にしてるか?』
『これを見ている頃は、もう日本に帰っているだろうな。元気にしてるか?』
それは、イギリスの友人達からのサプライズメッセージ。
画面越しに語りかけてくる友人達に、一護の眉尻が下がる。
「あいつら…。」
「わぁ、ビデオレターだね!」
笑顔で画面を見つめる一護と織姫に、タブレット画面の友人達が楽しそうに話し続ける。
『今頃、この動画を彼女と見ているんだろうな!』
『彼女に見せたくて、こうしてイギリスの写真や動画を撮りためていたんだろ、知ってるぜ!』
『一護、彼女と結婚したら、今度は新婚旅行でイギリスに来いよ!』
『一護の大事な彼女に、是非会わせてくれ!』
『いい知らせ、待ってるぜ!じゃあな~!』
そこで、動画は再生終了。
何とも言えない表情を見せる一護の隣で、織姫が小首を傾げる。
「うーん、最初の方は『元気か?』とか聞いてた気がするんだけど… やっぱりネイティブさんの英語は速すぎて聞き取れないや。黒崎くんは、全部解ったの?」
「…そりゃ、まぁ…。」
「わぁ、さすが黒崎くん!すごいね!」
無邪気な笑顔でぱちん!と手を鳴らす織姫。
「それで、お友達さんは何て言ってたの?」
「…いつか、井上をイギリスに連れてこいってさ。俺も、井上にも本物を見せてやりたいし。通訳なら、俺がばっちりしてやるから。」
「うん!楽しみにしてるね!よーし、今から早速貯金するぞ~!」
「新婚旅行で」のところは、今は通訳できないけれど。
いつか、大学を卒業して、翻訳家として一人前になったその時に…一護は心の内でそう決心し、織姫の肩をそっと抱き寄せたのだった。
(2021.10.10)