短い話のお部屋
「誕生日おめでとう、織姫!」
「ありがとう、たつきちゃん!」
9月3日、いつものイタリアンレストラン。
織姫は親友のたつきから差し出されたプレゼントを受け取り、破顔した。
たつきの許可を得て袋のリボンをほどけば、中身はメイクセット。
最近、ようやく化粧を覚えてきた織姫の為に、たつきがセレクトした物だ。
「えへへ…大事にするね。」
「大事にしなくていいから、バンバン使いなさい!織姫はすっぴんでも可愛いけど、化粧したらもっとずっと可愛くなるんだから。」
たつきとの久しぶりのランチ。
日頃忙しい彼女が、自分の誕生日の為に平日にもかかわらず1日予定を空けてくれて、プレゼントまで用意してくれた…そのことに、織姫の胸はいっぱいになる。
たつきは「バンバン使いなさい」と言ったけれど、やっぱりしばらくは使わずに飾っておこう…と考えながら、メイクセットを鞄にしまう織姫に、たつきがアイスコーヒーをかき混ぜながら問いかけた。
「ところで、一護からは『誕生日おめでとう』メールぐらい来た?」
「え?来てないけど…そりゃそうだよ、向こうはまだ朝の4時だもん。」
「まったく…。織姫にようやく告白したかと思ったら、今度はイギリスへ留学なんて…。一護のヤツ、一体何年織姫を待たせる気なのよ。」
呆れたようにそう呟き、たつきは渋い顔でアイスコーヒーを飲み干した。
《想いは重なる》
翻訳家を志す一護がイギリスへの留学を考え出したのは、織姫と付き合い始めて間もない、大学2年の冬のこと。
イギリスへ行き、英語力を高めたい…そう願う一方で、織姫や家族、空座町…護りたいと願うモノたちから長く離れることを躊躇う一護。
その背中をイギリスへと押したのは、他でもない織姫だった。
「いいんだよ、たつきちゃん。高校生からずっと、沢山の人の為に戦ってきたんだもん。今は、黒崎くんの為に黒崎くんの時間を使ってほしいの。」
「織姫もお人好しすぎるのよ。今頃、一護がイギリスで金髪の美女にちょっかい出してても知らないからね。…ま、そんなことしたら日本に帰って来られないこと、アイツも解ってるでしょうけど。仮にあの世に行ったって、朽木さんが仁王立ちで待ってるわ。」
「あはは…あ、たつきちゃん、ピザ来たよ!見て見て、おいしそう~!」
「はいはい。」
織姫は、ちゃんと解っていた。
決してストレートには口にしないけれど、たつきもまた自分と同じように一護の夢を応援していること。
そして、織姫が心の片隅に抱える不安を代弁し、それを否定することで、自分を安心させようとしてくれていることを…。
「今日は織姫の誕生日だから、カラオケでもウインドウショッピングでも食い倒れでも、何でも来いよ。何時まででも付き合ってあげるわよ。」
「わーい!ありがとう、たつきちゃん!大好き!」
そうして、たつきと織姫は長く会えなかった時間を取り戻すかのように、夕食までを一緒に過ごしたのだった。
「あ~楽しかったぁ。久しぶりに、たつきちゃんといっぱいお喋りしちゃった。」
夜、自分の部屋に戻った織姫が、荷物を部屋の隅に置き、掛け時計を振り返る。
もう午後9時過ぎ。
こんな時間までたつきが付き合ってくれたのは、誕生日に自分が寂しい思いをしないように…という、彼女の優しさなのだろう。
「ありがとう…たつきちゃん。」
唯一無二の親友に心の底からの感謝を述べ、織姫は円卓の前に座るとケータイを開いた。
たつきと町を出歩いている間にも、高校時代の友人達から届いた、沢山の「誕生日おめでとう」メール。
それを嬉しい気持ちで読み返して…けれど、その中に一護からのメールはなかった。
「仕方ないよね…黒崎くん、忙しいし、時差もあるし。」
イギリスにいる一護と、直接連絡を取ることは難しい。
イギリスとの時差はおよそ8時間から9時間。
日本が夜の9時なら、イギリスはお昼の12時頃で、一護は大学にいる時間だ。
そして、一護が大学での講義を終える頃には、日本は深夜になっていて、織姫も就寝していることが多い。
だから、互いのメールにすぐには気づけないことも多く、時々メールで近況を報告するぐらいが今の二人の精一杯だった。
…それでも。
「会いたい、な…。」
ぽつり…織姫の唇から、こぼれる本音。
一護はイギリスで、夢を叶える為に一生懸命に勉強し、色々なことを日々吸収しているに違いない。
だから、一護に相応しい存在になれるよう、自分もパティシエを目指して頑張ろう…一護がイギリスへと旅立ったあの日に、そう決心した筈なのに。
やっぱり、一護に会いたくて堪らない夜が、時折訪れる。
何も変わらない自分を置いて、一護がどんどん遠くに行ってしまう気がして。
日本とイギリスの距離ぐらい、心も離れてしまいそうな気がして。
寂しくて、不安で、溢れる涙をぐっと我慢する日が…。
もし今、目の前に神様が現れて、誕生日プレゼントに願いを1つだけ叶えてくれるとしたら。
「…一目でいいから、黒崎くんに会わせてください…。」
ガタン!
ガタガタ、ガタン!
「きゃああっ!か、神様、乱暴?!」
突然、大きな音を立てるベランダの掃き出し窓。
驚き、織姫が身体をびくんっと震わせ大声を上げる。
「も、もしかして…神様…じゃなくて、朽木さんとか、乱菊さんとか…?」
しかし、ベランダからの来客には慣れていた織姫は、そっと閉めてあったカーテンを開いた。
…そこには。
「え?!」
大きく見開かれた織姫の瞳に映ったのは、ベランダから見える町の暗闇に溶ける死覇装。
それを身に纏っているのは、つい先程「会いたい」と願っていた、オレンジの髪の青年。
「く…黒崎くん?!」
「よ…よう。」
「え?!え?!どうしてここに?!」
慌てて、窓の鍵を開けて彼を部屋の中へ招き入れる。
一護は汗だくで、ぜえぜえと肩で大きく息をしており、織姫は急いで冷蔵庫に麦茶を取りに走る。
麦茶の入ったコップを差し出す織姫を前に、一護は深呼吸を数回して、どうにか話せる程度に呼吸を整えた。
「…瞬歩で来た。」
「えええっ?!イギリスから?!い、一体何時間かけて?!っていうか、そんなことできちゃうの?!」
「…何時間、とかは、時差もあるし、わかんねぇ…。けど、何とか、間に合ったみたいだ、な…。」
一護は織姫から受け取った麦茶をぐいっと煽り一気に飲み干すと、手に持っていた紙袋をずいっと織姫に差し出した。
「…これ。」
「え?」
「『え?』じゃねぇよ…誕生日プレゼントだよ!」
「ええっ?」
死覇装に不似合いな、お洒落な西洋風デザインが施された紙袋。
織姫は驚きに目を丸くしながらも、おずおずとそれを受け取った。
「もしかして…これを、あたしにくれる為に、わざわざイギリスから…?」
「当たり前だろ、井上の誕生日なんだから。」
「…中、見てもいい?」
「おう。」
織姫が震える手で紙袋を開けば、中にはイギリスの紅茶の缶やビスケット、スコーンなどが、これでもかと詰め込まれている。
「これ…。」
「せっかくイギリスにいるんだし…井上に本場の紅茶やビスケット、味わってほしいと思ってさ。井上の仕事の参考にもなりそうだし。」
「黒崎くん…。」
少し照れくさそうに頭をかく一護を、ぼんやりと見つめながら。
ただただ驚くしかできなかった織姫の胸が、状況を理解するにつれ、次第に温かい喜びに満たされていく。
何も、変わっていない。
目の前にいるのは、自分が知っている、どこまでも優しくて誠実な一護。
その一護が、遥かイギリスから、誕生日プレゼントを渡す為に、瞬歩で空座まで走ってきてくれた…。
ぽろり。
織姫の瞳から溢れだす、一粒の滴。
「ありが、とう…。」
ぽろぽろ、ぽろぽろ。
溢れだす涙を止められず、ぐしぐしと手で擦って拭う織姫を、一護はそっと抱き寄せた。
まだ、正式に付き合ってはいないから、控え目に…けれど精一杯の想いを込めて。
織姫の胡桃色の頭を、こつり…と自分の肩に引き寄せる。
「いつもなかなか電話できなくて、ごめんな。」
「ううん、気にしてないよ。黒崎くんが元気なら、それでいいの。」
「ヘンな男に言い寄られたりしてねぇか?」
「うん、大丈夫だよ。」
「…あと半年、待たせちまうけど…待っててくれるか?」
「うん。待ってる。」
「誕生日おめでとう、井上。」
「ありがとう、黒崎くん…。」
寂しかった思いも、不安も、嘘のように消えていく。
一護の声で紡がれる「誕生日おめでとう」は、瞳を閉じて一護に身体を委ねる織姫を、世界中の誰より幸せにしたのだった。
「でも、まさかイギリスから日本まて瞬歩で来ちゃうなんてびっくりだよ。このプレゼントだって、郵送してくれれば良かったのに。」
しばらくは、大きな手で頭を撫でてくれる一護に甘えて。
やがて一護の肩から顔を上げた織姫がふわりと笑いながらそう告げれば、視線をそらした一護がぼそりと呟いた。
「…会いたかったんだよ。」
「え?」
「だから、オマエに会いたかったんだって!郵送したら会えないだろうが!」
顔をみられるのが恥ずかしかったのか、また織姫の頭を自分の肩に押し付ける一護。
織姫がそっと一護の胸板に手を添えれば、自分と同じぐらい、激しくて速い鼓動が響いている。
「あのね…『会いたい』って思ってるの、あたしだけだと思ってた…。」
「んな訳ねぇだろ。俺だってオマエに会いたいって思うし、声聞きたいって思うよ。当たり前だろ?」
「…そう、なんだ…。」
「本当は、生身の身体でオマエを抱けたらって思うけど…今日は死神の身体で我慢だ。半年後、日本から戻ったら、そん時は我慢しねぇから。」
「うん…。」
繋がる想い、重なる想い。
どんなに離れていても、変わらない想い。
それは神様からではなく、一護から織姫へ。
世界中でたった1つの贈り物。
(2021.09.05)