短い話のお部屋







「まったくもう、嫌になっちゃう!」

2月22日の午後。
ぼくは、遊びに来た浦原商店の居間で、ぷんすかしながらお饅頭を次々と口に突っ込んでいた。

「はい、お茶ですよ一勇サン。もう少しゆっくり召し上がってくださいな。」
「ありがとう、浦原さん。でもね!」

新しいお饅頭をまた1つ口に入れ、浦原さんが淹れてくれたお茶をぐいっと飲み干すと、ぼくはぷうっとほっぺたを膨らませた。

「うちのお父さんとお母さんったら、家中どこでもイチャイチャラブラブするんだもん。ぼく、困っちゃうよ!」

今日だって、ぼくがいない隙を見て(本当はいるんだけどさ!)、朝からお父さんとお母さんはべったり。
そりゃ、二人が仕事の休みが揃うのは珍しいことだけど…ぼくがこんなに気を遣ってること、多分気づいてないと思う。

ぼくは時々浦原商店を訪れては、そんな文句を浦原さんに溢していて。
浦原さんはその度、一見困ったように…けれどどこか面白そうに、僕に笑ってみせるんだ。

「まぁまぁ、仕方ない面もあるんでスよ、一勇サン。黒崎サンと井上サンは、付き合い自体は長いですが、仲間の期間がずっと続いていたせいで、恋人として過ごした時間はかなり短いんスよ。結婚してすぐに一勇サンが生まれましたしね。だから、今ようやく恋人気分を満喫しているんでしょう。」

浦原さんがそう言ってお父さんとお母さんを庇う。

でも、それって…。

さっきまでものすごい勢いでお饅頭を食べていたぼくの手が、ふっと止まる。

「…じゃあ、ぼくがもっと遅く生まれれば良かったってこと?何だかぼく…邪魔者みたいだ。」

目に映るお饅頭が、何だか寂しげに見えて。
うつむいてしまったぼくに、浦原さんはへらりと笑った。

「…じゃあ、1つ試してみますか?一勇サン。今日はちょうど2月22日ッスから。」
「…2月22日?」







《続々々々々々々・2月22日》







カリカリ、カリカリ。

ベランダの掃き出し窓から聞こえるガラスを引っ掻く音に、俺の隣に座っていた嫁さんが立ち上がり、レースカーテンを開ける。

「…何の音かしら…あ、仔猫!」

嫁さんが窓を開けると同時に中に入ってきたその仔猫は、部屋の中にスルッと入ってきて、にゃあ…と一声鳴いた。

「わぁ…可愛い!」
「野良猫か?」

大きな目をくりくりっとさせて、じっと嫁さんを見つめるオレンジ色の仔猫。

嫁さんがそっと手を差し出せば、その仔猫はすりっ…と顔を擦り寄せて。

野良猫の割には随分と人に慣れてるみたいだ…って、待てよおい。

「織姫、今日は2月22日だ!」
「え…?」

俺と嫁さんの視線が、壁にかけてあるカレンダー、そしてオレンジ色の仔猫へとぐるりと曲線を描く。
そして、辿り着く結論は、1つ。

「…まさか、一勇なのか?」
「にゃあぁ~!」

「正解です!」と言わんばかりに、高らかに鳴き声をあげる仔猫。

嫁さんは慌てて一勇猫を抱き上げた。

「か…かずくん!今年はかずくんが仔猫にされちゃったんだ!」
「にぃぃ~!」
「前はかずくんのまま猫耳としっぽがついて、すごく可愛かったけど、完全に猫になったかずくんも可愛い~!」
「…。」

やはり、そう来たか。

嫁さんはフニャフニャの笑顔になり、ソファに座って一勇猫を膝に乗せた。

「可愛い~!今年はどうやったら元に戻るのかなぁ?でも可愛い~!」
「…。」

かつてそうであったように、「可愛い」以外の語彙を消失してしまった嫁さん。
…くそ、浦原さんめ。
今日は久しぶりに織姫と朝から仕事の休みが揃って、1日一緒にいられるってのに…。

俺の前で、一勇猫を愛で始めた嫁さんは、当分俺なんて見向きもしないに違いない。

こうなりゃ…。

「なぁ、今年はどうやったら元に戻るか解らねぇから…とりあえず、過去にあった方法を試してみないか?一勇がこのまま元に戻らなかったら困るしさ。」

一勇には、一刻も早く元に戻ってもらうしかない。
俺の提案に、織姫は少し残念そうにしながらも頷いた。

「そうだね。仔猫のかずくんも可愛いけど、元に戻る方法が見つからなかったら心配だもん。」
「だよな、だよな!」

そうして、嫁さんは一勇猫の写メを散々撮りまくった後、俺と一緒に過去に猫から元の姿に戻った方法を、片っ端から試し始めた。

…けれど。

「これもダメか。」
「うん…。」

「一勇なんだろ?」と呼びかけても、返事は「にゃあ」。
風呂に入れても、気持ち良さそうに「にゃあ」。
嫁さんがキスしても、嬉しそうに「にゃあ」。

俺達が思いつく限りの方法を試したが、一勇猫はやっぱり猫のまま。

「可愛い」を連呼していた嫁さんの表情も、次第に曇り出す。

「あとは、時間が経ったら勝手に元に戻る…ってヤツに期待するしかないかな。」

てか、ここ数年はそのパターンが多かった気がするし。
浦原さんのことだ、どうせ例年通りなんだろう…と軽く考える楽観的な俺とは対照的に、どんどん沈んでいく嫁さん。

「一護くん…もし、このまま元に戻らなかったらどうしよう。」
「大丈夫だって。今までだって大丈夫だったんだから。」
「でも…今年は特別な方法じゃなきゃ戻らないのかもしれないし!」
「何だよ、今年だけやけに悲観的だな。」
「どうしよう一護くん!例えば幻の竜の鱗を煎じた薬を飲ませなきゃいけないとかだったら…!あたし、旅の準備をしなきゃ!」
「待て待て待て!」

一勇を心配するあまり、久しぶりに織姫のトンデモ妄想が発動。
スーツケースを取りに行こうとする嫁さんを慌てて止める。

「にぃぃ!」
「かずくん…!」

その時、嫁さんに抱かれた一勇猫が一声鳴き、彼女のふくよかな胸を肉球でぽよぽよと叩いた。

まるで、「僕は大丈夫だから落ち着いて」とでも言うように…。

「にゃ、にゃにゃにゃ~。」

猫になっても嫁さんによく似た瞳で見上げる一勇に、嫁さんの涙腺が一気に緩む。

「うぅ…かずくん…!元に戻る方法を見つけてあげられなくて、ごめんね…!」

そして、嫁さんが一勇猫をぎゅうっと抱きしめた、その瞬間。

ぼんっ!

「わっ!」
「きゃっ!」
「うわっ!」

…一勇は、元に戻った。








「かずくん!」
「一勇!」

猫から元に戻った一勇を、嫁さんが更にぎゅうっと抱きしめる。
まるで仔猫のように、一勇は嫁さんにすりすりと甘えて。

「お母さん…心配した?」
「当たり前でしょ!かずくんが元に戻って良かったよ~!」
「…えへへ。」

そして、彼女の肩に頭を乗せて、幸せそうに笑った。







「…ったく。毎年欠かさずやってくれるよな、浦原さんは…。」

翌日、仕事帰りに俺が浦原商店に顔を出せば、浦原さんは扇子を扇ぎながらカラカラと笑った。

「あはは、お褒めにあずかり光栄ッス。その様子だと、一勇サンは無事に元に戻れたみたいッスね。」
「まぁな…。で、今年の『元に戻る方法』って結局なんだったんだ?」

俺が気になっていたことを尋ねれば、浦原さんは扇子で口元を隠した。

「…それはね、『井上サンの涙』ですよ、黒崎サン。一勇サンは一勇サンなりに、色々思うところがあるってことッスよ。」
「全く…あの騒ぎで昨日1日丸っと潰れちまったんだからな。」
「ハイハイ。」

まぁ、一勇が元に戻れたから良かった…とは言え、俺には別の問題が1つ。

「一勇のヤツ、普段から嫁さんにべったりなのに、昨日はあの後ますますべったりになっちまってさ。離れやしねぇんだ。ママが大好きすぎるんだよな。」

全く、日々俺がどれだけ遠慮してるかなんて、一勇は考えたこともねぇんだろうな。

思わずぼやいてしまった俺に、浦原さんは扇子の向こうでボソッと呟いた。

「…来年は、黒崎サンが猫になります?」
「は?何だよそれ。」

(結局は、お二人で井上サンを取り合ってるってことなんでスね…。)




(2021.2.21)
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