短い話のお部屋






「なぁ織姫、一勇は?」

とある昼下がり。
リビングのソファで新聞を読み終えた俺が一勇の居場所を聞けば、キッチンに立つ嫁さんが、いつもの様に耳の少し上で光る青い立花に触れるのが見えた。

「うん、今日は浦原さんのところで遊ばせてもらってるよ。椿鬼くんによると、今はね………え?」
「どうした?」

サァッと顔を青くして、エプロンを外しながらリビングに駆け込んでくる嫁さん。

「な、なんか一勇が大変なことになってるって…!」
「何だと?」

ここ数年穏やかな日々を過ごしていた俺達は、すっかり忘れていたのだ。

今日が、2月22日であることを。
そして、その日は浦原さんに関わってはいけないのだ、ということを…。





《続々々々々々・2月22日》






「こんにちは、浦原さん!お邪魔します!」
「一勇はどこだ?…いた、一勇!」

浦原商店についた俺と織姫は、すぐに店と奥の部屋を繋ぐ通路の真ん中で、小さく丸まっている水色のパーカーを見つけた。
…しかし。

「にゃあ。」
「は?『にゃあ』?」
「……かずくん?」

振り返った一勇は、確かに一勇で…けれど、俺譲りのオレンジの髪からぴょこんと飛び出しているのは、猫の耳。
そして、パーカーの裾からちょろりと出ているのは、ふわふわのシッポ。

「まさか…浦原さん…。」
「やぁ、黒崎ご夫妻いらっしゃい!」

そこで、今日が何月何日なのか俺が気づくと同時に、奥からこの事態の張本人がひょっこりと現れる。

「浦原さん!」
「いやぁ、一勇さんがあんまり可愛いんでね、ついオヤツにお饅頭を…。」
「可愛いんなら怪しい饅頭食わせるんじゃねぇよ!なぁ織姫!」
「…へ、へいっ?」

俺が隣に立つ嫁さんに同意を求めれば、嫁さんはすっとんきょうな声を上げ、はっとした様に身体をびくっと震わせた。

「そ、そうだよね?オヤツの後はちゃんと歯を磨かなくちゃ、虫歯の心配が…!」
「いや、そういうことじゃなくてだな…。」
「みゅ~。」

今度は、一勇の小さな鳴き声にピクッと反応する嫁さん。
そして、猫耳をぴるぴるっとさせて小首を傾げる一勇に、みるみるその顔が溶けていく。

「はわぁぁ~!可愛いぃぃ!」
「いや、織姫、そうじゃなくて」
「い、一護くん、スマホで写真を撮ってください!そしたら、猫年の年賀状の写真はもう決まり…!」
「落ち着け織姫、十二支にネコは入ってねぇ。」

嫁さんは、猫になってしまった一勇の可愛さにすっかりヤラレテしまったらしい。
普段はしっかり者の嫁さんだが、甘いものと可愛いモノだけには昔から目がなくて。
こうなってしまったらもう、日頃の判断力は期待できない。

「おいでおいで、一勇。」
「にゃんっ!」

嫁さんに手招きされ、ぱあっと顔を輝かせた一勇が、嫁さんの胸に飛び込んでくる。
その腕の中でゴロゴロと喉を鳴らす一勇に、嫁さんからもデレデレという音が聞こえてきそうな勢いだ。

「ふわぁぁ~可愛いぃぃ…。」
「にぃ…。」
「まぁ、そのうち元に戻ると思うんで、お家に連れて帰ってくださいよ。」
「なんて無責任な…。」

相変わらずな浦原さんに呆れる俺と、「元に戻るなら大丈夫です~!」と笑顔で答える嫁さんと、そして嫁さんの腕の中でうっとりしている猫一勇。
家族3人で、とりあえず帰宅することになったのだった…。






「はわぁ、可愛い~。」
「重いだろう。抱くの代わろうか?」
「ううん、平気。可愛い~…。」
「…。」

最早、「可愛い」以外の語彙を喪失してしまった嫁さん。
午後の陽射しの下、いつもの家路を歩く間にも、嫁さんは抱いている一勇をずっと撫でている。
その嫁さんの胸を、何を思ったか一勇が小さな両手で押して始めた。

「…一勇、何で織姫の胸を…。」
「確かね、仔猫は母猫の母乳の出をよくする為に、胸をふみふみする習性があるんだよ。可愛いよね~。」
「……。」

ふみふみふみふみ…。
むにむにむにむに…。

いや、別に仔猫じゃなくても、一勇は嫁さんの胸が大好きだけどな、昔から。

何なら俺だってだな…何でもねぇよ。




《仔猫の習性1・ふみふみする》




「ふふふ、かずくんったらくすぐったいよ~可愛い~。」
「…織姫、これは?」
「ふふっ、仔猫はマーキングの為に、すりすりするらしいよ。『ママは僕のものだよ』って言いたいんじゃないかな。可愛いね~!」
「…。」

待て、織姫は俺のだ。




《仔猫の習性2・すりすりする》




「一勇、俺のところにも来いよ。」
「にゃああ~!」
「よしよし一勇……。い、痛てぇっ!」
「にゃむにゃむ…。」
「ああっ、かずくん、パパの指を噛んじゃダメだよ!あ、仔猫って時々甘噛みするんだって!ちっちゃいお口で可愛いよね~!」
「甘噛みってこんなに痛いのかよ!」

どこが甘いんだ、どこが。




《仔猫の習性3・甘噛みする》





「ふう、やっと甘噛みをやめたぜ…。なぁ一勇、ちょっとは織姫の時みたいにおとなしくしててくれよ……って、だから痛てぇって!」
「にゃにゃにゃ~!」
「かずくん、パパの胸板は厚いけど、爪とぎじゃないんだよ!でも可愛い~!」

頼む、全力は止めてくれ!
服が破れる!





《仔猫の習性4・ひっかく》




「…織姫、パス。」
「はぁい。かずくん、おいで~。」
「みゃう!…に…。」
「あれ、寝ちゃった。あ、でも確かね、仔猫ってよく寝るらしいよ。成長する為には沢山の睡眠が必要なんだって!可愛い寝顔~。」
「…だから何なんだよ、この態度の違いは…。」

確かに、寝顔は可愛いな、寝顔は。




《仔猫の習性5・寝ている時間が長い》





…そんなこんなで家に着き、日は暮れた。

その後も、猫一勇が寝ていれば、その寝顔をひたすらに眺めて。
猫一勇が起きれば、手作りのねこじゃらしで一勇と遊んだり、甘えてくる一勇を撫でたり、抱っこしたり…。

飽きることなく猫一勇と触れあい、相変わらず「可愛い」しか言わない嫁さん。

そして、完全に放置される俺…。

「なぁ織姫、そろそろ晩御飯の支度をしてくれねぇかな。腹減ったんだけど…。」
「あ、もうそんな時間なんだ!ごめんねかずくん、しばらくパパと遊んでいてね。」
「にゃい!」
「よし来い一勇…って、痛てぇぇっ!」
「にゃにゃにゃにゃにゃにゃ~っ!」
「うふふ、だからパパは爪とぎじゃないんだよ~!」

ああ、早く元に戻れよ一勇!

いや待てよ、織姫の話じゃ仔猫はよく寝るらしいし、いっそこのまま遊び疲れてぐっすり寝てくれりゃ、そこから先は俺と織姫の時間に…。







…なんて、思っていたのに。

「にゃにゃにゃ~!」
「一勇待て、そんな高いところに乗るな!」
「かずくーん、下りておいで~!」
「みゃみゃみゃ~!」
「一勇、夜なのに眠くなるどころかめちゃくちゃ元気じゃねぇか!何なんだよ!」
「えっと、猫って確か野生だと夜行性だから、夜の方が元気だって聞いたことがあるよ。」
「何だとー?あ!一勇、そんな隙間に入るな、出られなくなるぞ!」
「にゃーん!」

…こうして、俺と織姫の穏やかな夜は、訪れることはなかったのだった…。





《仔猫の習性6・夜に騒ぐ》
《仔猫の習性7・高いところに登る》
《仔猫の習性8・狭いところに入る》







…翌日。

「おはよう、ママ!」
「おはよう、かずくん!…あら、元に戻ったのね。」
「…何のこと?」
「ふふふ、何でもないわ。」
「パパは?」
「疲れてまだ寝ちゃってるみたいね。」
「そっかあ!いつもお仕事忙しいもんね!じゃあ、ゆっくり寝かせてあげよっと。」
「そうね、ふふふ。」



(2020.02.23)
48/68ページ
スキ