短い話のお部屋







名前も、顔も、声も知らない

あたしの、お父さん、お母さん

7月7日になると、毎年聞きたくなることがあるの

たった一人、大切な我が子を授かったあの日から、尚のこと募る思い




ねぇ…どうして、あたしに「織姫」って名前をつけたの?








《Orihime》







「さぁさぁのは~さ~らさら~♪」

ベランダに繋がる掃き出し窓を開けて、夜空に向かって歌いながら、笹の枝をぶんぶんと振る一勇。

一勇が手を左右に動かす度に、しゃらしゃらと笹の葉が優しい音を奏で、願い事を書いた短冊が揺れる。

短冊に書いた願い事は、「パパみたいにつよくなれますように」。

その願い事をどうにかして天にいる彦星と織姫に届けたいのだろう、夜空に向かって必死にアピールしている。

「ふふふ、一勇のお願い、空の彦星様と織姫様に届くといいね!」
「うん!きっと叶えてくれるよ!だって、ママとおんなじ名前の人だもん!」

そう言って、最近あたしと一護くんの名前を覚えた一勇が、無邪気な笑顔であたしを見上げる。

けれど、あたしの胸は一勇のその言葉に、どきり…と音を立てた。

「そっ…か。うん、そうだね。ママとおんなじ名前だね…。」

あたしの膝に乗って甘えてくる一勇を受けとめながら、一勇の言葉を繰り返せば。

「…どうした?」

ソファーに座っていた一護くんがすっと立ち上がり、あたしの隣に来て腰を下ろす。

…ああ、一護くんはやっぱりすごいな。

あたしの胸に起きた、小さなさざ波すら、見逃さないんだもの。

「大したことじゃないよ。ただ…。」
「ただ?」
「ただ…七夕の日が来るたびに、思うの。どうしてあたしは、『織姫』って名前なのかな、って…。」

俯きがちにそう呟くあたしの瞳に、笹を片手にきょとんとしてあたしを見上げる一勇が映る。

「あたし別に7月7日生まれって訳でもないし。ほら、一護くんの名前の由来、すごく素敵で一護くんにぴったりでしょう?だから、あたしの名前の由来は何なのかな、ってちょっと考えちゃったんだ。」

一護くんが名前の由来をあたしに教えてくれたのは、プロポーズされた時。

「俺が護りたいたった一人はオマエだ」と告げられたあの日…あたしは幸福で泣き崩れたのを今でも鮮明に覚えている。

「大切なたった一人を護ることができるように」

…その名前に込められたお義父さんとお義母さんの願いどおり…ううん、その願い以上に、一護くんは本当に沢山の大切な人達を護った。

そして…きっと一護くんのご両親は、一護くんが人生のどこかで「護りたいたった一人」に出会えるよう、願いを込めたに違いない。

あたしがその「たった一人」になれたことは、今でも信じられないぐらいの「奇跡」だけど…。

「ほら、一勇の名前を決める時も、あたし達すごく考えたでしょう?だから、あたしの両親はどうだったのかな、って…。あはは、ごめんね!一護くんに聞かれても、困っちゃうよね!」

そんなこと、多分一生知ることができないって、解ってるのにね。

一護くんを困らせたくなくて、あたしは慌てて笑顔を作ったけれど、彼の表情は真剣なまま。

顎に手を当てて少しの間考えていた一護くんは、やがてゆっくりと口を開いた。

「…そりゃ、俺は織姫の親じゃねぇから、名前の由来はわかんねぇよ。でも…。」
「でも?」
「オマエは昔から優しくて、周囲のヤツらを幸せにしようといつも頑張ってて。高校時代、ケンカばっかしてた俺も、オマエといると何だか優しい気持ちになれた。それって、七夕の織姫みたいだな、って思うんだ。上手く言えねぇけど…。」
「一護…くん…。」

一護くんは穏やかな眼差しで、あたしを見て。
そして、あたしの肩をそっと抱いて、引き寄せてくれた。

「それに、七夕の織姫は彦星っていう一生にたった一人の相手に出会えただろ?俺が『たった一人』を護れるように…って親父とお袋が願ったように、オマエの両親も願ったんじゃねぇかな。オマエがいつか、彦星みたいな『たった一人』に出会えますように、ってさ。」
「…一護くん…。」
「ま、俺は彦星みたいに仕事も忘れて織姫と遊び呆けたりはしねぇけどな。それじゃ大事な織姫と一勇を養えないし、天の神様なんかより100倍怖いルキアやたつきに、ボコボコにされそうだぜ。」

あたしが見上げれば、悪戯っぽく笑う彼がそこにいて。
その優しさに、あたしの胸がきゅうって甘い音を立てる。

「パパ、ママ、なんのお話してるの?」
「ん?ママの名前が『織姫』なのは、どうしてかなって話だよ。」
「なぁんだ!僕、わかるよ!」
「え?」
「だって、ママがお姫様みたいに可愛いからだよ!」

満面の笑みで、自信たっぷりに言い切る一勇。

そんな一勇の無垢な笑顔を見下ろしながら、あたしはふいに涙腺が緩んだのを自覚する。

あたしの両親は、酷い人だった…って、お兄ちゃんは言っていたけれど。

あたしが生まれたその日には、あたしを「可愛い」と思ってくれたんだろうか?

あたしが、生まれてきた一勇を心の底から「愛しい」と思ったように…。

「…やだ、一勇ったら…。」
「なぁ一勇、ママに『織姫』って名前は、ぴったりだよな?」
「うん!僕のママが『織姫』って名前で、僕嬉しい!」
「うう…うぇぇ…。」

ああ、もうダメ。

一勇の前だから…って我慢していたのに、あたしの涙腺はあっけなく決壊。

「あっ!ママが泣いちゃった!パパのせいだ!」
「待て待て!今の会話の流れで何でそうなるんだよ!」
「あはは…ありがとう、二人とも。」

今日は7月7日、七夕。

夜空に流れる天の川、光輝く彦星と織姫星。

ベランダから3人で見上げたその輝きは、温かい涙で少し滲んで見えた…。








名前も、顔も、声も知らない

あたしの、お父さん、お母さん

あたしに、「織姫」って名前をつけてくれて、ありがとう。

あたしは、優しい旦那様と可愛い子供に恵まれて、今、本当に幸せです…。








「僕、もうみんなの名前が言えるよ!パパは、黒崎一護!ママは、黒崎織姫!」
「お~、すごいな一勇。」
「ゆーちゃんは、黒崎遊子!りんちゃんは、黒崎夏梨!」
「うんうん。」
「じぃじは、黒崎ひげだるま!」
「……。」
「ちょっと、一護くん笑いを堪えてないで、訂正してあげて…。」
「…くくく…。いや、いい。面白いから、このままもうしばらくほっておこうぜ…。」
「???」



(2019.07.06)
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