短い話のお部屋






『井上サン、どうか今すぐウチの店に来てください!』
「どうしたんですか?浦原さん。随分慌ててるみたいですけど…。」
『とにかく、早く来てください!黒崎サンが…うわあああ!』
「えっ?!黒崎くん…!?」

そこで、ぷつりと切れる通信。
あたしは、次の瞬間に走り出していた。







《続々々々々・2月22日》








「こんにちは、浦原さん!一体何が…。」
「ああ、井上サン!あれを見てください!」

駆けつけた浦原商店。
血相を変えた浦原さんに案内された先は、店の庭。
浦原さんが指差す庭の木の枝を見て、あたしは目を見開いた。

「く、黒崎くん!」

木に登っているのは、間違いなく黒崎くんだ。
でも、様子がおかしい。

お日様みたいなオレンジの髪からぴょこんと出ているのは、多分2つの耳。
それに、まるで猫みたいに木の枝にちょこんと座って、丸めた手で頭を何度も撫でて…。

…猫…?

「浦原さん…そう言えば、今日、2月22日ですよね…。」
「いやぁ!さすが井上サン、話が早い!」

浦原さんは、扇子をパンと開くと、まるで他人事みたいにカラカラと笑った。

「今年は1ヶ月ほど前に薬を仕込んだチョコレートを黒崎サンに差し上げたんですが、体内で薬の効用が変わったのか、どうも上手く薬が効かなかったみたいで。外見はそのままで、中身だけ猫になっちゃったみたいなんスよ。そしたらまぁ、あのパワーの持ち主ですし、アタシじゃ手に負えなくなっちゃいまして。」

浦原さんが、縁側を振り返る。
あたしもつられて縁側を見れば、黒崎くんが爪研ぎでもしたのか、えぐれた柱や壁、なぎ倒された家具が無惨に散らばっていた。

「あちゃ…。でも、ある意味自業自得なんじゃ…。」
「まぁそう言わず、何とかしてくださいよ。もう井上さんしか頼れる宛がないんスから。」
「…?」

そう言う浦原さんが、縁側の隅にある黒い塊を指差す。
それは、よく見れば。

「ああっ!一心のおじさま!」
「父親ですし、彼なら猫化した黒崎サンを何とかできるかと期待したんですが、むしろ火に油を注ぐ感じでしたね。」

ボロ雑巾の様になって倒れているおじさまに、浦原さんは溜め息をついた。

「そんな訳で、井上さん。どうか黒崎サンを取り押さえてください。このままじゃ、ウチの店が壊されてしまう。」
「…あたしに、できるかなぁ…。」

猫になってしまった黒崎くんが、あたしのことをちゃんと解ってくれるだろうか。
あたしは一抹の不安を抱えながら、それでも彼を何とかしてあげたくて。

彼がいる木の根本に歩み寄り、真っ直ぐに手を伸ばした。

「黒崎くーん。おいで~。」
「…。」

丸くなっている黒崎くんの耳(猫の方)が、ぴくん、と震える。

「わぁ、黒崎くんの猫耳可愛い!…じゃなくて、おいでおいで、黒崎くーん。ちっちっちっ…。」

あたしが手招きしながら舌を鳴らせば、ついに黒崎くんがぱっと顔を上げ、あたしを見た。

獲物をロックオンしたとばかりにキラッと光る蜂蜜色の瞳に、ドキッとするあたし。
…そして。

「ニャー!」
「きゃあぁっ…!」

木からあたし目掛けて飛び下りてきた黒崎くんに、思わず悲鳴を上げた。

あ、あたしもボロ雑巾にされちゃう?!

ドシーン!

ぶつかられた衝撃で、地面に崩れ落ちる。
ぎゅっと目を閉じて、あたしは次に来る攻撃に備えた。
…けれど。

「ゴロゴロ…。」
「…あ…。」

そっと目を開ければ、黒崎くんは、あたしの膝の上に上半身を乗せ、喉を鳴らして丸くなっていた。

「く、黒崎くん…?」

そっと髪を撫でれば、耳(やっぱり猫の方)をぴくっとさせて、でもご機嫌そうにあたしの膝に顔を擦り付ける。

「いやぁ、さすが井上サン!黒崎サンは猫になっても、相手が井上サンだと落ち着くんスねぇ!」
「え…?あ、あたし…!」
「じゃあ、しばらく黒崎サンのお相手を頼みますよ。アタシはその間に、黒崎サンに壊されたところを修理してきますから。」

そう言い残すと、浦原さんはあたしと黒崎くんを庭に残して、浦原商店の奥へと消えてしまった。







「……。」

チチチ…。
小鳥達が、青い空を飛んでいく。

幸い、今日の陽射しは温かくて、お庭に座っていてもぽかぽか、いい気持ち。
そして、あたしの膝の上には、すっかりくつろいだ顔で丸くなる黒崎くん。

「…ふふふ…おっきな猫ちゃんですなぁ。」

彼が、あたしの膝の上でこんな穏やかな表情を見せてくれることが、嬉しくて。
あたしは愛しさを込めて、彼の髪を何度もすいた。

「ねぇ…黒崎くん。いつもの黒崎くんも、あたしの傍でこんな風にリラックスしてくれているのかな…。」
「ニャア…。」
「ふふ、ありがとう。そうだったら、嬉しいな。あたし、黒崎くんの傍にいられるだけで幸せな気持ちになれるから。あたしの幸せが、黒崎くんに少しでもお返しできてたらいいな…っていつも思ってるの。」
「ニィ…。」
「あたしね、黒崎くんが大好きだよ。ずっと、ずうっと…。」

黒崎くんが猫になっちゃって、大変な筈なのに。
毎年のことだし、きっとそのうちいつもの黒崎くんに戻るよね…なんて、楽観的に考えて。

だったら、滅多に甘えてこない黒崎くんが、こんな風に甘えてくれるんだもん…いっそ可愛い黒崎くんを、堪能しちゃえばいいよね?

「そう言えば、こんな展開、どっかの漫画で読んだことがある気がするんだけど…。あの漫画だと、この後どうなるんだっけ?」
「ニャアァ…。」
「あれ、黒崎くんどうしたの?」

あたしの呟きに、膝の上の黒崎くんがむくりと顔を上げる。
そして、あたしの顔を見て、ニッ…と笑って。

「ミィ。」
「…へっ…?く、黒崎く…?…っ!」

黒崎くんはあたしに顔を近づけると、ニャン…と小さく一鳴きして。

…あたしにキスを、した。

「…!く、黒崎く…!」
「ニ!」

唇を離した黒崎くんは、ニカッ…と見たこともないような笑顔を見せて。

「ち、ちょっとっ…!きゃあぁっ!」
「ニャアァ!」

そのまま、慌てるあたしを地面に押し倒した。

「く、黒崎くんっ!きゃっ…!だ、だめっ…!ひゃあっ!」
「ニャア…。」

あたしを組み敷いた黒崎くんが、あたしの頬や耳や首筋、鎖骨をペロペロと舐める。

「や、やんっ!く、黒崎く…!きゃあ、だめっ!だめだよ、黒崎くんっ!」
「ニャニャ~。」

今度はあたしのスカートの中に頭を突っ込んでくる、猫耳黒崎くん。
あたしが必死でスカートを引っ張っても、黒崎くんの力の方が数倍上。

「だめ、だめだってばぁ!ひゃん、くすぐったぁい!」
「ニャニャニャー。」






「…何か、庭の方が騒がしいです…。」
「ああ、雨。今は行っちゃ駄目ですよ。猫化した黒崎サンが、本能の赴くまま行動してるみたいですからね。」
「…いつ薬の効果が切れるんですか…?」
「まぁ、それこそいいほどニャンニャンしたら、切れるんじゃないっスか?」
「…年々、いい加減になっていきますね…。」



…うわぁぁぁっ!



「…?今、悲鳴が…。」
「おやおや、あれは黒崎サンの声。どうやら、元に戻ったようでスねぇ。」






「浦原さん…何てことしてくれたんだ!お蔭で、俺は…俺は…!」
「やぁ、黒崎サン!元に戻ったようで良かったッス!」
「良くねぇ!」

無事、元に戻った俺は、怒り心頭で浦原さんに詰め寄った。

「あはは、お二人だけの時に、一体何があったんスかね?」
「言えるか!今年のは今までで最悪だ!」

よりによって、井上のスカートの中に頭突っ込んだ状態で正気に戻っちまったんだぞ!
井上は許してくれたけど…俺のプライド、ズタボロだぜ!

「まぁまぁ、今回のはアタシも反省しましたよ。家中あちこち壊されて、これじゃあ採算が取れないッス。」
「採算…?」

めっちゃ嫌な予感。
俺が眉間に皺を寄せれば、浦原さんは壊れかけた縁側の下に手を突っ込み、小さなカメラを取り出した。

「このネタ、尸魂界に売ればそれなりの値段がつくとは思うんですが…修理費ほどの値段がつくかどうか…。」
「売るなぁぁぁ!」
「い、今すぐデータを消してください!…あ、でも猫耳黒崎くんの写真だけは欲しいかも。」
「井上まで何言ってんだ!」




(2019.02.25)
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