短い話のお部屋
《「何でもする」はいけません》
もうすぐ、模試がある。
受験生になった一護達にとっては、テストや模試など日常茶飯事。
そのため試験に対する緊張感だの切迫感だのといった感覚はもはや麻痺しかけていたのだが、今回ばかりは結果が進路に直結するとあって、流石の啓吾や千鶴達も焦っていた。
休日、図書館で勉強会と言い出したのも彼らだったのだが。
「ああ、やる気でないよ、一護~。」
「…知るか。黙って一問でも解いたらどうだよ。」
厳かな図書館の雰囲気ですら、啓吾をやる気にさせることは出来なかった。
「ああ、例えば、ヒメが『ボーダー越えたら何でもしてあげる』とか言ってくれたら、もう死ぬ気で頑張るのに~。」
「おお、それいい!『浅野くん、はい、約束のご褒美だよ♪』とか…うひひ、頑張っちゃうなあ~。」
どんどんオーバーヒートしていく千鶴と啓吾の勝手な妄想を完全に無視し、一護は黙々とシャーペンを問題集に走らせていた。
「…余裕だね、一護。」
勉強に飽きたのか、水色が一護の横に来て話しかけた。
「余裕ねぇから、こうやって勉強してるんだろ。」
「そういう意味じゃなくて、さ。井上さんがあの二人のネタにされてるのに、ってことだよ。」
話しかけてくる水色の方を見ようともせず、問題集を睨んだまま一護は答えた。
「勝手に言わせときゃいいんだよ。あいつら構ってるぐらいなら、公式の1つも覚えた方が時間の無駄にならねぇし。」
そう話す時間すら惜しむように、カリカリとシャーペンが動く音。
「…やっぱり、本当に『ご褒美』がかかってる人は、気合の入り方が違うよね。」
ボキッ。
鈍い音を立ててシャーペンの芯が折れた。
「な、なんで…!」
取り乱す一護に、水色がにっこりと笑って返した。
「あれ、図星?」
「な…!」
まんまと水色の策に引っ掛かってしまった一護が言葉を失っていると、そこへ現れたのは。
「ただいま~。」
せっかく図書館へ来たのだからと、本を借りに行っていた織姫とたつきが戻ってきた。
「あ、おかえり。」
まるで何事もなかったように表向き爽やかな挨拶を水色が交わした。
「どう?はかどってる?」
たつきの質問に、泣きつく啓吾。
「そ、それが全然でさあ~。」
「…あんたには、初めから期待してないわよ。」
たつきのシビアな突っ込みにしぼんでいく啓吾を横目に、織姫は一護の隣へ駆け寄って彼の問題集を覗いた。
「わっ、すごい!進んでるねぇ!流石黒崎くん、ですな!」
そう嬉しそうに織姫が見上げた一護の顔は、彼女の予想に反してバツの悪そうな表情をしていた。
「どうしたの?」
「いや…何でもねぇ…。」
口元を手で覆ってそう言う一護に、小首をかしげる織姫。
そこへ二人のやり取りをにんまりしながら見ていた水色がそっと近づき、織姫にこそっと耳打ちした。
「あのね、井上さん。『何でもしてあげる』は最後のご褒美がいいよ。まだこの先、センター試験、滑り止め二次試験、本命二次試験…って続くんだから。ご褒美はちょっとずつレベルアップしないと、ね?」
水色の囁きに、かああっと林檎のように赤くなる織姫。「な、井上に何吹き込んだんだよ…!」
焦る一護に、水色はいつもの笑顔を返した。
「…別に、ちょっとしたアドバイス、かな?」
(まあ、井上さんが「何でもしてあげる」って言ったところで、大それたことは言わないんだろうけどね、一護は…。)
それはとある図書館での、騒がしい勉強風景のヒトコマ。
(2012.9.16)