短い話のお部屋
《続々々々・2月22日》
「さぁ、井上サン、黒崎サン。このお茶菓子をどうぞ!ウチの店の新作なんですよ~。」
「わぁ、浦原さん、ありがとうございます!」
突然、浦原商店に呼び出された俺と井上。
何でも、新作の茶菓子を試食して感想を教えてほしいらしい…が。
「…何か、食いモンとして有り得ない色をしてんな…。」
「でも、いい匂いだよ?あーん…。」
ぱくっ。
躊躇う俺の隣、井上が大きな口を開けて、その怪しい茶菓子を一口頬張る。
本当に、コイツは何でも美味そうに食うよなぁ…なんて感心しつつ眺めていた俺だったが、何気なく部屋のカレンダーに視線を移した瞬間、ハッとした。
「ま、待て井上!食うな!」
「むぐ?」
「やべぇ、今日は2月22日じゃねぇか!」
「ふぇ?ふ…ふにゃんっ!」
…ああ、我ながら浅はか過ぎたぜ…そんな後悔も反省も、既に時遅し。
今年もまた、浦原さんの怪しい薬が茶菓子に練り込まれていたのだ。
…が。
「おやおや?一口しか食べてないからですかね?」
「…あ、あれ?猫になってない?」
「い、井上…。」
ふるふるっと身体を震わせた井上は、猫の姿にはならず。
代わりに、頭にはぴょこんと猫耳。
スカートの裾からは、しゅるん…と長い胡桃色のしっぽが…。
「これはこれは!実に絶妙なさじ加減で猫娘になりましたね!ねぇ黒崎サン!」
「天晴れ」と言わんばかりに扇子をパンッと開いて。
そして、やたらニヤニヤしながら、浦原さんは井上ではなく俺を面白そうに眺めた。
「にゃあ…どうしよう、黒崎くぅん…。」
「ああっ!しょうがねぇな、帰るぞ井上!そのしっぽスカートに隠せ!」「おや?もうお帰りですかぁ?」
「たりめーだ!」
「別にアタシはこのままゆっくりしていただいても構わないんスけどねぇ。」
「断る!」
このままここにいたら、勝手に緩むのを必死に堪えている、俺の顔の筋肉が保たねえんだよ!
俺は井上の頭に生えた猫耳を隠すようにマフラーで包み、赤ずきんちゃんのように首の下で縛ってやると、井上の手を取り全速力で浦原商店を後にした。
「それで、どんな感じなんだ?」
「うーん…いつもとそんなに変わらないかなぁ?あ、周りの音はすごくよく聞こえるけど。」
なるべく人通りの少ない道を選び、辿り着いた井上の部屋。
井上は、俺の質問にぴくぴくっと猫耳を動かしながら答えた。
俺には全く聞こえない、小さな音に反応しているらしい。
「ああ、猫って犬より更に聴覚いいんだっけか?」
「ふふ、この猫耳で猫の鳴き声を聞いたら、何て言ってるのか解ったりして。」
「呑気だな、オマエ。元に戻る方法を今年も探さなきゃいけないんだぜ?」
クスクスと笑う井上にそう言いながら、実は俺もかなり呑気に構えていたりする。
もう毎年のことで慣れてきたってのもあるし、今年の井上はほぼ人型だから、会話も成立するし。
…何より。
「ふにゃん…。」
「…井上、オマエ無意識だろうけど、さっきから頭をかいてるぞ。」
「ええっ!?本当だ!」
頭には猫耳、スカートの裾からはゆらんゆらんとご機嫌そうに揺れるしっぽ。
本人は無自覚なんだろうけど、仕草も何となく猫っぽくて、手を丸めてまるで猫のように頭や猫耳をかいたりして…。
これはちょっと…いやかなり…可愛い…。
「だ、大丈夫!私、全然猫じゃないから!」「そうか?」
「勿論です!」
「じゃあ、今すぐ食いたいのは魚とあんこ、どっちだ?」
「魚!あわわ…。」
「ぶっ!やっぱ猫じゃんか。」
自分で自分の発言に慌てる井上に、笑いが止まらない。
まぁ、こんな感じで猫娘な井上とのんびり楽しく過ごしてりゃ、そのうち元に戻るんじゃねぇの?…なんて。
むしろ、もう少しこの猫娘な井上を堪能したい願望すらあったりして。
「なぁ、井上。」
「にゃあに?」
「にゃあに?」
「はっ!な、なぁに?黒崎くん!」
俺は笑いをこらえながら、井上に向かって手を伸ばす。
「来いよ、撫でてやるから。」
「ね、猫じゃないもん!」
「別に猫じゃなくたって、撫でてもいいだろ?せっかく二人きりなんだし。」
「…そ、そっか。」
何でだろう、普段ならこんな風におおっぴらに言葉で誘ったりできないのに。
井上がちょっと猫っぽいだけで、何だか気楽に誘える。
…それこそ、猫を膝に誘うみたいに。
「じゃあ、お言葉に甘えて…。」
えへへ、と照れたように笑って。
井上はハイハイをしながら俺に近づくと、ぴょんっと俺に飛びついてきた。
「にゃんっ!」
「へっ!?」
いつもの様に、俺に抱きついてくるだろうと構えていた俺には、まさかの展開。
井上は、あぐらをかいた俺の膝の上で丸まったのだ。
…まるで、ねこの様に。
「ふにゃあ…落ち着きますなぁ…。」
「…マジか。」
俺から井上の顔は見えないけれど、ぱたん、ぱたん…と左右にゆっくり振れるしっぽ、ゴロゴロと鳴る喉の音。
どうやら俺の膝が居心地良いことは間違いない。
「…おい、井上。」
「にゃあ…。」
「…井上?」
やがて、すうすうと寝息が聞こえ始めて。井上ネコは、俺の膝の上で眠ってしまった。
「全く、デカい猫だぜ…。」
やれやれ、と溜め息を一つ零して。
膝の上で丸くなっている井上の髪や背中を優しく撫でてやれば、寝ているにも関わらず、ぴるぴるっと猫耳が嬉しそうに動く。
やべぇ、すっげえ可愛い…ってか、癒される…。
「…あ、そうだ。せっかくだから、写真にでも撮っておくか?」
薬の効果が切れてしまえば、恐らくは二度と拝めないだろう井上の猫姿。
俺はこの猫娘な井上をこっそりスマホに収めることを思いついた。
「えーと、スマホ、スマホ…ああっ!そうだ、コートのポケットだ!」
胸ポケやズボンのポケットを探った俺は、コートのポケットにスマホを入れたことを思い出す。
だが、俺のコートは部屋の隅に吊してあって、井上を膝に乗せたままでは取りにいけない。
「くそっ…井上、起きるんじゃねぇぞ…!」
俺は井上をビデオのスロー再生の様にゆっくりと膝から下ろし、スマホを取りに行こうとした。
…が、今度は。
「うおっ!足が痺れてる…!」
井上を乗せていた両足がビリビリ痺れる中、俺は這いつくばって必死にコートに近づく。
そして、どうにかコートのポケットに手を突っ込み、スマホを手に入れた。
「して、今年はどうしたら元に戻るのじゃ?喜助。」
「どうしたらも何も、一口しか食べてないんスから。効果は1時間も持たないんじゃないッスか?」
「そりゃ、一護はがっかりするじゃろうな。」
「よし、これで…!」
俺がスマホを手に振り向いた、その時。
井上は、いつもの井上に戻っていた…。
「ふわぁ…あれ、いつの間にか寝ちゃったんだ。あ、猫耳としっぽが消えてる!」
「あ、ああ。井上が寝てる間にな。」
「なぁんだ。もう少し猫の気分を味わっても良かったのにな。なーんて…」
「ああ、本当にな…。」
「え?」
「や、何でもねぇ。」
(2018.02.23)