短い話のお部屋
《彦星の願い事》
「たつきちゃんの短冊は、こっち。こっちには、石田くんの短冊…。」
彼女の部屋の窓辺で、サラサラと鳴る笹の葉。
俺の目の前では、地上の織姫が鼻歌を歌いながら、五色の短冊を丁寧に飾り付けている。
「…てか、結構な量の短冊だな。」
「うん!せっかく飾るんだもん、皆のお願い事が届いてほしいでしょう?これは茶渡くんの、こっちは千鶴ちゃんの…。」
彼女の手元には、友人知人が書いた沢山の短冊。
どうやら俺だけじゃなく、友達みんなにわざわざ短冊を配って、願い事を書いてもらったらしい。
笹は、バイト先で七夕に向けて飾っていた笹の一部をもらったそうだ。
ちなみに、俺が書いた「大学受験パスできますように」という当たり障りのない無難な願い事は、真っ先に飾り付けられ、今笹のいちばん高いところで風に揺れている。
「…そういや、昔からの素朴な疑問なんだけどさ。」
「うん?」
「七夕に何で願い事するんだ?アイツらにとっちゃ、1年に一度の逢瀬だってのに。」
俺がそう言えば、井上は短冊を飾る手を止めて俺を振り返った。
「昔、絵本で読んだんだけどね。織姫と彦星が離れ離れになって、年に一度の逢瀬の時、天の川が氾濫するの。それで、織姫が悲しんで『どうか彦星様に逢わせてください』って願ったら、カササギが飛んできて、天の川に橋を作ってくれたの。」
「あ、それ聞いたことあるかも。」「そうして、無事に彦星様と逢えた織姫は、『今度はみんなの願いも叶いますように』って祈りながら機を織るようになったんだ…って。だから、皆七夕に願い事をするんだって。竹や笹は冬にも枯れずに綺麗な緑色のままだから、昔の中国では不思議な力を持つ植物だって言われていたらしいよ。」
「オマエ、物知りだな。」
「いえいえ、絵本を描いた人がスゴいんです。」
井上はそう言ってにっこりと笑うと、再び短冊を飾り始めた。
「これは、遊子ちゃんの。こっちは夏梨ちゃんの…。」
愛しげに短冊を手に取り、飾りつけていく井上。
その後ろ姿に、俺は思わず小さく吹き出した。
「…まんま同じだな。」
「え?」
自分の願い事なんざ、そっちのけ。
他人の願い事が叶うようにと祈るお人好しな姿は、天の織姫と地上の織姫、共通らしい。
「オマエ、自分の願い事はいいのかよ?」
俺がそう尋ねれば、井上は僅かに頬を赤くし、はにかんだように笑った。
「…だって、私の願い事は、もう黒崎くんが叶えてくれたもん。」
「井上…。」
「だから、私が織姫なら、黒崎くんはカササギさんですな!」
「俺、カササギポジションかよ!」
思わず俺が突っ込めば、あはは、と笑って逃げようとする井上。
素早く彼女の小さな手を取り捕まえて、そのまま俺の腕の中へと閉じ込める。
「黒崎くん…。」
「もっと欲張ればいいんじゃねぇの?」「もう十分幸せだよ。こんな風に、黒崎くんがそばにいてくれるだけで…。」
「それが欲がねぇって言ってんだよ。」
俺が彦星なら、1年に一度の逢瀬じゃ我慢できない。
もっと、もっとと欲張って…それこそ、自力で天の川ぐらい泳いで渡るに違いない。
「…井上の、願いは何だ?俺が叶えられる願いなら、何でも叶えてやるよ。」
いつも、俺や周りの人間のことばかり優先する井上。
だから七夕ぐらいは、俺の手で彼女の願いを叶えてやりたいんだ…そう、切に思う。
あれ、だとしたらこれが、俺の「願い」か?
「…じゃあ、ね?」
やがて、俺の腕の中で遠慮がちに呟く、地上の織姫。
「おう、何だ?」
「いつもの時間より、30分長く傍にいてほしい…な。門限、破っちゃうけど…。」
「…オマエ、つくづく欲がねぇのな。」
たかだか30分の「逢瀬延長」を願う彼女と、高3にもなって門限を彼女に心配される俺、双方に呆れつつ。
俺は遊子に電話をするべく、スマホを手にした。
今日は、7月7日、七夕。
今頃、彦星は織姫をこうして抱き止めているだろうか。
夜空の彦星も、彼女を腕の中に抱きながら、俺と同じように「織姫の願いを叶えたい」なんて思っているのかもしれねぇな…。
「さ、差し入れは沢山買い込んだし、今から織姫の部屋に乗り込んで七夕パーティーよ!」
「いぇーい、有沢やるじゃん!七夕と言えば井上さんだよな!…けど、何の連絡もなしに行って大丈夫なのかな、水色?一護に許可とか取らねえと、あとから怖くない?」
「大丈夫だよ。どうせ一護も一緒にいるだろうから。」
「そーそー。第一、夜空の彦星と織姫とは違って、オレンジ彦星と天然織姫は毎日しっかり会ってるんだから、気遣いは無用よ。」
「成る程、それもそうだな!」
夜空の逢瀬とは違い、地上での逢瀬には邪魔が入ります。
(2017.07.07)