短い話のお部屋







今日は、俺の18回目の誕生日。

愛しい彼女からの呼び出しに、半分は純粋な期待、もう半分は悪戯をしかけた子供みたいな気分で彼女のマンションのインターホンを押す。

…けれど。

「ふぇぇ、黒崎く~ん…。」

涙目で部屋のドアを開ける井上に、俺の気分は驚き半分、「やり過ぎだったかな」の反省半分に変わった。










《7月15日の彦星の願い》









「…で、何で泣いてんだ?」

とりあえず井上の部屋に上がって。
えぐえぐ…と俺の前で泣く井上の頭を撫でながら、その理由を問いただす。

「チョコケーキ…。」
「は?」
「チョコケーキ…固くなっちゃったの…。」

井上の涙ながらの発言に、俺が頭の上にハテナマークを浮かべれば。

井上は涙を拭って立ち上がり、冷蔵庫を開けると中からチョコケーキを取り出して戻ってきた。

「…これ…。」
「ああ。チョコケーキだな。」
「…う、うぇぇ…。」
「ま、まて!泣くな井上!」

またうるうると揺れ出す井上のおっこちそうな瞳。
俺が焦ってそう叫べば、井上はぐっ…と泣くのをこらえて。
悔しそうにチョコケーキを見つめながら呟く。

「…黒崎くんの為に、柔らかくて甘くて、いいにおいのするチョコケーキを作ろうと思って…バイト先の店長にも相談して…1週間、頑張ったんだけど…。」「…けど?」
「チョコケーキ…チョコを固めようとして冷やすと、どうしても固くなっちゃうの…。」

いや、そりゃあそうだろうな…と納得する俺の前で、身体をふるふると震わせていた井上の涙腺が再び決壊する。

「うわぁん!黒崎くんの為に、柔らかくて甘くていいにおいのするチョコケーキが作りたかったのに!」
「ま、待て、井上!このチョコケーキ、めっちゃ美味そうだよ!てか、オマエがこんなマトモな…じゃなかった、こんな美味そうなケーキ作れるなんてすげぇよ!!」

いや本当、このチョコケーキの為に相当努力したに違いない井上と、バイト先の店長さんに心の底から感謝だぜ…なんて思いながら、俺が必死のフォローを入れれば。

井上はぴたりと嘆くのを止め、伺う様な上目遣いで俺を見上げてきた。

「…でも、柔らかくないよ…?」
「や…その…あれはケーキのことじゃねぇし…。」

あんな短冊書くんじゃなかった…なんて今更後悔しつつ、俺がそっぽを向いてそう言えば。

「え!?じゃあもしかして、明太子の方だった!?うわーん、ごめんね黒崎くん!私、読み間違えちゃった…!」
「いや、それも違うって!てか、『柔らかくて甘くていいにおいのする明太子』って意味不明だろ!」
「…じゃあ…なぁに…?」

くすん…と1つ、鼻を啜って。
俺を真っ直ぐ見つめてくる井上に、急に加速し始める俺の心臓。
目の前の井上の人を疑うことを知らない無垢な瞳に、俺の中で複雑な感情が絡み合う。

騙してるみたいで悪いな…なんてちょっとの罪悪感と、いい加減俺の欲しいモノを察してくれよ…なんてちょっとの苛立ちと、でもそういうとこもひっくるめて可愛いんだよな…なんて欲目と。

いやもう、本当にあんな回りくどい書き方するんじゃなかった。

…いやだからって、ストレートに俺の願望を文字になんて出来る訳もないんだけど。
つか、今それを素直に言葉に乗せることすら俺には難しい。
…だけど。

「…あのさ、井上。」
「うん?」
「実を言うとさ、本当に『柔らかくて甘い』かどうかは俺も知らねぇんだ…まだ一度も味わったことないから。まぁ、いいにおいはいつもしてんだけど…。」
「え?」
「だから…さ、試してみていいか?」

そう、文字にも声にもできない俺の願い事を叶えられる「織姫」は、世界中にたった一人だけ。
だから…。

俺は未だにきょとんとしている井上の身体を引き寄せて。
空いている方の手を井上の頬に添え、ゆっくりと顔を近づける。

…そして。












「……!!」











「…あ…の…。」
「お、おう…。」
「どう…だった…?」
「ど、どうって、何がだよ…?」

茹で蛸みたいに真っ赤な顔で俯く井上と、俺。
とりあえず、嫌だった訳じゃないらしいことにホッとしつつ、井上の問いかけに首を捻れば。

「その…ちゃんと、お願い事…叶った?」
「……!!」

スカートの裾をもじもじと弄りながらそう呟く井上に、また一段と顔が熱くなるのを自覚する。

いや、柔らかいなんてモンじゃない。
めちゃくちゃ柔らかくて、気持ちよくて。
それに、甘い。
味が…とかじゃなくて。
上手く言葉にできないけど、とにかく全てが甘い。
それにやっぱり、井上からはふわふわといいにおいがして。

「…お、おう…。」

俺が素直にそう認めれば、井上は漸くはにかんだ様な笑顔を俺に見せてくれた。

「えへへ…ありがとう…。」
「な、何だよ『ありがとう』って…。」
「だって…嬉しかったもん…。」

そう言って、ふわり…と笑う幸せそうな井上の笑顔に、くらり…とチョコレートみたいにとろける俺の理性。

「あ…あのさ…。」
「う、うん…。」
「もう1回…しても、いいか?」
「…っ…う、うん…。」

結局、そのあと何回したかなんて覚えてねぇけど。





「…井上、もしかしてチョコケーキ味見したか?」
「え?えーと…ちゃんとできてるか心配になって、ちょっとだけ…。でも、何で分かったの?」
「…秘密。」



言葉にできない甘さと香りの中に、ほんのりチョコレートの風味がまじっていたことに気がついたのは、4回目のキスだった。









7月15日、地上の彦星の願いは、ちゃんと地上の織姫に届きました。

(2015.07.15)
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