短い話のお部屋
《キミはウソつき?》
「おーい、咲織。幼稚園に行くぞー!」
「はあーい!」
嫁さんよりさらに1オクターブ高い声で返事をし、とてとてと小さい足音で玄関へと駆けてくる俺の娘。
「ママ、さおる幼稚園に行ってくるね!」
「はい、行ってらっしゃい。」
にっこりと向きあう、コピーの様な2つの笑顔。
基本、子育ては織姫に任せている俺だが、出勤時間が上手く咲織の幼稚園の時間と合うときには俺が送っていくようにしている。
何せ、織姫のお腹には新しい命が宿っているのだ。出来る限りのことはしないと…と夫としては思う訳で。
ついでに言うなら、これぐらいのことをしなければ、そのうち娘に「パパなんていらない」とか言われてしまいそうで。
そして俺の見下ろす中、最愛の嫁さんと目に入れても痛くない娘はそのまま「ちゅっ」と小さな音を立てて「行ってらっしゃい」のキスをした。
「あなたも、行ってらっしゃい。」
そして今度は立ち上がった嫁さんと俺が、軽いキス。
出かける際の、黒崎家恒例の風景。
…ぶっちゃけ、恥ずかしい。
『友人知人には絶対に知られたくない秘密』の五本の指に入る。けれど、新婚当時は仕事がとにかく忙しく、織姫に寂しい思いをさせていた俺。
「これぐらいのことで彼女の寂しさが軽くなるなら」と、出勤の際には一応新婚らしくキスをするようになった。
…そして、特に止める理由もなく、現在に至る。
「止めよう」なんて言ったら、嫁さん傷つくだろうしな…なんて、結局惚れてる方が弱い訳だ。
「咲織、誰にも言うなよ。」
俺と織姫のキスを嬉しそうに見上げていた娘に俺は何気なくそう言った。
「何を言ったらだめなの?」
「いや、だから、パパとママがだな、その…出かける時に『ちゅっ』てしてることだ…。」
自分で言っていることがあまりにも恥ずかしくて、尻窄みに小さくなっていく俺の声。
…しかし。
俺の言葉を聞いた咲織はパッと小さな両手を自分の口に当てて、とたんに目を泳がせ始めた。
…まさか。
「どうしたの?咲織。」
不安になる俺の横で嫁さんがのんびり優しくそう言って、娘の顔を覗き込む。
「さ、さ、さおる、いってない、よ?パパとママがラブラブだとか、いっぱいチューしてるとか、いってない、よ?」
…この、分かりやすさ。
目の泳がせ方とか、どもり方とか、あわあわする様子までもが、そっくりなんだ。
そう、嘘をつくときの嫁さんと。
「…で、例えば誰に言ってないんだ?」
さらりとあくまでも自然に、誘導尋問。
「…え?んとね、みき先生と、まり先生と、ゆうこ先生と、かおり先生と…」
おい。
「あとね、たいきくんと、りかちゃんと、ゆいちゃんと、こうすけくんと…。」
おいおい。
「あと、たつきお姉ちゃんとか、ルキアちゃんとか、恋次くんとか…。」
「いや、そのメンツはいちばん言っちゃダメだろ!」
頭がくらくらした。
俺の娘は、何もかも嫁さんそっくりなんだ。
そう、天然かつ天真爛漫なその性格も…。
そりゃ、四歳児に俺の性格や心情を察してくれってのが無理な願いなんだろうが…。
「なあ、今日の幼稚園はママと行かないか?」
「やだ!パパといくー!」
幼稚園の先生の顔も、子供やその親の顔も今日は冷静に見られそうもない。
それでも、咲織は「パパといく」と言い張り、幼稚園まで送るのは結局俺になった。
手を繋ぎ、駐車場から幼稚園まで二人で歩くいつもの道。
「…やっぱり、出かける前のキスは止めようか…。」
もう何度こぼしたか分からない深い溜め息と共に、俺がそうぽつりと言うと、俺の指を握る小さな手にぎゅっと力が入った。
「だめ!ちゅーやめちゃだめ!」
いや、誰のせいでそうなったと思ってるんだ、この娘は。
大人気なくムッとして俺は言葉を返した。
「…何でだよ、咲織。」
「だって、そしたら、さおるがうそつきになっちゃうもん!」
…いやいや、そう来たか。
ついさっき、俺に隠し事をしようとしたくせに…。
まあ、嘘をつくのが下手なところも、これまた嫁さん似なんだが。
「それにね、ラブラブしてるパパとママが、好きなんだもん!」
そう言ってにこ~っと笑う咲織に、目を見張る俺。
本当にそっくりなんだ。
その何もかも全部許したくなるような、俺の全てをとろけさせる笑顔まで、嫁さん似。
「…分かったよ。降参だ、咲織には。」
小さい頭を帽子ごとぐしゃぐしゃっと撫でてやると、咲織が嬉しそうに「えへへ」と肩をすくめて笑う。
…黒崎家の中でいちばん弱いのは、実は俺なのかもしれない…なんて考えながら歩く、いつもの道。
(2012.11.09)