新しい風景
『金を借りていく!近々返却予定だ、安心しろ!
怪人20面相より』
…何が20面相だ、あのクソ親父!!
俺は、怒りにまかせ紙切れを握り潰した。
今朝、声を掛けてきたのは、これだったのか…家に帰ったら、マジぶっ殺す!
「黒崎くん…20面相に、お金盗られちゃったの?」
はっと気がつけば、不安そうな顔で俺を見上げる井上。
いやだから、これはクソ親父の仕業なんだが…この際、そんなことはどうでもいい。
とにかく、今の俺は金がないわけで…喫茶店どころか、身動きすらとれない状態だってことだ。
絶体絶命。
万事休す。
ああクソ、この四字熟語、使い方これであってんのか?
とにかく、今日の占い、しっかり当たってんじゃねーか…。
思わず深い溜め息をはいた俺のシャツの裾を、ちょんちょんと引っ張る細い指。
「あのね…もしよかったら、行きたいところがあるの…。」
「行きたいところっつっても、俺、金がねぇし…。」
言ってて自分の格好悪さに、情けなくなってきた。けれど、井上はぶんぶんと首を振って答える。
「あのね、お金はいらないの!この駅から歩いてすぐだし!だから…。」
「公園に、行きませんか?」
井上の提案した通り、俺たちは途中のコンビニで昼食を調達して公園に向かった。
つーか、初デートのランチがコンビニって…たつきが聞いたら殴られそうだ。
それでも、井上に金を借りることだけは絶対にしたくなくて、帰りの電車賃を頭で計算しながら飲み物と惣菜パンを買った。
隣を見れば、大量の菓子パンを買う井上。その栄養、どこに行ってんだよ…ああ、胸か。
いやいや、そうじゃなくて。
やましい気持ちを食べ物と一緒にビニール袋にしまいコンビニを出ると、数百メートルのところに公園があった。
「へえ…。」
思わず感心して出た俺の声に、井上が弾んだ声で反応した。
「ねっ?!素敵でしょ?」
公園と言っても、いわゆるガキが砂まみれになって遊ぶ、小さな公園ではなくて。
芝生や花壇が整備された、緑がきれいな公園。
小さな噴水や、人工的に作られた小川もあって、子どもが足を浸したり、落ち葉を流したりして遊んでいる。
「こんな公園、よく知ってたな。」
そう俺が言い終わらないうちに、井上が突然ダッシュした。
「あ、あった!」
井上は、一本の木の根元に行くと、くるりと俺の方を振り向いた。
ふわりとなびく、胡桃色の髪とワンピースの白。それが木陰の深緑に映えて、映画のワンシーンのようだった。
「この木がね、井上家の木なのです!」
木の下で両手を広げ、俺を迎え入れる井上。
「…木に、名前ついてんのか?」
井上に追いついてそう尋ねる俺に、井上は笑顔で答えた。
「うん、お兄ちゃんとね、つけたの。」
どきりとして井上を見れば、笑顔なのにほんの少し瞳が揺れている気がした。
「ささ、座って、座って~!」
井上がそう言って木陰にすとんと座ったので、俺もその隣に腰を下ろした。
心地よい風が吹き抜ける。
回りを見渡せば、家族連れやカップルがそれぞれ楽しそうに休日を満喫していた。
「悪くねぇな、こういくのも…。」
「でしょ?!ではでは、いただきま~す!」
「早っ!もう食うのかよ!昼飯じゃないのか、それ!」
ビニール袋をがさがさと漁り、あんパンにかぶり付く井上。
「これは、お昼前おやつなのです!」
本当に旨そうに食うよなあ、井上は…。
「この公園ね、頑張れば自転車で来られるから、お兄ちゃんとよく来たんだあ…。お金もかからないしね。それで、いつもこの木陰でお弁当を食べたり、お昼寝したり…。」
あんパンをあっさり細い腹に収めて、井上が懐かしむような眼差しで見ている先には、楽しそうに遊ぶ兄妹の姿。
多分、かつての自分たちを重ねてるんだろうな…。
何とも言えない感情を、コーヒーと一緒に流し込んだ。
「…でもね、お兄ちゃんがいなくなって…一度だけ、1人で来たんだけど…。寂しくなっちゃって…それ以来、来てなかったの。」
「…そっか…。」
返す言葉が浮かばなくて、何も言えない情けない俺の肩に、ふっとかかる重み、温もり。
右肩に、井上の頭が、こつりと乗っていた。
一気に上がる俺の体温。い、井上って実は意外と大胆なのか?
「幸せ…だよ…。今は、黒崎くんが隣にいてくれるから。本当に、幸せなの。」
井上の髪が、ふわりとなびく。
井上は、嘘がつけないタイプだ。だからわかる。
俺に気遣ってそう言ったわけじゃないこと。
心から、そう思ってくれていること。
じわりと、体温と共に伝わる、井上の想い。
…あったけえ…。