きれいな感情《後編》
井上は、俺の右隣に腰を下ろすと、すぐに六花を呼び出して治療を始めた。
「井上、何でここに…?」
そう言いながら、井上がかざす両手を見つめた。
癒えていく。
腕の傷だけじゃなく、心の傷も…。
すげぇな。さっきまであんなにムシャクシャしていたのが嘘みたいに、すうっと気持ちが落ち着いていく。
「えっとね、霊圧でね、黒崎くんが戦ってるのは分かったの。でも、邪魔しないようにって思って…。もし、黒崎くんが怪我をしてなかったら、こっそり帰るつもりで…。」
そう井上が言い終わる頃には、もう右腕は綺麗に治っていた。
「その…足手まといにならないようにって思ってたのに…不安になって、結局来ちゃって…。わ、私もう帰るね!」
自嘲気味にそう言うと、井上がベンチから立ち上がろうとした。
「井上!」
俺は、反射的に手を伸ばして井上の手を掴むと無理やり座らせた。
そしてそのまま井上との距離を縮め、華奢なその肩に、頭を乗せて顔を埋めた。
「く、黒崎くんっ…。」
井上の身体がびくっと反応したのが分かったけれど、俺はもう我慢ができなかった。
「井上…。もう、俺が嫌いでもいいからさ、今だけ…こうさせてくれ。」
ふわりと漂ってくるのは、多分シャンプーの香り。
けれど、それだけじゃなくて。井上の体温も、吐息も、全てが甘くて、心地いい。
ああ、前言撤回だ。「今だけ」なんて、言わなきゃ良かった。
「く、黒崎くんのこと…嫌いだなんて、絶対にないよ?」
おずおずと、井上の手が俺の背中に回された。まるで、子供をあやす母親のように。背中から伝わる、優しくて柔らかい温もり。
「ただ、ね?私のせいで、黒崎くんが痛い思いをするのは、もう嫌なの。だから…」
井上の言わんとすることがすぐに想像できた俺は、その言葉の続きを奪うべく。
あのときと同じように。
…井上の唇に、俺のそれを押し当てた。
ただ、あのときと違うのは、なぜそうしたいと思ったか、その答えを俺が見つけている、ということ。
ゆっくり離れる、俺と井上の顔。
あのときと同じように顔を真っ赤に染めて、大きな瞳に俺を映したまま呆然としている井上。俺は井上の細い両肩に手をかけ、井上を正面から見据えた。
大切なことだから。
逃げずに、誤魔化さずに、きちんと伝えたいんだ。
「井上…俺の側に、居てくれ。これからも、ずっと、俺の隣に居てくれ。それだけで、俺は救われるんだ…。」
俺は、死神の力を再び手に入れて、ひとつでも多くのものを守ろうと誓った。
けれど。
井上と離れて、分かったんだ。
俺が、この力に溺れずにいられるのは。
「誰かを守る」という大義名分を振りかざして、感情のままに刀を降り下ろすことがないのは。
戦いの中で、『ココロ』を失わずに済むのは。
…井上がいたから、なんだってこと…。
「で、でも…私、前みたいにまた足手まといに…。」
戸惑ったように井上は言うけれど、もう俺の答えは揺るがない。
「いいんだ。井上は敵にすら優しくしちまうようなヤツで…けど、そういう井上といるから、きっと俺は道を間違えずに済むんだ。」
俺は、確かにもっと強くなりたい。けど、力だけを追い求めるわけじゃない。
この力の有り様を示してくれるのは、井上の優しさや、純粋さや、笑顔や涙なんだ。
「井上のそういうきれいな感情が、俺のココロを守ってくれてる。だから、井上を俺が護るのは、お互い様なんだ。…分かるか?」
井上が、こくんと小さく頷く。またぽろぽろと涙をこぼしていたけれど、その泣き顔は言葉に出来ないほどきれいな笑顔に変わった。
「この上、まだ『一緒にいない方がいい』とか言ったら、またキスするからな。」
「ええっ!それは、その…。」
小さな掌をこちらへつきだして、そこまで声に出した後、ちょっと躊躇って、恥じらって。
ゆっくりと胸の前で手を握りしめた井上は。
「嫌じゃ、ない…です…。」
耳まで真っ赤になって、消えそうな声でそう続けた。
予想外の答えに一瞬目を丸くする俺の前で、目を閉じる井上。
今にも壊れんじゃねぇかってくらい暴れまくる心臓を押さえつける俺。
そして、俺と井上は。
…3度目の、キスをした…。
…なあ、井上。
唇が離れたら、さっきの返事を聞かせてくれよな。
「ずっと俺の側にいる」って。
そして、俺が「好きだ」ってちゃんと告白できたら。
…いつもの笑顔を、見せてくれ。
井上のココロごと、絶対に俺が護ってみせるって、誓うから…。
《あとがき》
お…終わりました!
何だか、自分の考えていたことが上手く書ききれなくて、文章を書くことの難しさを改めて感じました。
ちょこちょこUPだったので、続きを気にしながら読んで下さった皆様に納得していただけたかどうか心配ですが…。
この後、おまけとして「エピローグ・織姫視点」を付け足す予定なので、良かったらそちらも見て下さいませ。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました!
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