きれいな感情《後編》
「…黒崎。」
石田が、例のごとく眼鏡に指を当てながら、俺の方に近づいて来た。
「…何だよ、随分遅いじゃねえか。」
俺は、傷口を見せたくなくて、右腕をすっと引いて石田と向き合った。
「…キミが、随分イライラしていたようだったからね。とばっちりを受けたくなかったのさ。」
「何…だと?」
「虚も、キミの八つ当たりがてらに魂葬されて、気の毒だったね。」
「な…!」
思わずカッとなった俺が言い返す隙すら与えず、石田は続ける。
「少し前は、力を取り戻したのが嬉しくて仕方がないって感じで斬泊刀を振り回していたし…近づき難いんだよ。危なっかしくてね。」
「ぐっ…!」
言い返そうと喉元まで出てきた言葉が、どれも詰まって口から出てこないのは、きっと…心のどこかに石田の言葉を否定できない自分がいるから。
「もう少し、自分の力がどれ程強大で危険なものか…自覚するべきだよ、黒崎。」
淡々と、憎らしいほどにどこまでも正しい正論を俺に突きつけると、石田は俺に背を向けた。
「…何だよ、言いたいことだけ言って帰るのかよ!」
「…僕がここにいる理由は、もうないだろう?キミも、さっさと帰ったらどうだい?」
そう吐き捨てるように言うと、石田は歩き出した。
「その傷は井上さんに、治してもらえばいい。…もし、彼女がここに来るなら、だけどな。」
こちらに背を向けたままそう言い、石田は夜の町に消えていった。
再び、何事もなかったように静けさを取り戻した公園。
「…くっそ…!」
俺の神経を逆撫でするだけして、あのインテリメガネ…!
やり場のない怒り。
言い様のない悔しさ。
ズキズキと痛む右腕。
ぐちゃぐちゃの思考。
…もう、どうすることも出来なくなって、俺はベンチに座り込んでしまった…。
「痛ぇ…。」
ぱっくりと切れた右腕を、既に俺の血で濡れた着物ごと、左手で押さえる。
「気持ち悪ぃ…。」
生温かい血のぬめっとした感触に、背筋をぞっとしたものが走った。
けれど。
俺の腕が、身体が、心がどんなに悲鳴を上げても、きっと井上はここには来ない。
石田も、多分それを分かっていて、あんな言い方をしたんだろう。
周囲の人間が少し見ただけで勘づいてしまうほど、井上の心が俺から離れていってしまったこと。
それが何より、こんなにも、痛い。
「…井上…。」
ぎりぎりと痛む、心臓の辺り。
熱くなる目頭。
「…井上、いのうえ…。」
…どれ程時が流れたんだろう。
固く目を閉じたまま1人ベンチで項垂れる俺の耳に、小さな靴音が聞こえた。
それは風に乗って、温かい霊圧と共に俺へと近づいて来る。
俺は、思わず目を見開いた。
それは…俺が待ち望んでいた霊圧。諦めた振りをしながら、渇望していた温もり。
俺がゆっくりと顔を上げると、そこには。
「黒崎くん…。」
「い…のうえ…。」
肩で息をしながら、俺を見つめる井上がいた。
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