このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

きれいな感情《後編》






井上との帰り道。

いきなり本題に入るのも躊躇われて、とりあえず何か話さなければと言葉を探すのに。
俺の口から気の利いた話題は何も出てこない。

いつもならあれこれ嬉しそうに話してくれる井上もまた、俯いて俺の隣を歩くだけ。

そうして、夕暮れの道をどのくらい歩いただろうか。

重い沈黙に耐えきれず、また川沿いの道には今、俺達以外誰もいないことに身体中の勇気を奮い立たせて。

「あのさ、井上…。」

緊張でカラカラの喉からやっと、声を絞り出した。

「は、はいっ!」

びくんっ!と大きく跳ねて、井上が返事をし、歩みを止めた。

「…その、なんて言うか…夕べのこと、ごめんな…。」

井上の夕日に照らされた顔が、更にかああっと赤くなる。
いや、多分俺も負けずに赤いんだろうけど。

「う、ううん。わ、私こそ、ごめんね?子どもみたいに泣いたりして…恥ずかしいところ、見せちゃって…。」
「け、けどよ、は、初めて…だろ?その、なんだ、…。」

『キス』の二文字がどうしても言えずに口ごもる俺。
けれど、井上には俺の言いたい事がすぐに伝わったらしく。

「…あ、えっと…そ、そうです…。」

鞄の持ち手をきゅっと両手で掴んで、井上は俯いたまま、小さな声でそう言った。

やっぱり、な…。

ショック、だったよな、初めてなのに。
きっと、本当は好きなヤツの為に、取っておきたかっただろうに…。

俺は何とか井上の心を軽くしたくて、思いつくまま言葉を発した。

「あ、あれは…な、無しでいいぞ?」
「…え?」

俯いていた井上が、顔を上げて。
大きい目を更に開いて俺を見た。

「なんつうか、井上にとっちゃ事故みたいなモンだろ?だから、カウントに入れなくていいんじゃないか、って…。」

気まずくて、明後日の方を見て話す俺にも、再び、井上が下を向いたことは何となく分かった。

「…。」

少しの沈黙の後。

顔を上げた井上は、いつもと同じように綺麗に笑っていて。

「…そ、そうだよね!く、黒崎くんも、あれは数に入れたくないよね!そ、そうしましょう!」
「お、おう…。」

せっかくの初キス、あんなんじゃ、『良い思い出』になんてなり様もないから。

井上がこれで納得してくれたかどうか分からねぇけど、それでも俺の気持ちは少しだけ軽くなった。

「そ、そうだ!わ、私、夕食の買い出しに行かなきゃ!じゃ、じゃあね黒崎くんっ!」

井上が、思い出したようにそう言うと、俺の返事も聞かずに突然走り出した。

「え?あ、おい井上っ…!」
「きゃん!」

石に躓いて、本日二度目の転倒。慌てて駆け寄って、学校のときと同じように井上に手を差し伸べた、瞬間。

俺は、頭を後ろから殴られたような衝撃を受けた。

…泣いて、る。

ぽろぽろ零れる銀色の涙が、頬を伝って、井上のスカートやアスファルトに幾つもの染みを作って。

時が止まったような、錯覚。

「…み、見ないでっ…!」

振り払われる、差し伸べた俺の手。

井上は立ち上がると、そのまま振り返りもせず走り去っていく。

「追え」と頭では命令しているのに、身体が凍りついたように動かない。

結局、俺はその場に茫然と立ち尽くすしかなかった…。


.
3/9ページ
スキ