きれいな感情《後編》






朝。

朦朧とする頭で、作業的に飯を口へと運ぶ。
味なんて、分かったモンじゃない。

「…なあ、このはんぺん固くねぇか?」
「お、お兄ちゃん、それ布巾だからっ!」
「ぶわーっはは、一護め、パパのお茶目な悪戯に引っ掛かるとは…ぶほあっ!」
「朝からぶっ飛ばすぞクソ親父!変なモン皿に乗せんな!」
「…だからって、口に入れて気づかない一兄もどうかと思うけど…。」

親父に一発くわらす俺に向けられる、夏梨の白い目。

「そうだよ、お兄ちゃん!ぼーっとして、どうしたの?」

遊子の問いかけに、思わずどきっとする。

「…べ、別に、ちっと寝不足でよ…。」

実は、『ちっと』どころではなく、昨夜はほとんど眠れなかったんだが…。

「…じゃ、ごっそさん。俺、もう行くわ。」
「え、もう?」

俺は、これ以上余計な詮索をされる前に、ここを離れることにした。

だからって…学校へ脚が向くかって言われたら…それはそれで、模試や進路指導なんて比にならないぐらい、めちゃくちゃに行きたくない気持ちなんだが…。


「もう行く」と言ってしまった手前、家を出ないわけにはいかず、俺は重い足取りで玄関を出た。
いつもの通学路。
変わらない景色。

俺の脳ミソは眠気でほとんど活動を停止しているはずなのに、否応なしに頭の片隅で繰り返される、昨夜の光景。

小さな公園。
僅かな街灯、星明かり。
二人で座った、古ぼけたベンチ。


…驚くほど柔らかかった、井上の唇、呆然とした彼女の顔。

なぜ、あんなことをしたのが、自分でもよく分からない。


ただ、井上があんまり自分を責めて泣くから。

井上が虚への攻撃を一瞬躊躇ったのだって、井上らしいと思ったし、俺の怪我を井上に治してもらって、「サンキュー」って言って、それで終わる筈だったのに。

目の前でぐちゃぐちゃに顔を崩して泣きじゃくる井上を見ていたら、何か堪らない気持ちになって。

アイツが「俺の側に居なければ良かった」なんて言うから。


…気がついたら、アイツの口を塞ぐみたいに。

…キス…してたんだ…。



キスの後の井上は、怒りも、泣きもせず。
結局、一言も交わさないまま、別れた。

…相当、ショックだったんだろうな。
無理もないけど…。つーか、井上って今まで、彼氏とか…いなさそうだよな…そんな噂聞かないし、第一たつき達のガードが固そうだ。

そうなると…やっぱ初めて、なんだろうな、あれが。

いや、俺だって初めてって言えばそうなんだが…。

やべぇ、また顔が熱くなってきた。

結局、昨夜ベッドの上で一晩中ぐるぐる考えていたことを反芻するだけの俺。


…とりあえず、井上に謝るべき、だよな…。
許してもらえるかどうか分からないけど。

そう頭じゃ結論を出しているのに、学校へ近づくにつれてどんどん遅くなる歩み。

…どんな顔して、井上に会えばいいんだよ…。



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