きれいな感情《前編》
「あ?いいって、多少怪我をしたって、こうやって井上が治してくれるんだし。」
傷の消えた手で、慰めるようにぐしゃぐしゃっと頭を撫でてくれたけれど。
「でも、黒崎くんが傷ついたことに変わりはないんだよ。」
いつの間にか、堪えていた涙が溢れていたことに、スカートに出来るいくつもの染みで気がついた。
「…泣くなよ。」
黒崎くんが、困ったようにそう言った。
「…ごめんなさい…。」
「…謝んな。」
他の言葉が見つからない。
黒崎くんの顔が、見られない。
俯くしかない、私。
「なあ、井上。…オマエ、さっき俺が駆けつけたとき、虚に攻撃するのを躊躇ってなかったか?」
びくり、と肩が震える。そこまで、黒崎くんには分かってたんだ…。
「うん…。い、一瞬ね、虚に、女の人が重なったの…。その人、泣いていて…。」
「そっか…。」
そんなことで怯んでいるから、私はいつまで経っても変われないんだ…。
「…ごめんなさい…。」
「だから、謝んなって。」
黒崎くんの優しい声が、少し強いものに変わる。
「…私、どうしてこうなんだろう…。」
「井上?」
「私が、朽木さんなら良かったのに…!」
「は?何で、ルキアなんだ…?」
いつもなら、胸の奥深くに沈めてあるはずの思いが、涙と一緒に、溢れて止まらない。
「そうしたら、黒崎くんが、傷つくこともなかった…!私みたいな、役立たずが、側にいたがるから、こんなことになっちゃうんだ…!」
ぽろぽろと、涙と一緒に醜い感情が、吐き出されていく。
「井上、もういいから…。」
「わたし、いっそ黒崎くんの、側になんていない方が良かった…!」
「井上!!」
だだっ子のような私を一喝する、声。
と同時に、私の肩を掴む大きな手。
私のみっともない声が響いていた公園に、再び訪れる静寂。
大きく見開いた私の目から零れていた涙は、驚きでぴたりと止まって。
代わりに私の瞳に映るのは、見たこともないほど近い、黒崎くんの顔。
呼吸が、時間が、空気が、止まる。
わたし、は。
…黒崎くんに、キスされていた…。
それから後のことは、よく覚えていない。
唇が、ゆっくりと離れて、黒崎くんと目があって。
どちらも言葉を発しない内に、虚に気がついた石田くんと茶渡くんがやってきたから、黒崎くんが慌てたように肩から手を離した。
虚は?とか、もう終わったよ、とか適当な会話を石田くんと黒崎くんがして。
呆けていた私は一言も発することができなくて、茶渡くんが怪訝な顔をした。
…そして、家路に着いたんだけれど、誰と、どんな会話をしながらアパートまで戻ってきたのか、記憶にない。
もちろん、黒崎くんの顔を見ることなんてできないまま…。
気がついたら、もう自分の部屋にいた。
一人になったんだ、と思ったら急に身体中の力が抜けて、床にぺたりと座り込んだ。
身体中が、沸騰しているみたいに熱い。
「わた、し…。」
無意識に、唇に触れる指。さっきの出来事を、確かめるように。
どうして、いつもはきちんと心にしまいこんでおけた弱い自分が、あんなにも抑えられなかったんだろう。
黒崎くんの前で、あんなみっともない自分をさらけ出してしまった…。
宇宙に逃げ出したいほど恥ずかしい。
けれど、何より。
…どうして、黒崎くんは、わ、わたし、に…あんなこと…。
わ、私があんまりにも五月蝿かったから、とりあえず、思い付いた方法で、口を塞いでみたのかな…?
未だに頭の中は軽いパニック状態。
気がついたら唇に触れていたことにも恥ずかしくなって、慌てて近くにあったクッションを抱き締めた。
明日、学校で、黒崎くんに会ったら…
ど、どんな顔をしたらいいの…?
私はその日、長い、長い夜を過ごした…。
《あとがき》
…やってしまいました…。
「こんなの織姫じゃない!」とか「こんな一護ありえない!」とか思われた皆様、ごめんなさい。
かなり、和の好み・願望が入っています…。
いつも我慢してばっかりの織姫に、たまには本音を吐き出してほしいなあ、とか思うのです。
さて、後半は一護目線です。
頑張るぞ~!
2012.9.1