きれいな感情《後編》
…あの後。
黒崎くんは、瞬歩を使ってあっという間に私をアパートまで連れていってくれた。
「しっかり掴まってろよ」って言って、軽々と抱き上げてくれて。
闇夜を駆ける、黒崎くんと私。
ものすごい速さだったから、思わずぎゅっとしがみついたら、まるで黒崎くんに抱きついているみたいになった。
身体中のあちこちが黒崎くんに触れていて、火傷しそうなくらい熱い。
でも、どうしようもないくらい、幸せ。
…だって、こうしてくっついてもいいって、黒崎くんが許してくれたんだもの…。
アパートに着いた後も、何となく離れがたくて。
離れたら今夜のことが夢なんじゃないかって不安になりそうで。
黒崎くんが私を下ろしてくれた後も、裾を掴む手を離せずにいる、我が儘な私。
けれど、黒崎くんは照れくさそうに頭をかいて。
「…じゃあ、ちょっとだけ、寄ってくわ…。」
そう言ってくれた。死神の姿で、草履を脱いで部屋に上がる姿がなんだか可笑しくて、私は思わずくすっと笑ってしまった。
「あ、適当に座ってね。」
「…おう。」
心地よい夜風を部屋に入れたくて、アパートの窓を開ける私。
テーブルの前に座った黒崎くん。
ぱたぱたと黒崎くんのところへ戻って、私は迷ったけれど、彼の横にちょこんと座った。
なんだか照れくさくて、くすぐったくて、でも嬉しくて。
幸せって、きっとこういう感じなんだろうなあ。
「…なあ、井上。」
顎の辺りをぽりっとかく、黒崎くん。
「なあに?」
「一つ、聞いていいか?」
「うん。なあに?」
「あのさ、河原で俺がキスしたこと謝ったとき…何で泣いたんだ?」
黒崎くんの言葉で思い出す、夕焼け色の川面。黒崎くんの前で泣くのは困らせるだけだからやめようって思ったのに、結局我慢できずに泣いちゃったんだっけ…。
「あ、あれは…その…黒崎くんに『無しにしよう』って言われたのが、ショックだったと言いますか…。」
何だか黒崎くんの顔が見れなくて、スカートの裾を弄る自分の指先を見ながら、私は言葉を続けた。
「私は、あの…無しにしたくなかった、から…。」
恥ずかしくて、顔が熱くて…両手で頬を押さえていたら、黒崎くんの両手が伸びてきて、私の両手を引き剥がした。
「…それって、あれが『初めて』で、良かったってことか?」
私の顔を覗き込む黒崎くんの顔は真剣そのもので、私をからかっているわけじゃないってわかった。
「あんなの、ムードも何にもなかったし…俺から一方的だったし…あれが『初めて』って、それで井上はいいのかよ?」
「ム、ムードとかそんなの関係ないよ。…だって、黒崎くんと『初めて』が、私の夢だったんだもん…。それ以上に幸せなことなんて、ないよ。」
黒崎くんは、私を気遣って「あれは無し」って言ってくれてたんだ…。
やっぱり優しい黒崎くん。
また、どんどん好きになっちゃう。
「じゃあ、あれは『あり』でいいんだな?」
念を押すようにそう言う黒崎くんに、私は首をこくこくと力一杯縦にふった。
そうしたら、黒崎くんははぁ~っと溜め息をもらして。
「…良かった…。じゃあ、俺も遠慮なくあれを『初めて』にさせてもらうか。」
…そう、呟いた。
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