未来予想図
「…井上…?」
「く、黒崎…くん…?」
俺の名前を呼んで振り返った、井上のその姿、に。
…目を見張った。
星が輝き始めたコバルト色の空に、白いドレスと白い井上の肌がまるで幻の様に浮き上がっていて。
長い胡桃色の髪は綺麗にまとめあげられていて、髪の代わりにヴェールがふわりと風になびいていて。
薄暗い中で、井上の大きな瞳とふっくらとした唇がやけに艶やかで。
井上がウェディングドレスを着ればきっと綺麗だろうなんてことは、簡単に予測出来ていたはずなのに。
…あまりに、綺麗で。
綺麗すぎて、驚いて言葉を失った。
…そうして、その後に、じわりと切なく胸に染み込んでくる、一つの確かな感覚。
ああ、俺が今、ここに来たのは、必然だったんだ。
…井上に、この想いを告げる、そのために。
俺は今、ウェディングドレスを身に纏った井上に、こんなにもはっきりと「未来」を感じていて。
そして、今日がその一歩になるんだ…そんな、確信。
本当にこんなこと、あるんだな。
そこに未来を見るなんて、物語の中だけの話だと思っていたのに…。
「…ど、どうしてここに…?」
びっくりした様な顔でそう言う井上に、俺は後ろ手でドアを閉めるとゆっくり近付いた。
「オマエこそ、何でこんなところにいるんだよ。部活の奴らが、井上がドレスごといなくなったって探してたぞ。」
近付いて改めて見る井上は、やっぱり綺麗で。しかも、ドレスから覗くふっくらとした胸の谷間に思わず目が行ってしまって。井上が俯いてくれていて助かった、なんてヨコシマな考えが頭をよぎる。
「あ…その、えっと…このドレスを、お、お兄ちゃんに見せようと思って…。」
井上らしい発想に、俺は「なるほどな」と納得する一方で、少し井上の兄貴に嫉妬した。
井上がいちばんにドレスを見せたい相手が、俺じゃなかったから…なんて、我ながらガキだとは思うけど…な。
「じゃあ、オマエの兄貴も、喜んでんじゃねぇの?大事な妹が、それだけ綺麗になってりゃ…。」
「…え…?」
俺は内心、複雑な気持ちだった。同じ兄貴として、大事な妹が今から男に告白されるのを眺める気分ってのは、いい気分じゃないだろうって思うから…。
けれど、その瞬間。
まるで俺のその燻った思いを振り払うかの様に、バチバチっと火が弾ける音がした。
「…始まったね、後夜祭…。」
そう言って井上がフェンスの方を振り返る。
わあっと沸き上がる生徒達の声。
井上の更に向こう、ぼんやりと浮かぶオレンジ色の明かり。
軽音楽部のチューニングの音が聞こえ始めて、俺はちらりとチャドのことを思い出した。
どちらともなくフェンスに近寄り、二人並んで運動場を見下ろす。
運動場の中央では、ファイヤー用に組まれた丸太から火が上がっていて、沢山の生徒達がその回りを囲んでいた。
…まるで、俺と井上、二人だけ別世界にいるような、不思議な感覚。
ちらりと井上を見下ろせば、彼女の瞳に、肌に、ドレスにファイヤーの明かりが映って、ゆらゆらと揺れている。
それが何だか妙に儚く見えて、胸が痛んだ。
フェンスに絡めた井上の華奢な指へと、視線をそっと移す。
いつも、誰にでも無邪気な笑顔で接する井上。
昔はそれが彼女の全てだと思い込んでいた。
けれど今は、彼女の細い手が沢山のモノを抱えていることを知っている。辛い過去とか、孤独とか。自分の痛みや、それこそ抱える必要のない他人の痛みまで。
…それでも笑う井上は、きっと強いんだと思う。
けれど、時には我慢も無理もしないで、甘える心地よさも知ってほしくて。
俺が、井上にとってのそんな場所になれたら…。
井上の強さも弱さも、ひたむきさもはかなさも、まるごと俺の手で護りたいと言ったら…。
そうしたら、やっぱり井上はいつもの様に笑うんだろうか。
それとも…。
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