7cm
二人で他愛もない話をしながら歩いていたら、あっという間に着いた井上のアパート。
別に井上の部屋に入るのは初めてじゃないが、それでも正直、緊張する。
なのに、井上は拍子抜けするほどあっさりと俺を自分の部屋に招き入れた。
俺を信用してるのか、たつき達とおんなじ感覚で扱われているのか…。
複雑な思いのまま、彼女らしいシンプルかつ清潔感ある部屋に、井上に言われるまま入って腰を下ろす。
「はい、黒崎くんどうぞ!」
井上は早速俺にコーヒーを、自分にはカフェオレを淹れてテーブルに置いた。
「お、おう、サンキュー。」
すげえ、何か本当にカレシカノジョっぽい…。
淹れたてコーヒーを一すすりしながらこそっと盗み見た井上は、いそいそとバイト先のパンをテーブルに並べ始めていた。
これって、歓迎されてるって思っていいんだろうか?
それとも、目の前に広がるパンが嬉しいだけか?
単純で、純粋で、嘘のつけない井上。
なのに彼女の肝心な気持ちはまるで見えなくて。
…俺は仕方なく、DVDをケースから取り出した。
腹ごしらえの準備が整ったところで、二人で並んで座ってDVDを再生する。
始まってしまえば、そう会話をすることもなく、お互い時折パンに手を伸ばしたり、飲み物を口にするだけ。
それでも、決して気まずさや窮屈さはなくて、むしろ初めてのデートでこんなにまったりしてていいのかってぐらい、気楽で、のんびりした気分。
思い描いていたデートとはちょっと違うけど、ああ、だから俺は井上がいいんだよな…そう思ってちらりと横を見る。
井上はすっかりDVDの世界に入っていて、主人公のピンチに心配そうな顔をしていた。
それがあまりにも井上らしくて、俺は声を出さないように小さく笑う。
今回の主人公のミッションは、難病の特効薬を大学病院に届けることらしい。
テレビ画面の中、傷だらけで奮闘する主人公。
こいつに比べたら、俺の「井上とカレシカノジョになる」なんて、ちっぽけなミッションだよな…と思う一方で、死神の力が使える俺にとっちゃ、いっそ映画のミッションの方が楽なんじゃ…とも考えてしまう。
つーか、井上に何て言うんだ?
「俺と付き合ってくれ」?
「好きだ」?
…ダメだ、どっちも生半可な覚悟じゃ言えそうにない。
「井上には好きなヤツいるのか?」…とか迂闊に聞いて「うん」とか言われたらどう返していいかわかんねぇし…。
そういや、俺玉砕したときのこと考えてねぇ…あははって笑ってなかったことにできるのか?
…映画がどんどんクライマックスになっていくのに反比例するように、どんどんマイナス思考になっていく俺。
結局、俺の頭に内容はまるで入ってこないまま、DVDが終わった。
「はあ…面白かったねぇ…。」
溜め息まじりにそう呟く井上の声に、俺ははっとして慌てて会話を合わせる。
「お、おう。だろ?このシリーズ、ハズレないからさ。」
映画の主人公は、ミッションを成功させた。
今度は俺の番だ…そう頭では命令を下しているのに、心臓ばかりが無駄にうるさくて、肝心な言葉は何も出てこない。
井上は黙りこむ俺の顔をまるで不思議なモノでも見るようにじっと見つめていたが、ふと何かを思い付いたように両手をぽんと打ち鳴らした。
「そうだ、黒崎くん!」
「お、おおおう?!」
ばくばくしていた心臓が口から飛び出すかと思うほどに驚いた俺は、力いっぱいどもった返事をした。
「これ、いつ返すの?」
「…へ?」
あまりにも予想外の問いかけに、俺は呆気にとられると共に告白するタイミングを完全に逃した。
「このDVD、いつ返すのかなって。」
「いや、期限すぎないように俺が返しておくから気にするなよ。」
俺の頭にはDVDの内容がほとんど入っていないことだし、家でもう一回見たら適当に返すつもりだった俺はそう軽く答えた。
けれど、井上はぶんぶんと音がしそうなほど横に首を振る。
「そんなの悪いよ!黒崎くんが返しに行くなら、私も一緒に行きます!」
一瞬「いや、いいよ。」と断ろうとして、いや待てよ、と考え直した。
…もしかしてこれ、次のデートになるんじゃねぇ…?
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