graduation
「…黒崎くんの、意地悪…。」
…どれほど時間が流れただろうか。
俺の腕の中、漸く落ち着いた井上が、ふいにポツリと呟いた。
「…何が?」
「だって…あんな…一瞬お別れかと思うような言い方して…。もっと普通にプロポーズしてくれれば良かったのに…。」
少し拗ねた様にそう言う井上は、先程までの自分のパニックぶりを振り返ったのか、恥ずかしそうに顔を赤くしている。
俺は苦笑しつつ、彼女の左手を取り指を絡めた。
「ごめん。けど…普通にプロポーズしたんじゃ、冗談だと思われるんじゃねぇかって心配だったんだ。何たって俺はまだまだ学生だからな。」
「…そんなことないもん。」
口を尖らせてそう反論する井上を宥めながら、俺は絡めた指の先で指輪を探す。
やがて柔らかい彼女の指の付け根、石の形を探り当てた俺は、指の腹でその石を何度も撫でた。
「…それに…俺、すげぇ嬉しかったんだぜ。オマエが『離れたくない』って駄々をこねてくれて…。昔のオマエなら、自分の気持ちはどうあれ『黒崎くんがそう言うなら』って言いかねなかった。ああ、やっと俺に我が儘言ってくれる様になったんだなって思ってさ…。」
「黒崎くん…。」
「それに…これから社会に出れば、俺より大人で仕事の出来る男が井上の周りに沢山現れるだろ?。…自信が欲しかったんだ。『俺と離れたくない』って、井上の口から聞きたかった。…泣かせてごめんな。」
俺がそう本音を語り、お詫びの印にと井上の額に唇を押し当てれば、納得したのか井上は「許してあげる」と俺の耳元で囁いて。
そして顔を上げて、いつもの笑顔を俺に見せた。
「ね…黒崎くん。あっちの指輪も、やっぱりつけていたいな。だって、この婚約指輪は高価すぎて毎日つけてはいられないし…それにその指輪も、私の一生の宝物なの。」
「雑貨屋で買った安物だけどな。」
「値段は関係ないの。あの指輪にはお金で買えない価値があるのです!」
「…それどっかで聞いたフレーズだな。」
俺はジャケットのポケットから外した指輪を取り出し、井上と一緒にクスクスと笑いながら、その右手の薬指に指輪を戻した。
やはり居場所はここなのだ…と言うように、井上の指にしっくりとはまるオープンハート。
「なぁ…井上。この袴、やっぱり脱がしちゃ駄目か?」
「え?」
「…いや…せっかくだし、謝恩会までに一回シたいなぁって…。」
「…っ!!だ、駄目です!!絶対駄目!!」
「ほら、俺こう見えて死覇装歴長いからさ、多分着付けも何とかなるって…。」
「そういう問題じゃありません!!駄目ったら駄目!!」
顔を真っ赤にしてブンブンと首を振る井上に、俺が「ちぇっ」と小さく舌打ちして見せれば、彼女もまた「もうっ」と可愛らしく怒ってみせて。
その後、表情を一転させクスリ…と笑った。
「…何だ?」
その笑顔に、いつもとは違う『含み』を感じた俺がそう問えば。
「…ヒミツです。謝恩会の後まで、ちゃんと待っててくれたら…いいこと教えてあげる。」
にっこりと笑って、どこか得意気に、嬉しそうにそう言う井上。
「オマエがそういうこと言うの、珍しいな。」
「うん。本当はずっと言いたかったけど、今日まで我慢してたの。」
「…な、何だよ。気になるじゃねぇか…。」
「うふふ~。ヒミツでーす。さっき意地悪だった黒崎くんにお返しでーす。」
「ちぇ…。まぁいいや、謝恩会終わったら連絡しろよ。迎えに行くから。」
「うん。」
無邪気に頷く井上に、謝恩会の後は覚悟してろよ…とこっそり呟いて。
手を伸ばしたコーヒーはすっかり冷めていたけれど、多分このコーヒーの味を俺は一生忘れないと思った。
「ただいま、黒崎くん!お迎えありがとう!」
「お帰り、井上。謝恩会楽しんできたか?」
「うん!」
「…でさ、早速だけど、俺にヒミツにしてることって何だ?」
「んふふ~。」
「…な、何だよ…。」
「…実はね、少し前に、私が4月からお勤めする学校が分かったの。もうご挨拶にも行ってきたんだけどね。」
「へぇ…どこだ?」
「F小学校。」
「F小…?空座にそんな名前の小学校あったか?」
「ないよ。空座じゃないもん。」
「へ?」
「やだなぁ、知らないの?F小学校って、黒崎くんの大学がある市にあるんだよ。」
「…へっ!?」
「空座からじゃ通勤できないから、今引っ越し先を絶賛探索中なの。でね、黒崎くんの下宿先の近くに、いい感じのマンションがあったりして…。」
「…マジでか?」
「…マジです。」
…なぁ、お袋。
やっぱりお袋は、空から不思議な力でも使って俺の背中を押してくれてるのか?
俺の隣、助手席に座る彼女。
右手の薬指には、オープンハートの指輪。
左手の薬指には、お袋から引き継いだダイヤモンドの婚約指輪。
きっとその薬指に、「結婚指輪」が重なる日も遠くない…そんな予感がした。
(2014.08.23)
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