graduation
「……え…?」
初めは不思議そうに俺の言葉に耳を傾けていた井上の瞳が、やがてゆらゆらと不安に揺らぎだして。
そして俺が指輪を外すと同時に、見開いたその瞳には驚愕の色が映った。
「…ど…して…?」
やっとのことで絞り出された彼女の声は、掠れ、震えていて。
そんな井上の問いかけに俺がただ黙っていれば、彼女の見開かれた瞳にジワリと涙が浮かんだ。
「…やだ…嫌だよ…そんなのやだ…。」
「井上…。」
「やだ、やだよ。今までみたいに会えなくてもいいよ、会いたいって我が儘も言わない。だから…離れるなんてやだ…そんなこと…言わないで…。」
そこまで告げると、ひっくひっくとしゃくりあげながら、ポロポロと溢れ出す涙を隠す様に両手で顔を覆ってしまう井上。
そんな井上を前に、俺は右手でジャケットのポケットを漁りつつ、左手で彼女の細い手首を掴んだ。
「…井上…顔、見せて。」
「やだ、やだぁ…。」
「…いいから、井上。」
初めはイヤイヤと首を振って拒否していた井上も、やがて観念した様にゆっくりと両手を顔から離す。
そして、恐る恐る目を開いた井上は、その瞳に飛び込んできたものに息を飲んで固まった。
「…え…?」
俺が井上の目の前に差し出した、小さな箱。
その「いかにも」な造りに、井上はまるで時間が止まったかの様に呆然として。
そして涙を散らしながら瞬きを繰り返した後、ぎこちなく俺を見上げた。
「黒…崎くん…?」
「…開けてみ。」
俺に促され、未だ僅かに震える両手で井上はその小箱を手に取り、ゆっくりとその蓋を開ける。
…そして。
「…ゆび…わ…。」
まるでうわごとの様に呟いた井上は、信じられないといった表情で小箱の中の煌めきと俺の顔を交互に何度も見返した。
「…え…?だって、これ…このダイヤモンドってもしかして…本物…?」
「おう。やっぱり本物は輝きが違うっつーか…綺麗だよな。」
事態が飲み込めず、半ば呆けたまま大きな瞳を落っこちそうなほどに見開き、戸惑う井上。
想像以上の彼女の反応に、俺は堪えきれず小さく吹き出した。
「…ぶっ!あのさ、井上。俺は指輪を外すとき、この関係から『卒業』しよう…って言ったんだ。『別れよう』とは一言も言ってねぇぜ。」
「…え?」
今から一生に一度の告白をしようってのに…井上とは対照的に、不思議な程に落ち着いている俺。
…井上が愛しい…ただそれだけの感情で、俺は言葉を紡いだ。
「なぁ…そろそろ恋人同士から『卒業』して…婚約者になりたいって言ったら…オマエ、どうする?」
「…黒崎…くん…。」
井上の瞳に留まっていた大粒の雫が、再びポロポロとこぼれ出す。
俺はそれを拭うこともできずにいる井上の手から小箱を取り、箱から指輪を取り出して。
そして井上の左手の薬指に、それをゆっくりとはめた。
「……っ!」
「…この指輪さ、お袋のなんだ。親父が、お袋に贈った婚約指輪なんだ。」
「…黒崎…く…の…お母さ…。」
震える声で、途切れ途切れにそう呟く井上に頷いて。
「俺さ…大学を卒業して社会に出て行く井上と、もっと強い繋がりが欲しくて…けど、まだ学生の俺がこれ以上何を望むんだって自嘲する気持ちもあってさ。モヤモヤしてた時に、親父がコイツを俺にくれたんだ。俺が『護りたいただ一つ』を見つけたら、その時にこれを贈れ…って。」
「黒さ…くんっ…。」
泣きじゃくりながら、俺にしがみつき肩に顔を埋める井上。
俺は小刻みに震える井上の肩をそっと抱いた。
「お袋も、この指輪が引き出しの奥にしまわれたままでいるより、その方が喜ぶだろうって。それ聞いて…何かさ、お袋と親父が背中を押してくれた気がしたんだ。」
俺は井上の肩を掴み、ゆっくりと彼女の身体を離して。
そして大粒の涙を零す井上を真っ直ぐに見つめる。
「…好きだ、井上。あと2年間は学生の俺がこんなこと言うなんて、やっぱりオマエは笑うかもしれないけどさ。俺と…結婚してほしい。」
「…く、黒崎くん…ふえぇっ…!」
俺のプロポーズと同時にくしゃりと顔を崩し、そのまま俺に勢いよく抱きついてくる井上。
袴姿の井上は抱きしめるのに少し不自由だったけれど、それでも俺は力強く彼女を抱き止めた。
「…く、黒崎くん、黒崎くんっ…!」
「…井上、落ち着けって。」
胡桃色の髪や震える背中を何度も撫でて、俺の腕の中で泣きじゃくる井上を宥める。
「…む、無理だもん…ふられるかと思ったらプロポーズされて…頭の中がこんなにパニックになったの、生まれて初めてなんだもん…!」
「井上…。」
ぐしぐしっと涙を拭いながらそう言う井上がどうにもいじらしくて。
俺は井上の手を取り、そのまま彼女の唇を奪った。
「…井上、返事は?」
そして唇を離した俺がそう促せば、井上は泣いて赤かった顔を更に赤くして。
「…嬉しい…です…。」
はにかんだ笑顔と共に、そう返事をくれた。
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