JEWEL
「さぁて、今日はこれからどうすっかな…。」
雑貨屋を出て、井上と二人ぶらぶらと歩く。
昨日付き合いだしたばかりの俺達には、見慣れた筈の景色もやけに新鮮で。
「このまま適当に散歩してもいいし、井上の部屋に戻ってもいいし…。なぁ井上、聞いてるか?…って、アブねぇ!」
「わ、わひゃあっ!」
一向に返事が返ってこない井上の方を見れば、井上はまさしく躓いて転ぶ瞬間で。
俺は咄嗟に井上の腕を掴んで彼女の身体をぐいっと引き寄せた。
「わわ、た、助かりましたです…。」
「またぼーっとしてたんだろ?相変わらずよく転ぶんだな、井上は。」
そう憎まれ口を叩きながらも、ちゃっかり抱き寄せた井上の身体を離さない俺。
井上は俺の腕の中で少し口を尖らせて、顔を赤らめながらぽつりと呟いた。
「ち、違うもん。ぼーっとしてた訳じゃなくて、ね…。」
「何だ?」
「その…歩きながら指輪見てたの…嬉しくて、つい…。」
えへへ、と照れ臭そうに笑う井上に、今度は俺の方が反射的に赤くなる。
本当にコイツは、自覚無しに可愛いからタチが悪いというか、余計なムシが付かないか心配というか…。大学でもちゃんとこの指輪つける様に、後で念押ししとかなきゃな…。
「あぁ、喜んでくれるのは俺も嬉しいけどさ…気を付けろよ。」
「本当だね。指輪見てたら、1時間とかあっという間に過ぎちゃいそう。気を付けなくちゃ。」
『1時間』なんて普通に考えりゃただの誇張表現なんだろうけど、井上なら本当に有り得そうだよな。
事実、隣で自分に言い聞かせる様にうんうんと頷く井上の表情はいたって真剣そのもの。
こんなに喜んでもらえるなら、俺も奮発した甲斐があるってことで。
「とにかく歩いてるときはちゃんと前を見ろ。解ったな?」
少し行った先に喫茶店があったのを思い出し、俺は思い切って井上の右手をぎゅっと握った。
その瞬間、ぴょこんっと井上の身体が跳ね上がる。
びっくりした様な顔で俺を見上げてくる井上をまともに見れず、俺はそっぽを向いたまま喫茶店のある方へと歩きだした。
「…こうすれば、指輪を見ながら歩くとか出来ないだろ。ほら、行くぞ。」
我ながら本当、調子に乗ってるな…と思うけれど。
きゅっ…と握り返された手に、心臓がばくりと跳ねて。
ちらりと横を見れば、真っ赤な顔で、それでも本当に綺麗に笑う井上。
「…ありがとう、黒崎くん。この指輪、一生の宝物にするね。」
「大袈裟だな。」
「全然、大袈裟なんかじゃないよ。…幸せ過ぎて、怖いぐらいだもん。」
その井上の言葉に、どちらからともなく繋いでいた手を一度ほどいて、再び指を絡める様に繋ぎ直す。
「…これで、怖くないか?」
「…うん。」
井上は、指輪を『宝物』だと言ったけれど、俺にとっての『タカラモノ』は…。
目の前にある、きっとどんな宝石にだって負けない、きらきらと輝く井上の笑顔。
思い返せば、高校生のころからずっと、俺がこの手で護りたいと願っていたもの。
…なあ、井上。その指輪に誓うよ。
…随分と遠回りして、いっぱい泣かせたりもしたけれど、これからはずっと俺がその笑顔を護るから…。
「…さ、行くか!」
「うん!…あ、でもね、せっかくだから私も何かお返ししたいな。黒崎くん、何か欲しいものとかある?」
「は?欲しいもの?…急に言われてもなぁ…。」
突然の問いかけに、思わず首を捻る。
井上はじっと俺の顔を見上げて返事を待っているけれど、俺の頭には本当に何にも浮かばない。
って言うか、俺がいちばん欲しかったものは、今隣に居てくれてる訳だし。強いて言うなら、俺の欲しいものは…。
「…今はまだいい。けど、そのうちもらうから。」
「え?何を?」
きょとんとして小首を傾げる井上の鼻先を人差し指でちょんと突いて。
目を丸くしている井上の耳元で、低く囁く。
「…井上の『ゼンブ』、俺がいつかもらうから、な。とりあえず今はその指輪が予約の印ってことで。」
「…?…私…の…全部…って?……あ!」
俺の言葉の意味を理解するのに、5、6秒かかっただろうか。
無邪気に瞬きを繰り返していた井上の顔が、突然ぼんっと火をふいた様に赤くなった。
「あ、あの、あの、それはっ…!」
「何だよ、お返ししたいんだろ?」
にっと笑って意地悪くそう言う俺に、慌てふためく井上。
「心配すんな、今すぐとは言わねぇからさ。ほら行くぞ。腹減っただろ?」
「ふ、ふえぇっ、黒崎く~ん。」
くつくつと笑いながら、眉を八の字にして俺を見上げる井上と歩き出す。
…解ってるよ、ちゃんと。
井上は奥手で真面目だから。
傷つけないように、怖がらせないように。ゆっくりゆっくり、井上のペースで進めて行くから。
俺の、大切なタカラモノ…。
(2013.05.08)