世界一バカな男のV・D






「…井上っ…!」
「あ、黒崎くん。お帰りなさい。」

俺が今日何度目かの全力ダッシュで井上の教室に駆け付けると、彼女はたった一人の教室でちゃんと待っていてくれた。

俺が井上の隣の席に座って上がった呼吸を落ち着かせていると、井上は手元のマフラーの中からごそごそと何かを取り出す。

「はい、黒崎くん。よかったらどうぞ!」

井上の笑顔と共に目の前にことりと置かれたそれは、缶コーヒー。

「井上、これ…。」
「うん、教室が寒かったからね、さっき買ってきたの。」

井上はそう言って、今度は自分用にミルクティーの缶を膝の上のマフラーから取り出した。
…ああ、多分冷めない様にマフラーでくるんで待っていてくれたんだ。

「…悪い、貰うな。」

井上の好意に遠慮なく甘えることにした俺は、コーヒーに手を伸ばした。
走り回ってカラカラの俺の喉を、コーヒーは心地よく通過していく。
そして、喉を潤した俺が財布をポケットから捻り出してコーヒー代を渡そうとすると、井上は首を横に振ってそれを拒んだ。

「いいの、そのコーヒーはお詫びだから!」
「は?何の?」むしろ詫びを入れなければいけないのは俺の方なのに。

思わず問い掛けた俺に、井上は申し訳なさそうな顔をして少し俯いた。

「…私は黒崎くんにチョコをあげたんだから、それを黒崎くんがどうしようと文句を言う資格なんてないのに、黒崎くんのこと、責めたりして…。さっきはすごく我が儘だったな、イヤな子だったなって反省して…本当にごめんね?」

石田の言う通り、俺を許すどころか悲しげに自分を責める井上に、俺は慌てた。

「いや、謝るなよ!井上は何にも悪くねぇし!っていうか、その…誤解なんだ、チョコを石田にやるつもりなんて俺にはこれっぽっちもなくて…!」

俺がそこまで言うと、井上がやっと顔を上げて俺と目をあわせてくれた。

「実は、さ…。」

不思議そうな顔をして、じっと俺の言葉を待つ井上。
俺はガリガリっと頭をかきむしると、格好悪いことを承知で事の顛末を井上に正直に話した。

井上は、笑うでもなく、怒るでもなく、呆れるでもなく。
ただ静かに、穏やかに俺の言い訳を聞いてくれた。

…そして。

「…これ、ちゃんと取り返して来たから…。ごめんな、それからありがとな、井上。」俺は漸く手の内にある井上からのチョコレートを、井上に見せることができた。

「…黒崎くん…。」

井上は顔を真っ赤に染めながら、それでも本当に綺麗に、嬉しそうに笑ってくれて。
俺の中にじわじわと、幸せな気持ちが込み上げてきた。

けれど、俺の頭の片隅に浮かぶ、1つの疑問。

「…なあ、何で今年は机の中に入れたんだ?去年は確か、全員に手渡ししてたよな?」

何気なくそう尋ねると、井上はぴくんっと身体を振るわせ、再び俯き小さな声で答える。

「あの、ね。今年は、黒崎くんだけなの。」
「…は?」

一瞬意味がよく解らず、間抜けな返事を返す俺に、井上は慌てた様に続けた。

「あの、違うの!今年もちゃんと、みんなのチョコを作ったんだよ?でもね、昨日チョコが完成した時にちょうど朽木さんと恋次くんと乱菊さんと冬獅郎くんが遊びに来てね、それで…。」

そこまで聞けば、続きは俺にも簡単に予想できる。

「…食われたのか。」
「私もね、味に自信がなかったし、『よかったら味見して』って言っちゃったんだけど…。」

遠慮のない奴らのこと、ガツガツと食ったに違いない。

「何とか黒崎くんのチョコだけは死守したんだけどね?他のは全部なくなっちゃって…。」

アイツら、井上を困らせやがって…しかも俺より先に井上のチョコ食べやがって…そう苛立ちながら聞いていた俺だったが。

「だからね、今年は黒崎くんだけなの。他の誰にも…たつきちゃんにも、あげられなかったの。」

その言葉に、耳がぴくりと反応する。

『俺だけ?』

今年、井上からのチョコレートを手にできたのは俺だけなのか?
石田やチャドは勿論のこと、たつきすら手に入れられなかった井上のチョコを、俺だけが手にできたのか…?

やべぇ、嬉しすぎる…!

優越感に、思わず緩む口元。
俺は慌てて口元を手で覆った。

「いや、けど、だからって何で手渡しじゃないんだ?」

顔がにやけるのを必死で堪えつつ、半分照れ隠しでそう尋ねる俺に、井上がぽろりと溢す。

「だ、だって、黒崎くんにだけチョコあげたって解ったら、本命だってバレちゃうもの。」



…『本命…?』




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