世界一バカな男のV・D






石田は、おそらくはお手製であろうエコバックに、山程のチョコレートを無理矢理詰め込んでいる最中だった。

「…っは、はあっ、はあっ…!」

両膝に手を当て、何とか呼吸を整える俺に、石田は冷ややかな視線を向ける。

「…僕に用事なら、早く済ませてくれないか?」
「…っるせえ、ちょっと、待ちやがれ…!」

息が乱れて未だ上手く話せない俺は、とりあえず石田に向けて真っ直ぐ掌を差し出した。

「…何だ?」
「…井上の、チョコ…。」

漸く会話が出来る様になった俺は、走ってカラカラの喉でどうにか要件を伝える。

「…今朝、渡したチョコレートの中に、俺のが…井上から俺にくれたやつが、混ざってたんだ…!だから、返してくれ…!」

俺の訴えを聞いた石田は、呆れた様に溜め息を一つついた。

そして。

「…無理だな。」

一言、呟いた。

「…な、何でだよ?!」

予想外の返事に驚く俺に、石田は更に信じられない言葉を返す。

「…他のはともかく、井上さんからのチョコレートは別格だからね。嬉しかったから、さっき食べちゃったよ。」
「…なっ?!」

耳を疑う様な石田の言葉に、俺は絶句し、その場に立ち尽くした。
俺の中で何かがガラガラと音を立てて崩れていくような、そんな感覚。

「そ、んな…!」

井上のチョコレートを手に入れられなかったショックと、井上の気持ちを裏切ってしまったショック。

俺は奥歯をぎりっと鳴らすと、思わず石田の胸ぐらを掴んだ。

「…吐き出せ。」
「…は?」

目を点にして俺を見る石田に、俺は食って掛かっていた。

「オマエが食ったそのチョコは、俺のモノなんだよ!だから吐き出せ!」「はああ?!どこまで馬鹿なんだキミはっ?!」「ああ、どうせ俺は日本一の大バカだよっ!吐き出すのが無理なら、せめて包装紙と空き箱だけでもよこしやがれっ…!」
「それが人に物を頼む態度かっ?!」

自分でも無茶苦茶なことを言っている自覚のあった俺は、石田のその言葉に僅かに冷静さを取り戻し、漸く石田の胸ぐらを掴んでいた手を離した。

「…まったく、子供同然だな、黒崎は…。」

石田は乱れた襟首を直すと、再び呆れた様に盛大に溜め息をつく。

そして、俺の前にある机の上に、一つの箱をことりと置いた。

「…どう見てもこれは、僕に宛てたチョコレートじゃない。気が付かずに僕に渡すなんて、迂闊にも程があるよ。」

その箱は、ピンクや水色といった鮮やかなラッピングが施されたその他のチョコとは少し違っていて。
チェック柄の黒いラッピング紙に、オレンジ色のリボンが綺麗に巻かれている。

…黒とオレンジ、ってことは…。

俺は石田の顔をちらりと見た後その箱を手に取ると、丁寧にシールとリボンを取り外した。

中にはチョコが入っているらしい箱に、小さな白い封筒が添えられている。

俺はその封筒をそっと開けて、中に入っているメッセージカードを見た。

『黒崎くんへ

いつも、私や周りのたくさんの人たちを護ってくれて本当にありがとう。

これは、私からの精一杯の感謝の気持ちです。

よかったら、受け取ってください。

      井上織姫』

綺麗な文字で書かれたそのメッセージに、ぎゅうっと胸の辺りが締め付けられる。
多分、こういう気持ちを「切ない」って呼ぶんだろう、なんて柄でもないことを思って。

「…井上…。」

唇を噛み締めながら、俺は思わず井上の名前を読んでいた。
「…さあ、用事も済んだし、僕はもう帰るよ。」

そう言って山盛りのチョコ入りエコバックを肩にかける石田に、俺ははっとした。

「石田、オマエ井上からのチョコ食べちまったってさっき言ってたのは…!」
「…井上さんは、キミがどんなに馬鹿なことをしても、すぐに許してしまうだろうからね。代わりに僕が少し懲らしめてやっただけのことだよ。」

しれっとそう言う石田に、いつもの俺なら再び怒りに任せて食って掛かっていたんだろう。

けれど石田の言う通り大バカな今の俺には、怒る権利もなければ、そんな暇もない。
俺の脳裏には、ついさっきまで大粒の涙を浮かべていた井上がいた。

…早く、井上のところに戻らなければ…!

「じゃあな、石田!一応、サンキューな!」

俺はそれだけ言うと、井上からのチョコを握りしめて彼女の待つ教室へと走り出した…。





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