世界一バカな男のW・D
翌日、授業後。
俺は期待半分、不安半分で井上の教室へ向かった。
結局、昨日はあのまま遊子達に邪魔され本当にそれきりで終わってしまい、告白はおろかお返しの感想すら聞けずに別れてしまったから。
お返しはちゃんと井上に喜んでもらえただろうか?
キャンディを贈った意味は、ちゃんと井上に伝わっただろうか?
そんなことをぐるぐると頭の中で巡らせながら、昨日と同じように井上の教室を覗いた。
教室にはもう他の生徒はほとんど残っていない。…解ってる、今日俺がこの教室へ来るのにはちょっとばかり勇気が必要で、いつもよりゆっくり教室を出たせいだ。
「あ、く、黒崎くん!」
俺が声をかけるより先に、井上が俺を見つけて声を上げた。
けれど俺と目が合うと同時に林檎みたいに真っ赤になった井上は、ギコギコとロボットの様な動きで俺に歩み寄ってくる。
「あ、あの、えっと…。」
「…なぁ井上、一緒に帰らねぇか?」
「は、ははははいっ!」
どもりまくりな言葉、明らかに不自然な動き。
これって一応、昨日のお返しを意識してくれてるって前向きに考えていいのか…?
俺は複雑な思いを抱えながら、井上を連れて教室を後にした。
僅かに日が傾き始めた川沿いの道を二人で歩く。
お互い無言のまま会話のきっかけを探しながら視線を落とせば、柔らかな緑色に染まり始めた土手には小さな蒲公英が一つ咲いていて。
何となく、井上に贈ったキャンディと小花柄のハンカチを思い出させた。
「…あのさ、井上…。」
「は、はいっ!」
俺に名を呼ばれ、びくんっと反応した井上がそのままその場に固まる。
「…昨日のお返しだけど…さ、その…中身、見たか?」
井上は俺の言葉に茹でダコみたいに真っ赤に顔を染めて、視線を落とす。
「う…ん…。あ、ありがとう。」
「あれは、その…一応、妹達にやったヤツとは違ってだな…。」
「…うん、ちゃんとそういうお店で買ってくれたんだよね。中身見てすぐにわかったよ。」
…とりあえず、あれが「特別」なモノだってことは伝わったらしく、俺は少しほっとした。
「キャンディはね、大事に一つずつ食べることにしたの。昨日もね、いっこだけ食べてね…すごく、幸せだったよ。」
そう言う井上の表情は、俯いていて読めないけれど。『おいしかった』じゃなくて『幸せだった』と言ってくれたことに、俺の胸の辺りがきゅううっ…と甘く締め付けられた。
「あと…も、もう一つの方も…、か、可愛かった…よ…。」
今にも消え入りそうな声でそう言う井上。
ああ、井上が言っているのはハンカチのことか…と遅れて理解する。
「あれなら…使えそうかと思って…。」
「…!う、う、うううんっ…!」
こくこくと首を縦に振る井上のぎこちなさに若干の不自然さを感じながらも、俺は少し期待して言葉を続けた。
「…も、もしかして…もう使ってくれてる…とか?」
思わずちらりと見てしまう井上の制服のスカート、ポケットの辺りの僅かな膨らみ。
けれど、井上は目を真ん丸くしてちぎれんばかりに首を横に振った。
「えええっ?!そ、それはっ…!その、えっと…!あ、も、勿体なくて、まだ…!」
「…そっか。でもああいうモンは使ってナンボだし、良かったら明日にでも使ってくれよ。」
「あ、あ、明日?!」
井上のあまりの動転ぶりに、俺は思わず眉間に皺を寄せる。
「…もしかして、気にいらなかったか?」
一気に萎んでいく自信。けれど、井上は再び首をぶんぶんと音がしそうな勢いで横に振った。
「ち、違うの!そ、そういう訳ではなくて…!…あ、あの…じゃあ…前向きに検討させていただきますです…。」
最後の方はゴニョゴニョと飲み込む様な話し方だったけれど、真っ赤な顔でそう言う井上に、少しほっとして、けれど少しの不安も抱えて。
…結局、再び歩き始めた後も、俺は自信のなさからそれ以上踏み込んだ話が出来ないまま井上と別れた。
そうして、家へ帰り自分の部屋で少し冷静になると、今度は後悔ばかりが押し寄せる。
いちばん大事なことはあのキャンディの意味が伝わったかどうかで、ハンカチが気に入ったかどうかなんて二の次でよかったのに。
…本当、バカだよな俺は…。
「…ああくそっ!明日だ、明日!明日こそ決めてやる!」
悔し紛れに壁にクッションを投げつけながら、俺は自分自身にそう宣言した。
…けれど、本当の自分のバカさ加減を思い知るのは次の日だと、この時の俺はまだ知る由もなかった…。
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