a piece of Love 前編
「…近いな。」
「うん!」
しかし走り出そうとした織姫は、数歩進んだ処でぴたりと足を止めてしまった。
その虚の元へ風の様に走っていく、見知った二人の霊圧を感じたのだ。
「一護とルキアが行ったな。…この程度の霊圧の虚、俺達まで行く必要ねぇかもな。」
恋次がそう言って歩みを止めたのは、二人への信頼への証。
けれど、隣で小さな手をきゅっ…と握り締めている織姫が歩みを止めたのは、別の理由からで。
「…私じゃ、やっぱり駄目なんだね…。」
俯いたまま、織姫は唇をそっと噛み締めた。
「…袖白雪!」
ルキアの凛とした声と共に放たれた冷気が、禍々しい虚の数メートルはあろうかという体を一気に凍らせていく。
「おし!行くぜ!」
氷漬けになり自由を奪われた虚がもがくように暴れ、鞭の様な触手を振り回すのを難なくかわした一護の斬月が一閃。
氷ごと真っ二つになった虚は魂葬され、天へと還っていった。
「…よし、終わったな。ついでに、恋次と井上もここから探すか。」
地上では溢れかえる人込みに紛れなかなか探せなかった二人の霊圧も、空中からなら探しやすい。ルキアは目を閉じ、見知った二つの霊圧を探り始めた。
「…見つけた。少し距離があるな…。」
程なく、二人の所在を探し当てたルキアが、ゆっくりと目を開く。
「…行くぞ一護。まずは身体に戻って、そこから人込みの中を走らねばならんがな。」
虚退治の際、一護の身体とルキアの義骸は神社の茂みの奥に隠す様に置いてくるしか術がなく。
もし誰かに見つかってしまえば、大騒ぎになることは必然。
一刻も早く義骸に戻るべきだ…とルキアは焦って一護を振り返る。
しかしルキアの目に映ったのは、そんな彼女とは対照的な、冴えない表情の一護だった。
「…どうした?何か気になることでもあるのか?」
「…何でもねぇよ。」
一護は、先程まで斬月を握っていた右掌をじっと見たまま、ぼそりとそう答える。
「その辛気臭い顔では、説得力の欠片もないな。怪我でもしたか?」
「…してねぇよ、あんな虚ごときに…。」
「では、何だ?」
一護はそう自分に問い掛けるルキアの方をちらりと見て、彼女の瞳がいつものからかう様な色ではなく、真剣に自分を心配していることに気が付いた。
視線を再び己の掌に落とした一護は、ぎゅっ…とその手を握りしめる。
「俺…井上に何かしたか?」
「…は?」
「俺は…井上に、嫌われたかもしれない…。」
そう呟く一護に、ルキアは呆れた様に溜め息をついて見せた。
「何を訳の解らぬことを!あの誰に対しても優しい、博愛そのものの井上が一護を嫌うなどあるわけなかろう!さては、さっき手を取ってもらえなかったことを未だに気にして…。」
「…それだけじゃ、ねぇよ。もう、ずっとだ。ずっとアイツは、俺と距離を置いてる。」
力なくそう言うと、一護は天を仰ぎ、静かに目を閉じた。
…かつて、死神の力を失った、あの日から。
誰より一護の傍にいたのは織姫だった。
時に、労る様に。
時に、励ます様に。
ある時はすぐ隣で、またある時は遠くから見守る様に、喪失感に苛まれる一護を誰よりも理解し支えたのは、織姫だった。
そんな織姫を護ることが出来ない自分に苛立ちを感じたり、彼女の優しさがただの同情ではないか…と歪んだ目で見たりした日もあったが、それでも一護にとって織姫は絶対に無くしたくない癒しの存在で。
かつて彼女が虚圏に連れ去られた時のあの痛み、後悔…それだけは、もう二度と味わいたくない、と。…力が欲しい、と願い続けた。
…そして、遂に再び手に入れた、死神の力。
これで、大切なものを護れる。
これからはずっと、織姫を自分の手で護るのだ。
…一護がそう、己に誓った矢先。
…織姫は、自分から少しずつ離れ始めた。
初めは気のせいだ、と自分に言い聞かせていた一護だったが、ある時気付いてしまったのだ。
…織姫が自分に見せる笑顔が、変わってしまったことに。
かつて彼女が見せていた、屈託のない花の様な笑顔とも、慈愛の女神の様な柔らかな笑顔とも、違う。
…それはまるでガラス細工の様な、触れれば壊れてしまいそうな笑顔。
それは多分、織姫の心からの笑顔ではなくて…。
「…事実、今だって俺と離れて恋次と一緒にいるじゃねぇか。」
「…だから、考え過ぎだ。井上はたまたま鯛焼きに目が眩んだだけだ。男の嫉妬は見苦しいぞ、一護。」
「な、誰が嫉妬なんざ…!」
そう一護がルキアに言い返そうとした、その時。
ちょうど織姫と恋次がいるであろう辺りに新たな虚の霊圧を感じ、一護とルキアは同時にその方向を見た。
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