わたしを温泉に連れてって
そうして、豪華な夕食をおひつの中まで綺麗に平らげた井上と俺は、部屋から出ずにのんびり寛いだ。
大学に入ってからは、週末に井上と会ってもだいたいこんな感じだ。
あちこち出かけるよりも、どちらかの部屋でお互いの近況を話したりして、二人だけの時間を過ごす方が俺達にはあっているらしい。
それに二人きりなら、人目を気にせずいつでもイチャイチャでき…今のなし。
「黒崎くん…。」
「ん?」
そんなことを考えていれば、井上が俺の服の裾をちょんちょんっと引っ張って、上目遣いで俺を見上げてきた。
この、井上は無自覚であろう一撃必殺の仕草は、だいたい俺に甘えたい時に見せるモノ。
それならばと俺が隣に座る井上を抱き寄せれば、予想通り井上は嬉しそうに身体を預けてきた。
「…えへへ…黒崎くん…会いたかった。」
すりすりと小動物みたいに甘えてくる井上の頭を、よしよしと撫でてやりつつ。
素直に「俺もだ」と言えない自分に呆れ、その一方でこのクソ可愛い生き物をどうしてやろうか…なんて企む俺。
俺の口下手は当分直りそうもないから、その代わり態度で示させていただこうか…なんたって10個もあるんだしな…と俺が結論づけた、その時。
「失礼いたします~。」
「は、はいいっ!」
突如部屋に入ってきたのはさっきの案内係のおばさん。
井上が裏返った声で返事をすると同時に、顔を真っ赤にして俺から光速で離れる。
ガラリ、と戸を開けたおばさんは、実ににこやかに俺達に頭を下げた。
「浴衣をお持ちしました~。サイズはLとSでよろしいかと思いますが、もし交換をご希望でしたらお申し出くださいね。」
「は、はははい…!」
井上、普通にしてりゃいいのに、顔は真っ赤でめちゃくちゃどもって…かえって不自然だっつーの。
…そう言う俺も、露骨に不機嫌な顔で舌打ちしちまったけど…。
要件を済ますと、係のおばさんはにこやかな笑顔を微塵も崩さずに部屋を出ていった。
…あの見事なまでの作り笑顔…多分、いちゃついてたのバレてるな…。
「あ、ゆ、浴衣だって!温泉って感じでいいよね!ねっ!」
そして、自分用の浴衣を手に取り、気まずいのを誤魔化すかの様に俺にも浴衣を押し付ける井上。
「浴衣なんて、修学旅行以来だなぁ!えへへ、何だか嬉しくなっちゃうね!」
「…まぁな。」
「では、早速温泉に行きましょう!ねっ!黒崎くん!」
「…おう。」
さっきまでの甘い井上はどこへやら。せかせかと温泉へ行く支度を始めた井上に、俺は深い溜め息を一つつき腰を上げる。
「さ、行こう!黒崎くん!」
「へいへい。」
畜生、本当は温泉前に一汗かく計画だったのに…なんてことは口に出せる筈もなく。
まぁいいか、浴衣姿の井上が見られるんだし…と自分を納得させて、俺は風呂の用意を片手に井上と部屋を出た。
1時間半後、入浴を済ませた俺は、大浴場横にある休憩所で湯上がりの身体をソファに預けていた。
部屋ではなく、ここを井上との待ち合わせ場所に指定したのは俺だ。
「なるべく早く出るからね」と言う井上に、「俺のことは気にせずに、ゆっくり浸かってこいよ」と送り出したのも俺だ。
…けれど…。
「早く出てこい、井上…。」
「女湯」と書かれた赤い暖簾を見つめながら、祈るような気持ちで呟く俺。
何故なら、さっきから俺をジロジロと見る、周りのじいさん達の視線が痛くて耐え難いのだ。
ああ、どうせ俺は派手なオレンジ頭だよ。
ついでに目つきも悪くて、温泉に不似合いだってことも自覚してる。
何より…。
「…く、黒崎く~ん…。」
その時。
赤い暖簾がふわっと揺れ、中から俺が待ちわびていた彼女が現れた。
湯上がりの艶やかな肌と桃色に染まった頬。
髪を結い上げ、露わになった項。
そんないつもとは違う色気を漂わせた井上は。
「ご、ごめんね黒崎く…きゃっ!」
「あ、アブねぇ、井上!」
ずるずると花魁の様に浴衣を引き摺ってこちらへやってきて、裾を踏んで危うく転びそうになって。
咄嗟に飛び出した、膝までしかないつんつるてんの浴衣を着た俺に抱き止められた。
同時に、さっきまで俺をジロジロ見ていたじいさん達が、ドカンと笑い出す。
「何だ、兄ちゃん!浴衣のサイズが全然合ってねぇと思ってたら…彼女と浴衣を間違えてたのか!」
「いや、ぶかぶかな浴衣の彼女も可愛いなぁ!」
その笑い声に、俺の腕の中の井上が真っ赤になって俯く。
「…ご、ごめんね黒崎くん…浴衣、逆だったね…。」
「や、いいけど…。」
いや、本当はよくねぇけど。俺は30分以上ここで晒し者だったけど。
そんなこと言ってる場合じゃなくて、とにかくここは…。
「井上、逃げるぞ!」
「ひ、ひゃわっ!?」
「おお~!やるな兄ちゃん!若いっていいねぇ!」
俺は花魁井上をガバッと抱き上げ、囃し立てるじいさん達の声を背中に、そそくさとその場を後にした。
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