真昼の月








キーンコーン…。

二人きりの保健室に響く、3時間目の始まりを知らせるチャイム。

名残惜しげに唇を離した一護が、閉じていた目をそっと開ける。
そこには、瞳を潤ませ、頬を染めながらも綺麗に笑う織姫がいた。

「…3時間目、始まっちまったな。」
「うん。早く行かなきゃね。」
「井上は無理しないで、もう少し休んでた方がいいんじゃねぇの?」

人差し指で涙を拭いながら、ベッドから下りようとする織姫の肩を、一護が軽く押さえて制止する。
織姫はそんな一護に笑顔で首を振った。

「ううん、もう大丈夫。ちょっと寝不足だっただけだから。」
「寝不足?」
「うん。バイトが忙しかったのもあるんだけど、その…黒崎くんを怒らせちゃって…ちゃんと謝らなきゃって思うのに、なかなか謝れなくて…。そのことを毎晩ぐるぐる考えてたら、なかなか眠れなくて…。」
「井上…。」

織姫が倒れたのは、謝る勇気がもてなくて、ずっと織姫を避けていた自分のせいだった…と知り、一護は改めて申し訳ない気持ちになる。
けれど、そんなすれ違いを経て漸く想いが繋がったこと、彼女がそこまで自分を想ってくれていたことが、一護には素直に嬉しく、また尊く思えた。

「ごめんな、井上。」
「ううん。私こそごめんね。それから、保健室まで運んでくれてありがとう。…あれ?そう言えばさっき、目が覚めた時、黒崎くんの顔がすごく近くに…。」
廊下で倒れたあと、目覚めるまでをぐるりと思い出し、織姫は目覚めた瞬間、一護の顔が目の前にあったことをふと思い出す。
何気なく発せられた織姫のその言葉に、一護は焦り、一気に顔を赤くした。

「うぇ!?ち、違う…あれは未遂だ!その…寝てる隙になんて悪いかと思って、まだしてなかったんだ!」
「え?未遂って…?」
「うあ!?だ、だから…その…漆木に取られるぐらいなら、キ、キス…しちまえ…なんてちらっと考えたりして…でも、してねぇから!未遂だから!悪い!」

とっさに都合のいい言い訳を思いつけるほどの器用さなど持ち合わせていない一護は、まくし立てるように自ら全てを白状し、勢い任せに頭を下げる。
そんな一護に、織姫もまた慌てて首を左右に振った。

「わ、悪いことなんてないよ?気にしないで、だって私も高1の時、同じことを…。」
「…へ?」

一護をフォローしようと織姫が咄嗟に告げた過去に、一護は耳を疑い目を丸くする。
そんな一護の態度に、織姫は漸く自分が口を滑らせてしまったことに気づき、ハッとした。

「え…あ!」
「な、同じことって!?井上?」
「あ、あわわ!しまった、言っちゃった…!」
「あ、こら逃げるな!ちゃんと白状しろよ!」

シーツをひらりと剥ぎ取り、ベッドから飛び出そうとする織姫を、一護が後ろから再び抱きしめる。その甘い拘束から逃れようと織姫が僅かに身じろいだが、一護の腕の力の方が数倍上だった。
何より、大好きな一護に抱きしめられて、振り払える筈もないのだ。

「あうう…。」

林檎のように真っ赤な顔で、観念したように小さく唸る織姫。
その華奢な肩に、一護が軽く顎を乗せる。

「あのさ…もう潔く3限サボろうぜ?みんなオマエが倒れたのは知ってるんだ、先生にもちゃんと言っておいてくれるさ。」
「う、うん…。」
「で…ちゃんと聞かせろ。俺も、ちゃんと話すから。多分…俺、今まで井上に甘えてたんだ。井上なら、何も言わなくても俺のこと解ってくれるって。井上のことも、男の中でいちばん知ってるのは俺だって。勝手に自惚れてた。」
「黒…崎くん…。」

一護の腕の中、織姫がゆっくりと一護を振り返る。
一護の蜂蜜色の瞳が、真っ直ぐに自分に向けられていることに、織姫は今更のように幸福で胸がいっぱいになった。

「それに、俺まだちゃんと言ってないからさ。」
「え?」
「キスしといてから、何だけど…。」

一護はそこまで言うと、気を落ち着けるように大きく深呼吸をして、更に咳払いも1つして。

「俺…井上が好きだ。仲間とかじゃなくて、その…女として…。」
「黒崎…くん…。」
「だから…今日から、俺のカノジョになってくれねぇ…か?」

一護を見上げる2つの大きな薄茶の瞳からは、彼の告白が終わる頃にはポロポロと大粒の涙が零れていて。驚きのあまり呆然としていた織姫の顔が、くしゃり…と歪む。

「…は…い…!」

そのまま、腕の中で号泣し始めた織姫を抱き止めながら、一護はほう…と1つ息を吐き出して。

やっぱり3限はサボリだな…などと、安堵と幸福色に霞む頭の片隅で、ぼんやり考えていた。





その後、落ち着きを取り戻した織姫から、高校1年生の秋、ウルキオラに拉致される前の夜の出来事を聞いた一護は、織姫への愛しさを一層募らせることになる。










…翌日。

漆木は、いつもの様に屋上で1人、フェンスにもたれ蒼い風に吹かれながら織姫を待っていた。
やがて、金属音を響かせながらドアがゆっくりと開く。

「…よう。」

低い音を立てて、閉まるドア。
漆木が振り返れば、その前に立っているのは織姫ではなく一護だった。

「……お前は…。」

ほんの僅かに、驚きの表情を見せる漆木。
一護はそんな漆木に歩み寄ると、手にしている紙袋からパンを1つ差し出す。

「…これ、井上の今日の一番のオススメだとよ。アップルパイだ。」
「………。」
「お前、見た目によらず甘党なんだな。俺は、惣菜パンの方が好きなんだけどな。」

一護は紙袋からピザパンを取り出し、一口頬張って。
そして、アップルパイを手にしたままじっと自分を見つめる漆木に、顎をしゃくって食べるように促した。

「…どうして、お前が?」
「今日は俺が行くって井上に頼んだんだ。…お前と、話がしたくてさ。」



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