真昼の月






「う…うわぁぁぁっ!」
「きゃあっ!…い、いた~い!」

目が合った次の瞬間、瞬歩のごとき勢いで織姫から離れる一護。
織姫もまた、驚きのあまりベッドから飛び起きたが、同時に後頭部に走った痛みに悲鳴を上げた。

「い、井上大丈夫か!?」
「うう…これ、コブ?あれ、そう言えば、ここ保健室?私、どうして…?」

まだ顔に赤味を帯びたままの一護が、再び織姫に寄り添う。
織姫は痛みの原因を手でさすりながら、自分の身体を覆う白いシーツに漸く気がついた。

「あ?ああ、オマエさっき廊下でぶっ倒れたんだよ。それで、俺がここまで運んで…。」
「そ、そうなんだ…。」
「まだ痛むか?」
「うん、少し。でも大丈夫だよ。」

そう言って、くりっとした大きな瞳で一護を見上げる織姫。
そんな彼女の真っ直ぐな視線から目を逸らすことができず、一護はぐっと息を飲み、身構えた。

もし、先程のキス未遂について追及されたら、何と言って誤魔化そうか…とっさにそんな計算が一護の脳内を駆け巡る。

しかし、一護の予想に反し、突然じわり…と瞳に涙を浮かべた織姫は、今にも泣き出しそうに、ふにゃり…と表情を崩した。

「ど、どうした?やっぱり泣くほど痛いのか?オマエ石頭なのに…。」

予想外の展開に慌てつつ一護がそう尋ねれば、織姫が首を左右に振る。

「ち、違うの…その…ごめんなさい…。」
「急に何謝ってんだよ。」
「本当はね、もっと早く謝らなきゃって思ってたの…漆木くんと屋上で会ってたこと…。」「え?」
「黒崎くんが嫌な思いしてるなんて、全然気がつかなくて…私、無神経だったなって…ちゃんと謝らなきゃって、そう思ってて…。でも、黒崎くんに会えないままズルズル何日も過ぎちゃって…。」

織姫はそこまで告げると、一護を再び見上げ、深々と頭を下げた。

「本当に…ごめんなさい…。」
「…井上…。」

謝るべきは自分の方なのに、まさか織姫の方が謝ってくるなんて。

予想外の謝罪に返事すら忘れて立ち尽くす一護に、織姫は少し困ったような笑顔を見せた。

「黒崎くんは、やっぱり優しいね。ずっと謝らずにいた私のこと、こうして助けてくれて。」
「…べ、別に優しくなんかねぇよ。普通だろ?」
「ふふ。そういうところ、昔から変わらないね。」

気まずさから、ふいっとそっぽを向いた一護だったが、それが照れているように見えたのだろう、織姫がクスクスと笑う。

そのいつもと変わらない笑顔に、すれ違いからずっと苛立ってばかりいた一護の心がすうっと凪いでいく。

ああ、これだ、と一護は思った。

水色や石田の言う通り…自分は「努力」しなくてはいけないんだ。

織姫の優しさに甘えるのではなく、ちゃんと謝るべきことは謝って。
告げるべき想いは、きちんと告げなくては伝わらないんだ…と…。

「…謝らなくちゃいけないのは俺だ。」
「え?」
「パン…美味かったよ。明太マヨもビターチョコも…。」
「え!?た…食べてくれたの?」
「ああ。漆木がわざわざ俺に届けてくれたんだ。」
「漆木くんが…。」
「ああ。アイツ、ウルキオラに似てはいるけど、そんなに悪い奴じゃねぇのかもな。」
「うん。」

織姫が、こくりと頷く。

漆木について語る一護は、やっぱり面白くなさそうな顔をしているけれど。
それでも、漆木の良さを素直に認めてくれたことが、織姫は嬉しかった。
そして、そんな一護だから、自分は…。

「あのね…。」
「ん?」
「私…黒崎くんが大事だよ。」
「え?」「漆木くんとも仲良くできたらいいなって思うけど…でもね、黒崎くんと漆木くん、どっちが大事かって言われたら…やっぱり、黒崎くんの方が大事だよ。」
「井上…。」
「だって…ずっと黒崎くんが私と私の大切な人を護ってくれたんだもん。」

一護が目を見開いて、織姫を振り返る。

多分、嫌われてはいない…という、自覚はあった。

けれど、「自分と漆木、どっちが大事なんだ」…あの日、醜い嫉妬から叫んだ問いかけに対し、織姫はこんなにもはっきりと答えをくれたのだ。

しかも、一護が望んでいた方の答えを…。

一護の胸の内からじわじわと湧き上がる、熱い想い。
それを声にしようと一護が口を開いた時、ガラリ…と保健室のドアが開く音がそれを遮った。

「……!」
「織姫…いるのか?」

カーテンでベッドの周りがぐるりと覆われていて、相手の姿を確認することはできなかったが、声だけで来訪者が誰なのか一護にも織姫もすぐに解った。

(漆木…!)

咄嗟に息を殺し、気配を消す一護。
織姫もつられて声を潜めてしまう。

「…いないのか。」

ベッドを囲むカーテンを開けることまではせず、部屋を一望しただけですぐに踵を返し、漆木が保健室から去っていく。

保健室のドアがガラガラ…と閉められる音に、漸く織姫は我に返った。

あの他人に無関心な漆木が、織姫を心配して保健室までわざわざ足を運んだのだ。

「ま、待っ………っ!」

漆木を呼び止めるため、ベッドから降りようと身体を浮かせた織姫が、言葉の続きごと息を飲む。

「……く、ろさき…く…?」

己の身体を拘束する2本の腕、背中に感じる自分より少し高い体温。

織姫は、後ろから一護に引き留めるように抱きしめられていた。

「…行くなよ。」
「く、黒崎く…!」「漆木より俺が大事だ…って言うなら、行くな。」
「黒崎く…ん…。」

自分のすぐ耳元で告げられる一護からの願いは、命令と哀願、両方の色を帯びていて。
まるで時が止まったかの様に動けない織姫の細い身体を、一護の腕がさらにぐっと抱きしめる。

「こんなの、すげぇワガママだって解ってるよ。オマエがどこで誰と何してようと、俺が文句言う資格なんかねぇって知ってるよ。でも…嫌なんだ。」
「…うん…。」
「俺を、選んでくれ…井上。ウルキオラでも、漆木でもなくて…俺を…。」

カーテンで切り取られた白い空間に流れる、少しの沈黙。
やがて、織姫の震える唇が、かすれた声を絞り出した。

「じゃあ…黒崎くんは?」

織姫からのその問いに、一護は漸く腕の力を緩める。
腕の中、ゆっくりと振り返って自分を見上げる織姫の薄茶の瞳に、一護は涙と不安の色が揺れているのを見た気がした。

「黒崎くんは…誰を選ぶの?」
「そんなの…オマエに決まってるだろ。」
「朽木さんやたつきちゃんは?ネルちゃんだっているよ?」
「そりゃ、周りに女は沢山いるよ。…でも、キスしたいと思うのはオマエだけだ。」
「黒…崎くん…。」
「しても…いいか?」
「は…い…。」

きゅっと目を閉じて頷く織姫の顎にかかる、一護の長い指。

真っ白いカーテンに映し出された2つの影は、ゆっくりと距離を縮めていき、やがて1つに重なった…。



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