真昼の月







…それから、数日。

一護は、織姫との接触を避けるように学校内で過ごしていた。

あの日、織姫が差し出したパンを乱暴に払いのけたことを謝らなければ。

「明太マヨパンも、ビターチョコパンも美味かった」…そう伝えなければ。

そんなことばかりをぐるぐると考えて、けれど結局実行に移せずにいる一護は、ここ数日の授業にも全く身が入らずにいた。

キーンコーン…。

2限の終わりを告げるチャイム。

「くそ…。」

自分の席に座ったまま、一護が前髪越しに教室の時計を睨みつける。

2限の後の休み時間は、屋上で織姫と漆木が会っていることが多い。

きっと今日も、屋上では2人がパンを片手に楽しく話をしているに違いない…そう思えば、焦りと苛立ちばかりが募る。

「わぁ一護、すごくおっかない顔してるよ。」

そんな、教室の片隅で眉間の皺を3割増しにしている一護に、水色が苦笑気味に話しかけた。
一護はちら…と水色を見上げた後、ふいっと横を向く。

「屋上、行かないの?」
「……。」

水色の問いにも、黙ったまま窓の外を眺める一護。
そう、かつての自分なら「止めろ、漆木に近付くな」と正義感を振りかざし、屋上に乗り込んでいたかもしれない。

けれど、今の自分にはそれが出来ずにいる。

それは、「俺と漆木、どっちが大切なんだ」…そう叫んでしまったあの日の自分が、どんなに嫉妬にまみれていたか、気付いてしまったから。

「井上織姫」という存在が、自分にとって「1人の女の子」として「特別」だと、気がついてしまったから…。
「…井上が誰と一緒にいようと、俺が文句を言う権利なんか持ってねぇだろ?」
「うん、そうだね。」

頬杖をついて、面白くなさそうにボヤく一護。
水色は、一護が己の織姫に対する感情を彼なりに受け入れていることを確信し、笑顔で頷く。

「でも…一護はその文句をちゃんと言う『努力』をしなくちゃいけないと思うよ。」
「努力…?」

その一言に、一護はハッとして目を見開き、水色の顔を見た。
つい数日前、石田に全く同じ説教を受けたことを思い出したのだ。

「一護、井上さんといると楽ちんでしょ。井上さんは、言わなくても一護が言いたいことをちゃんと汲み取ってくれて、でも一護が踏み込んできて欲しくないエリアには、絶対に入ってこない。」
「………。」
「でもね、だからこそ、一護は甘えてちゃだめなんだよ。声に、態度にして井上さんに伝えなきゃ。どんなに通じ合ってても、一護と井上さんは『違う人間』で、『男』と『女』なんだからさ。」
「…それが、俺に必要な『努力』か?」
「うん。一護が、ちゃんと自分を表に出す『努力』。一護は頑張って、もっとワガママにならなくちゃいけないよ。『欲しいものは欲しい』って、駄々こねていいんだ。」
「何だよそれ。」

そう言いながらも、一護がゆっくりと椅子を引き、立ち上がる。
その蜂蜜色の瞳に確かに宿った覚悟に、水色は嬉しそうに頷いた。

「行ってらっしゃい。」
「…おう。」「大丈夫。一護がどんなにカッコ悪いとこ見せたって、井上さんは笑ったりしないよ。」
「…だと、いいけどな。」

一護が水色に小さく笑い返した、その時。

「一護!今、井上さんが廊下で倒れた!」

ドアを派手に開けた啓吾がそう叫んだ次の瞬間、一護は教室を飛び出していた。












「失礼しま~す…あれ、誰もいねぇや。」

気を失っている織姫を抱きかかえた一護が、保健室のドアを開ければ、中は無人。
黒板には、「何かあったら職員室へ」との書き置きが残されている。

「何だ、保健の先生いないのか。仕方ねぇな…。」

一護は1人呟くと、保健室のベッドに織姫の身体をそっと横たえた。





一護が7組の廊下に駆けつければ、気を失って倒れている織姫を、級友達が取り囲んでいるところだった。
「先生を呼ぼう」「担架ってどこだっけ」…そんな声が飛び交う中、一護は他の生徒を掻き分け織姫に手を伸ばして。
そして、「担架なんかいらねぇよ」と叫ぶと同時に織姫を抱き上げると、唖然とする生徒達を無視し、保健室へと直行したのだった。





「霊的なものは感じねぇし…貧血か?倒れた時にどこかぶつけてなきゃいいけどな…。」

一護はベッドの周りを囲む白いカーテンを閉めながら、そう呟いて。
これでも医者の息子だから…と、織姫の具合を観察するべく、彼女の右手首を取り、脈を確かめる。
そして顔を近づけると、空いている方の手で胡桃色の頭をそっと撫でた。

「あ、やっぱりコブでき…て…っ!」
織姫の頭をそっと触ると同時に、ふわり…と鼻孔をくすぐる甘い香り。

ついさっきまで真剣に織姫の心配をしていた一護は、我に返ったようにバッと手を引っ込めた。

「ち、ちが…!」

誰も見ていないのに、言い訳の言葉を口にしかけて。
その声の大きさに自分で驚いて、慌てて口を塞ぐ。

「…むぐ……。」

ベッドの上、静かに眠っている織姫の寝息が、二人きりの保健室に響く。
落ち着きを取り戻し、一護は初めて見るその寝顔を、もう一度覗き込んだ。

「…いい匂いすんだな…髪の毛、柔らけぇし…。」

とくり…一護の心臓が、1つ音を立てる。

一護は脈を計っていた織姫の右手首から手を滑らせ、自分の手の中に織姫の手を収めた。

「ちっせぇ手…。」

とくり…とくり…。

静かな保健室の中、一護の心臓の音だけがどんどん五月蝿く、激しくなっていく。

「本っ当、人形みたいに可愛い顔してんな…。」

やがて、織姫の寝顔をじっと見つめる一護の視線が捉えるのは、薄桃の唇。
こくり…一護の喉が、小さく動く。

「…やべぇ、だろ…。」

自分を制する様に声を絞り出しても、織姫の唇から視線を解くことはできなくて。
それどころか、一護は織姫に覆い被さり、彼女と自分の距離を縮めていく。



…とくり…とくり…とくり…。



いけないコトだと、解っている。

けれど、彼女の唇を漆木に取られるぐらいなら。

織姫が眠っている間に、ほんの少し、掠めるぐらいなら。

…そんな想いが、震える一護の身体をゆっくりと動かしていく。

そして、理性と本能の間で激しく揺れる一護の唇が、織姫の唇に触れるか触れないかの距離で止まった、その時。





ぱち。





「………ん?」
「………へ?」

織姫の大きな瞳が、至近距離にある一護の瞳を捉えた。



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