真昼の月







「…畜生…。」

10分後、一護は体育館裏に座り込んでいた。

教室に戻って、英語の授業を受ける気分にはとてもなれなかった。
かと言って、時間を潰そうといつもの様に屋上に行けば、まだ漆木と織姫がいるかもしれない。

体育館裏は日陰で今の季節にはかなり寒かったし、体育館の中からはバスケットボールを床につく音が響いてうるさかったが、上手く回らない頭で人目につかない場所を一護が必死で考えた結果、思い付いたのはここしかなかった。

「…くそ…。」

体育館の入口に続く階段に座り込み、うなだれる一護の口からこぼれる、かすれた声。

…解っている。

矛盾しているのは、自分の方だ。

漆木とウルキオラは何か繋がりがあるかもしれない、と言う織姫に「有り得ない」と言ったのは自分。
その癖、屋上で親しげに過ごす漆木と織姫を視界に入れた時、かつてのウルキオラと織姫を重ねたのだ。
あの、ウルキオラとの死闘の最後、まるで永遠の別れを惜しむかの様に、互いに手を差し伸べ合った2人の姿を。

その瞬間、一護はカッと頭に血が上ったのを自覚した。
そして、一気に身体中を駆け巡る、言葉では言い表せないほどの不快感。

それが一体何なのか、一護自身理解できなくて…その癖、織姫がそれを解ってくれていないことにまた腹が立った。

いつもなら、言葉にしなくたって、誰より自分を解ってくれているのに。

いつだって、織姫は自分の味方だった筈なのに。
そんな苛立ちがピークに達した時、一護の口から勝手に飛び出した言葉。

「自分と漆木、どっちが大事なんだ」

…その言葉には、まるで織姫が漆木より自分を大切にして当然だ…そんな自惚れと我が侭が滲み出ていて。

「…サイテーだ、俺…。」

そう一人ごちて肩を落とす一護の耳が、カサリ…と枯れ葉を踏みしめてこちらに近づく足音を捉える。
一護が霊圧でそれが誰かを探るより先に、当人が目の前に現れた。

「…こんなところにいたのか、サボリ魔。」
「何だよ、石田。」

階段に腰を下ろしたまま、一護が前髪越しに石田を見上げる。
そんな一護に、石田はふう…と溜め息を一つ落とした。

「僕達はそもそも、ユーハバッハとの闘いで授業を無断欠席していたんだ。これ以上サボるべきじゃないと思うけどね。」
「てめーも一緒だろ、石田。」
「君とは全国模試の順位が違うよ。」
「それ自分で言うか?」

いつもと何ら変わらないやり取りの後、石田が一護の隣に一人分ほどの距離を取り、腰を下ろす。
そして、少しの沈黙の後、視線は正面のままゆっくりと口を開いた。

「…黒崎。」
「何だよ。」
「心は…変わるよ。」
「あ?」

わぁぁ…と体育館から歓声が響く。
おそらく、授業でバスケットボールの試合を始めたのだろう。

「君は、死神代行を務める中で、僕や死神達の心を変えた。それが、君の意図にあったかは別として…ね。」
「……。」
「同じだよ。井上さんの心だって変わる。」
「……!な、何を急に…!」

石田の口から突然織姫の名前が出たことに、焦る一護。
その反応こそが、彼女への想いを雄弁に物語っているのに…と石田は内心呆れつつ、一護に問い掛ける。

「違うのか?」「……。」

口をへの字に曲げ、ふいっとそっぽを向く一護の無言の返事は、肯定と同義。
石田は、ムキになって否定しない分、まだ救う価値がある…と思うことにした。

「人の心は変わる。今日、君に好意を寄せていた井上さんが、明日にはもう君を何とも思わなくなるかもしれない。それは自然なことなんだ。」
「……。」
「だから、君が変わらないことを願うなら…これまでの様に井上さんの隣に自分がいたいと願うなら、君はもっと努力しなくちゃいけないよ。」
「努力…?」

頬杖をついて明後日の方向を眺めていた一護が、石田を振り返る。
その視線に気づきながらも、石田は正面を見たまま言葉を続けた。

「井上さんは、努力したよ。それこそ、高1の頃からずっと努力し続けた。…次は、そろそろ君が努力する番なんじゃないか?」
「石田…。」
「まぁ、君は強くなる為の努力だけはしたからね。その力で、例え彼女が誰を見ていようと、今まで通り彼女を護る…と願うなら、それも1つの選択肢だ。でも…君だって見返りが欲しいだろう?井上さんからの、見返りが。」
「……。」
「それもまた、自然なことだよ。そうやって、お互いに与えあって心は育っていくものだと思うから。」

石田はそう告げると、すっと立ち上がった。

「じゃあ、僕は行くよ。ここは冷える。」
「お前、俺に説教する為にわざわざ来たのか?」
「君の為じゃないよ。ただ、君がそうやって無神経に井上さんを悲しませるのが許せなかっただけさ。彼女、泣きそうな顔で廊下を歩いていたからね。」
「井上が…?」

一護が、石田のその言葉に思わず立ち上がる。
しかし、石田はもう一護を振り返ることはせず、体育館裏を後にした。












「おい。」
体育館から教室への帰り道。
廊下で聞き慣れない声に呼び止められた一護は、振り返ると同時に目を見開いた。

「…漆木…。」

無表情なまま、深い緑色の瞳で自分をじっと見つめる漆木。
予想外のことに、驚きと戸惑いから立ち尽くすしかない一護に、漆木はおもむろにずいっと紙袋を突き付けた。

「これは、お前の物だろう?屋上の階段に落ちていた。」

そう言う漆木が手にしている紙袋は、織姫のバイト先のパン屋の物。
そのしわくちゃになった紙袋は、屋上で織姫が自分に差し出したそれだと一護は気づく。

「…別に、俺の物…って、訳じゃ…。」

苛立ちをぶつける様に織姫が差し出したパンを振り払い、あの場を立ち去った気まずさから、一護はボソボソと否定し首を振る。
しかし、漆木は再びずいっと一護に紙袋を押し付けた。

「これは、お前の物だ。織姫がそう言っていたからな。」
「井上が?」

漆木の言葉に、一護はおずおずと紙袋を手に取り、中を覗く。
そこにあったのは、明太子マヨパンとビターチョコパン。

「織姫は、珍しくその2つが売れ残ったと喜んでいた。」
「……!」

ハッとした様に一護が顔を上げれば、漆木は既に踵を返し、歩き始めていた。

「ま、待てよ!」
「…何だ?もう用事は済んだ。」

一護に背中を向けたまま、漆木がちらりと後ろを振り返る。

「何で、わざわざこれを俺に?」
「別に。俺はもう満腹だからだ。」
「お前…井上とどういう関係なんだよ。名前で親しげに呼んだりして…。」
「織姫が名前で呼ぶのを嫌だと言わなかっただけだ。お前も名前で呼びたければ、そうすればどうだ?」
「……!」

漆木は一護の問い掛けにそう答えると、再びスタスタと歩き出し、一護の前から姿を消した。



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