真昼の月







「今日もいいお天気ですなぁ。」
「そうだな。」

それからも、織姫と漆木の屋上での触れ合いは、密やかに続いた。
密やかに…というのは、漆木は誰かと親しくしている姿を他人には見られたくないに違いない、という織姫の配慮。

相変わらず、漆木は織姫の話を聞くだけで、自分のことを語ろうとはしなかったが、それでも出会った頃と比べ確かに織姫への態度を変えていた。

例えば、織姫の呼びかけに、返事をするようになったこと。
織姫の差し出すパンを、彼女の目の前で食べるようになったこと。

…そして。

「おい、織姫。」
「なぁに?」

織姫を、名前で呼ぶようになったこと。

織姫はそれが嬉しくて、秋風に長い髪を靡かせながらはにかんだ様な笑顔を返す。

「お前は、いつも楽しそうだな。」
「うん!毎日、とっても楽しいよ!」
「何故だ?」

怪しい緑色の瞳の中に、どこか純粋な子供の様な光を宿らせて。
そう尋ねる漆木に、織姫は人差し指を顎に当て、空に浮かぶ白い月を真っ直ぐに見つめた。

「うーん…こんな当たり前の生活が、とっても尊くてかけがえのないモノだって、身をもって知ってるから…かな。」

ユーハバッハとの血戦後、現世で再び高校生として普通の生活を送れるようになった織姫達。
この、当たり前な景色も日常も、一護が、そして多くの仲間達が血と涙を流し、守り通した貴重な世界。
そう思えば、織姫の目に映る全ては以前より一層輝いて見えたし、愛しく思えた。
「あとは、この町や学校には、大好きな人や物が沢山あるからかな。」
「……。」
「好きな物や好きな人に囲まれてたら、誰だって幸せでしょう?漆木くんだって、きっと…。」
「好き…とは、何だ?」
「え?」

織姫が、漆木に視線を戻す。
漆木は、やはりいつもと同じ無表情で、しかしごく自然にその疑問を織姫にぶつける。

「俺には、『好き』と言えるものがない。織姫、『好き』とはどんな感覚だ?」
「……難しい質問だね。」

織姫は、少しの間悩むように俯いた後、ゆっくりと顔を上げて。
制服のカーディガンの裾をきゅっと握りしめながら、口を開いた。

「例えば…その人と『おはよう』って挨拶を交わすだけで、あったかい気持ちになったり…その人が笑ってたら、私まで幸せになったり…。」
「………。」
「その人に必要とされたら嬉しいし、これからもずっと一緒にいられたらいいな…って、思うこと…かな…?」
「……曖昧だな。よく解らん。」
「えへへ!やっぱり?」

照れたように頭をかきながら「言葉足らずで申し訳ないっす!」と笑ってみせる織姫。
そんな織姫にそれ以上の説明を求めることはせず、代わりに漆木はパンに手を伸ばした。

「だが…少し、興味はあるな。」
「え?」
「お前の話にも…お前にも。」

そう呟きながら、織姫が持ってきたあんパンの最後の一口を、漆木が頬張った、その時。

バァン!

屋上に流れていた穏やかな空気の中、ドアが乱暴に開かれる音が響く。

「…井上!」「あ、黒崎くん!」

織姫が振り返れば、そこには階段を全力で駆け上がってきたのだろう、僅かに肩で息をする一護。

その一護の慌てぶりに、織姫は小首を傾げる。

「ど、どうしたの?」
「…英語の教科書忘れたから、オマエに借りようと思って…けど、オマエ教室にいねぇし、誰も行き先知らねぇって言うから、霊圧探って…。」
「そうなんだ!ごめんね!」

織姫は立ち上がると、漆木の方を見て小さな手を振った。

「じゃあね、漆木くん!」
「ああ。」

残ったパンの紙袋を手に、一護の待つ方へ駆け出す織姫。
そして、あからさまに眉間に皺を寄せる一護に織姫が寄り添った時、漆木もまた立ち上がった。

「織姫。」

名を呼ばれ、織姫が振り返る。

「今日のパンは、美味かった。」
「…!」
「また、頼む。」
「…うん…。」

織姫が、漆木からの初めての賛辞に破顔する。
また少し、漆木との距離が縮んだ…そのことがひたすらに嬉しくて。

自分の20cm上で、一護が苦々しく漆木を睨みつけていることに気がつかないまま、一護と共に屋上を後にした。








「…何だよ。」

屋上のドアを閉め、階段を数歩下りたところで、織姫は呻くような一護の呟きに振り返った。

「え?」

そして、織姫は初めて一護が湧き上がる怒りを必死に抑えていることに気がつく。

「オマエ…こんなとこであの野郎と逢い引きしてたのかよ。」
「あ、逢い引き!?」

一護の口から飛び出したまさかの単語に、織姫は仰天してブンブンと首を振った。

「ち、違うよ!」「違わねぇだろ!俺に内緒でアイツとコソコソと…!」
「だって、漆木くんいつも独りきりなんだもん!黒崎くんは、いつも周りに沢山のお友達がいるでしょ?」
「関係ねぇよ!あんな、ウルキオラに似たヤツに近づくんじゃねぇよ!アブねぇだろ!」
「漆木くんは普通の人だよ!ウルキオラくんとは他人の空似だって言ったのは、黒崎くんだよ!?」
「ぐ…じ、じゃあ何で俺に内緒にしてたんだよ!」
「漆木くんと仲良くなれたら、黒崎くん達にも紹介するつもりだったの!ウルキオラくんに似てるけど、ちゃんといい人だったよ、って…!」

二人の声が響いていた薄暗い階段に、再び静寂が戻る。
一護が、全く納得していないながらも、織姫に返す言葉を見失ってしまったからだった。

しかし、織姫はそれを一護が自分の気持ちを受け止めてくれたからだと勘違いした。

「そうだ、黒崎くん。心配してくれたお礼に…。」

織姫は手にしていたパンの紙袋を、一護に差し出す。
一護はそれを目にした途端、先程の織姫と漆木のやり取りを思い出し、ギリッと奥歯を鳴らした。

「あのね、これ…」
「いらねぇ。」
「え?」
「いらねぇっつったんだよ!アイツに渡した余りのパンなんざ、欲しくねぇよ!」
「黒崎くん!私、そんなつもり…!」
「大体オマエ…俺とアイツのどっちが大事なんだよ!」

…思わずそう口にした直後、ハッとする一護と、あまりの驚きに薄茶の瞳を見開く織姫。
一護はあまりの気まずさに、織姫の差し出した紙袋を振り払うと逃げる様に階段を駆け下りた。

「く、黒崎…くん…。」

バサリ…鈍い音を立て、階段に落ちる紙袋。
織姫はそれを拾うこともせず、去っていく一護の背中を見つめていた。




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