真昼の月







…それから1週間が経った。

転校生・漆木理央は、やはり誰も寄せ付けず、休み時間には風の様に姿を消してしまい。

初めは興味津々といった感じで彼に関わろうとしていた生徒達も、次第に距離を取るようになっていった。

…ただ1人を、除いては。

「こんにちは。」
「…またお前か。」
「うん。」

休み時間、屋上。

ひょこっと出入り口から顔を出す織姫を、漆木が呆れたように一瞥する。

「今日はね、かぼちゃパンを持ってきたんだよ。ほら、ハロウィン仕様で可愛いでしょ。」

織姫はそう言って笑うと、持ってきた紙袋から、ジャック・オー・ランタンのデザインのパンを取り出し、漆木の傍に置いた。

「…頼んだ覚えはない。」
「うん。だって頼まれてないもの。」

相変わらずな態度の漆木に、にこにこと無邪気な笑みを浮かべる織姫。
こんなやり取りが、漆木の転校翌日から毎日繰り返されていた。

織姫が屋上を訪れ、バイト先のパンを漆木に差し出す。
それを漆木が織姫の前で手に取ることはなかったが、それでも織姫はにこにこと笑いながら漆木から少し離れた場所に座って。
そして織姫が一方的にあれこれと話し、「またね」と告げてその場を去る…それが日課になっていた。

「…何故、俺に関わろうとする?」
「だって、漆木くんに美味しいパンを食べてほしいから。」
「だから、それは何故だ?」
さや…と秋風が吹き、織姫の長い髪を揺らす。

戸惑いがちにその髪を耳に掛けた織姫は、少しの間沈黙し、そして。

「……後悔したくないから、かな…。」

そう告げた織姫の笑顔は、どこか寂しげに漆木の瞳に映った。


2年前を、思い出す。

織姫にとって、ウルキオラは、間違いなく敵だった。
自分を拉致し、一護を傷つけ、死の淵にまで追いやった、敵。

…けれど。

藍染の命令とはいえ、孤独だった砂漠の国で、自分と共に過ごしてくれたウルキオラ。
力を使い果たし、まるで砂の様に身体が崩れて消えていくあの瞬間、「俺が怖いか」と尋ね、自分に向かって手を伸ばしたウルキオラ。

怖くなんてなかった。

だから己もまた、その手に触れようと手を伸ばして…けれど、触れることは叶わなくて。

もし、あの時、指先が触れていたら、何かが変わっていただろうか。

もっと違う出会い方をしていたら、人と破面という枠を越えて、分かり合えていただろうか。

そう、虚圏で破面と戦っていた筈の一護が、ネルに慕われたように。

そして、ユーハバッハとの戦いで、グリムジョー達と手を取り合うことができたように。

「…私ね、もしかしたら、分かり合えたかもしれない人と、分かり合えずにお別れしちゃったんだ。…あなたとよく似た人だよ。」
「俺は知らん。」
「うん。でも…あの時、もっと私が言葉を尽くせば、もっと私が行動を起こせば、結果は違っていたのかもしれない…って。あなたとは同じ過ちを繰り返したくないって、多分考えてるんだと思う。」「自分のことなのに『多分』とは何だ?」
「あはは、そうだよね!変だよね!漆木くんのツッコミはなかなかに鋭いですな!」

「参りましたなぁ」と頭をかきながら笑う織姫と、やはりにこりともせずに織姫を見つめる漆木。

会話も途切れたし、そろそろ時間かな…と、織姫はいつものようにその場を離れようと立ち上がった。

「じゃあ、私行くね。」
「…待て。」
「え?」
「確かに…自分で自分が何を考えているか、解らなくなるときはあるかもしれないな。」
「…え…?」

漆木は、振り向いて小首を傾げる織姫の目の前、おもむろにかぼちゃパンに手を伸ばす。
そして、袋を開けると一口頬張った。

「……!」
「…見た目ほど、かぼちゃの味はしないな。」
「……。」
「でも、悪くない。」

漆木の台詞から察するに、今日差し出されたパンを口にしたのは、彼のほんの気まぐれに違いない。
それでも、織姫の胸には熱いものが込み上げていた。

「それはもう…私のバイト先のパンは、どれも最高に美味しいんだから。」
「そうか。」
「うん。」
「…女、名前は?」
「井上織姫。」
「そうか。」
「うん。」
「じゃあ…また明日ね、漆木くん。」

織姫は震えを押し隠した声でそう告げると、きゅうっと苦しくなる胸を押さえ、屋上を後にした。

彼は、ウルキオラではない。
そんなことは解っている、それでもただ、嬉しくて。
2年前、あまりに未熟だったあの頃の自分には触れられなかった彼の心に、少し近付けたような気がして。織姫は階段を駆け下りながら、密やかに喜びを噛み締めていた。










「…それで、チャドと石田はどう思う?」

その頃、教室にいた一護は、漆木についての見解を2人の仲間に尋ねていた。

「どうも何も…黒崎の言う通り、他人の空似でいいんじゃないか?」
「け、けどよ…!」

珍しく一護の意見を石田が素直に肯定したにも関わらず、一護は不満げな顔をする。

「ム…一護、今のところあの転校生からは霊圧も何も感じない。危険な存在ではないだろう。」
「だけど、井上がやたらと気にしてるんだよ!ウルキオラ、ウルキオラって…!」

そう告げる一護の心底面白くなさそうな顔に、石田はやれやれと小さく溜め息をついた。

「まぁ、井上さんとウルキオラの間に何があったのか、僕らは知らないしね。別に、破面と親しくたっていいんじゃないか?君だってネルちゃんとあんなに仲がいいんだし。」
「はぁ?ネルはそういうんじゃねぇよ!一緒にすんな!話にならねぇな!」

石田やチャドから自分の望む答えが得られず、ついにドスドスと足音を立てながら2人の元を離れていく一護。
ピシャリ…と閉じられた教室のドアに、石田とチャドは思わず顔を見合わせた。

「黒崎…『そういうんじゃない』の『そういうもの』が一体どんなものなのか…自分で解っているのかな?」
「ム…。」
「まぁ…人間、いちばん解らないのは自分のことなのかもしれないけどね。茶渡くんも、黒崎の鈍さにはいい加減愛想が尽きただろう?」
「ム…。」

いずれは丸く収まるだろう…と、傍で長い間見守ってきた一護と織姫の関係。
けれど、そこに起き始めた、予想外のさざ波。
それが果たしてどんなうねりを起こすのか。

「できれば、吉と出てほしいがな…。」

チャドはそう祈るように呟いた。




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