夢であるように







「…え…?」

耳を疑いたくなるような一護の台詞に、織姫がぎこちなく視線を上げる。

元々大きな瞳を更に見開いて一護を見上げれば、微塵の迷いも躊躇いもない蜂蜜色の瞳が、自分を見下ろしていて。

力強い、真っ直ぐな一護の眼差しに射抜かれたように、織姫が硬直する。

黙ったまま見つめ合う2人の横では、ケーキの注文に備えていたバイトの高校生が、まさかの展開に唖然とし、トングを片手に立ち尽くしていた。

「あ、の…。」

しばらくの沈黙のあと。
織姫が上手く動かない唇を精一杯動かし、漸く戸惑いを声にした。

一護には既に恋人がいる筈で。
自分は失恋した筈で。

…だから『オマエが欲しい』なんて、有り得ない訳で。

でも、じゃあ、今の台詞は一体どんな意味で…?

「…勿論、『タダで』とは言わねぇよ。」

そんな織姫の困惑する表情ですら、予想通りだ…と言わんばかりに、一護は上着のポケットに手を差し入れて。
そうして、小さな小箱をコトリとレジのカウンターに置いた。

「これ…代金の代わりな。全然間に合わねぇだろうけど、今の俺の精一杯だから。」
「……っ!!」

織姫が、思わず口元を手で覆う。

一護が小箱を開ければ、中には銀色の環。
その中央、小さくとも眩い石の輝きは、一護の誠意の表れ。

「…う、そ…。」

織姫の瞳から、ぽろぽろと涙が溢れ出す。

一護が、自分に指輪を差し出している…そんな目の前の光景が、信じられなくて。
嬉しい…というよりも、ただひたすらに驚いて、軽いパニックに陥りそうな織姫に一護が告げる。

「ウソじゃ、ねぇから。もしかしたら、オマエ何か誤解してるのかもしれないけど…これが俺の『本気』だから。」

レジの雰囲気が何やらおかしいことに気づいた店内の客達が、パンを取る手を止めて一護と織姫をじっと見つめる。

そして、店内の空気がおかしいことに気付いた店長もまた、店へと顔を出した。

「織姫ちゃん、どうかした?」
「…あ…て、店長…。」

慌てて涙を拭い、織姫が店長を振り返る。

店長は、レジの上に置かれた小箱と目を赤くした織姫に、少し驚いたような顔をして。
けれど、織姫の前に立つ一護と真っ直ぐ視線を交わしたとき、その真摯な眼差しから全てを悟り、思わず頬を緩ませた。

「…すいません店長さん、コイツもらってってイイっすか?」
「く、黒崎くん…!」

織姫を指差し真顔でそう言う一護を、また泣き出しそうな顔で織姫が見上げる。
オレンジの髪の青年からの「注文」に、店長はニッコリと極上の笑顔を浮かべた。

「どうぞどうぞ!ウチの看板娘は、気立ても器量も抜群のオススメ商品!お一人様限定、早い者勝ちですよ!」
「てて、店長!?」
「ではお客様、こちらお持ち帰りでよろしいですか?」
「1時間ぐらいかかりますけど、いいッスか?」
「勿論!」
「えええ!?…きゃっ!」

商談成立…とばかりに、店長は織姫をレジから押し出し、一護に向かってポンと背中を押した。
小さな悲鳴を上げた織姫が、押された勢いで一護に倒れ込む。
一護はそれを難無く受け止めると、そのまま織姫の手を取った。

「行っておいで、織姫ちゃん。」
「で、でも店長、仕事が…!」
「1時間休憩ってことで!何ならそのまま半休でもいいからね!あ、ほら、大事な指輪も忘れずに!」
「ありがとうございます。」
「て、店長…黒崎くん…!」

未だオロオロする織姫に、一護は繋いだ手の力を一層強める。
ハッとして見上げてくる織姫に無言のまま一護が頷けば、織姫もまた覚悟を決めたようにこくんと小さく頷いた。

そうして、店内の客が何事かと見守る中、一護に手を引かれ店を出て行く織姫。

チリン…とベルを鳴らして閉まる店のドアを、店長が穏やかな笑顔で見つめていた。













一護と織姫は、店から少し歩いたところ、高台にある公園に辿り着いた。

織姫は、2ヶ月ほど前、ルキアと恋次にここに呼び出され、結婚の報告を聞いたことを思い出す。

そして、その時に2人が座っていたベンチに、今度は織姫と一護が並んで腰を下ろした。

「…あの、さ。」

夕焼けのオレンジ色と宵闇の紫色がグラデーションを成す空座の空、眼下には線路を行き交う電車。
しばらくは黙ったままそれらを眺めていた2人だったが、やがて一護の方が話を切り出した。

「う、ん…。」
「店まで押しかけて、人前であんなことして…悪かったな。」

電車の線路を見つめたまま謝罪する一護の目の端に、織姫がふるふると左右に首を振ったのが映る。一護は安堵し、ふぅっと小さな溜め息を1つ漏らして言葉を続けた。

「けど…オマエ霊圧探知得意だから、俺がマンションで待ち伏せしてたら、ずっと部屋に帰って来ねえんじゃないかと思ってさ。店の中なら逃げようもないし、待ってりゃいつかレジにも絶対に出てくるだろうから、そん時しかねぇな、って…。」
「………。」

一護が話す間、織姫はずっと俯いたまま。
だから、彼女の表情は伺えなかったが、それでも繋いだままの手を織姫が振り解かないことに、一護は少しの勇気を得る。

「なぁ…井上。もしかしてオマエ、前に俺が喫茶店に呼び出したとき…本当はちゃんと約束の時間に喫茶店に来てたのか?」
「…うん…。」
「そんで…俺が他の女と一緒にいるところ、見たのか?」
「…うん…。」
「ソイツ…ただの大学の知り合いだよ。たまたまあの喫茶店にいて、声を掛けられただけで。名前も思い出せねぇぐらいのヤツだから。」
「……え?」

織姫が、ゆっくりと顔を上げる。
せわしなく瞬きを繰り返す織姫に、一護が頷いて見せた。

「でも、あの時の彼女、すごく楽しそうに黒崎くんとお話してて…。」
「ああ、アイツあのあと『ダチとライブに行くんだ』って張り切ってたんだよ。だから楽しそうだったんだろ。…少なくとも俺は、楽しいどころじゃなかったぜ?どうやってオマエに告ろうか…って、頭ん中がいっぱいだったからな。」
「…え…?」
「『え?』じゃねぇよ。オマエ、俺が大事なこと言うと全部それだな。」

苦笑混じりにそう言った一護が、呆然としている織姫の頬に、そっと手を添える。
そして、そのまま織姫の唇に己のそれを押し当てた。



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